巨人

気がついたら昨夜散歩に出た時のヒートテックの長袖を着たまま寝ていた。タイツのほうは辛うじて脱いで室内用のスウェットに着替えていたようだ。

もうラジオで生島ヒロシが喋っている時間である。

昨夜は外で飲んで、物足りない気がしたのでコンビニで缶ビールを買って帰った。そういう意地汚いことをするからこうなる。

昨日買ったクロワッサンをひとつ食べて外出。ひとつでも随分大きい。

昼はきしめんと思ったが、やむを得ずビーフストロガノフ風に変更。どこか調子が外れている。その後河岸を変えてコーヒー。

午後、少し熱っぽい気がする。体温を計ると、若干平熱よりは高いようだ。

毎年この時期は風邪をひいて、こじらせたりこじらせなかったりしているのに、今年はどうしてもコロナを疑ってしまう。

帰宅。これでもかと晩飯を食べたら、いつの間に熱っぽさは消えていた。

夜の散歩に。馴染みの銭湯は冬至のゆず湯。ヤクルトを貰って帰った。今夜は風がない分、昨日ほど寒さは感じない。14,189歩。

井上ひさし特集の「東京人」11月号が届いた。日曜日の午後に注文して翌日届くんだから早いね。

改めて氏の多芸多才ぶりに圧倒される。私など到底足元にも及ばない。凡人は巨人を前にして初めて自分の小ささに気づかされるようだ。

洗濯。午前のうちに少し遠くに出ようか迷ったが、だらだらしているうちに時間切れ。近所の散歩に変更。

待乳山聖天は正月支度の最中だった。

「奉献 文政三年庚辰秋九月 新吉原神楽講中」と読める。文政三年は1820年。神楽講中というのはよく分からなかったが、神楽が講(信徒集団か)を通じて受容されていたのだろうか。現代の東京が江戸と地続きだったことを思い出させる。

イチョウ(銀杏)かと思うとイチヨウ(一葉)、桜のいち品種らしい。花の中心に一本の葉化した雌しべがあるのでこの名前が付いた、とある。

そうか、この通りの名前「一葉桜・小松橋通り」は、一葉桜が植えられているところから来ているのか。今年の桜の花の時期が終わってからこの通りを歩くようになったので、迂闊にも気がつかなかった。

てっきり、この通りの名前は樋口一葉に関係があるのかと思っていた。逆に樋口一葉の筆名の由来はこの桜だろうかと思うと、Wikipediaを見る限りは関係ないようだ。

通り沿いのカフェで朝飯がてら休憩。BLTサンドとコーヒー。この後向かいのパン屋でクロワッサン(普通のとチョコバナナクロワッサンというもの)を買った。

鳩の街通りのicou(旧TABULAE)が、この土日だけ展示している「泥深い川」というグループ展の会場のひとつになっているので、覗いてから帰宅。先程のクロワッサンを昼飯代わりにした。

再び外出。せっかくなので「泥深い川」のToken Art Center(実は初めて来た)と北條工務店となりの展示をちらりと見た。

東武博物館のホールへ。最初間違えて博物館の入口(グルメシティの向かいあたり)に来てしまったが、ホールの入口は別のところにあるという。なんだ、さっき気づかずに前を通り過ぎていた。

14時からの向島文化サロン「井上ひさしと江戸時代」の第1回「井上ひさしのパロディの世界」を聴講。講師は立教大学名誉教授の渡辺憲司氏。昨日慌てて井上ひさしの『手鎖心中』を読んだのは、今回のレクチャーで取り上げるというから。

レクチャーの中身は、雑誌「東京人」2020年11月号の井上ひさし特集に渡辺氏が寄せた文章をなぞったもの。ただ、余談と脱線が多かったかな。

『手鎖心中』は山東京伝の『江戸生艶気樺焼』のパロディだという。さらに「井上ひさしが戯作者の師と仰ぐ」平賀源内に通じる回路が作中に埋め込まれているらしい。

ユートリヤで「泥深い川」の展示を見た。ちょうど4時で、4階ドームの泉太郎作品に動きが発生するところに居合わせた。

この後、近くのRPSにも寄って、鈴木萌さんの写真展を見た。この作家にとって手製本を作ることが仕事の大きな部分となっているようだ。作家の父親は視力を失いつつあるという。この手製本は「失明への旅」に向かう父親に宛てて発行されたパスポートと言ってもよいだろうか。もっとも、そのパスポートを渡された者はすでに中身を見ることができないのだが。

作家の父親が視力を失いつつあるのは悲しいことだが、もし私もこの手製本のように自分の人生を娘に再構成してもらえたら、ある意味幸せだろうなと思う。むろん私にそんな娘はなく、私の人生は朽ちていくだけだが。むしろ私は20年前に死んだ私の父を蘇生させるべきだろうか。

夜の散歩に。白髭橋を渡って汐入公園まで歩くコース。

いつもの銭湯に。鮮やかな青地に「サウナ水風呂」と麗々と書かれた真新しいのぼり旗が立っていて、少々面映ゆいようである。

湯上りに飲み屋に寄ったら、店内のテレビでM1を流していた。普段テレビを見ないので、これまでM1というのをちゃんと見た記憶はない。チャンネルを変えましょうかと言われたけれど、特に見たい番組があるわけではなく、M1が見たくないわけでもない。杯を重ねながら見るでもなく見て、結局優勝が決まるまで店にいた。

優勝コンビが決まったが、決勝で彼らがどんなネタをやっていたか、ほんの数分か十数分前のことなのに思い出せない。その程度の関心、集中力だったということでしょう。

生ビールと水餃子。その後、生ハイボールとピクルスに替えて続けた。

マスターのお義父さんが帰って、客は私一人になった。10時を過ぎて、ほろ酔いで帰宅。桜橋から見上げる夜空に細長い雲が浮かんでいる。25,703歩。

西荻

午後から外出。錦糸町で総武線に乗り換え。電車の中で、井上ひさしの『手鎖心中』を読み出す。上りの総武線で座って本が読めるのもコロナ禍ゆえだろう。

静かな車内の様子を見ながら、乗ったことがないから分からないけど、ヨーロッパの落ち着いた都市を走る電車はこんな感じなのかなと思った。

そんなことをぼんやり考えていたら、他の客がどんどん降りていく。この電車は中野止まりだった。三鷹行きと思い込んでいた。慌てて降車。

西荻窪へ。さあ、これまで西荻窪で降りたことはあっただろうか?

上京してから今年で30年になるが、その間、一度も西荻窪で降りたことがない、というのもにわかには信じがたい。何かあっただろう。とは言いながら、前回、いつ、何の用事で来たか見当がつかない。やはり初めてなのだろうか。

駅の北側に出て、善福寺川方向に歩く。

小さな古本市をやっているのに出くわした。通り沿いのかごから文庫本を二冊取り出して、外のレジに持っていったら、レジの奥にも本が並んでいる。もう一冊だけ購入。自宅にある本と重なってなければいいのだけど。

古本市の二軒ほど先が目当てのギャラリーブリキ星だった。

「生活の中の祈り」展に。餅パーティーなどでお会いした猫村あやさんが金属製のオブジェを出展している。前日にはこの場所で儀式もあったそうだか、そちらは失礼した。久し振りに猫村さんに挨拶。

忘日舎という書店を探した。近くまで来たところでスマホの電池が切れたので、外付けバッテリーを繋いだら、ちょうど目の前に店があった。

どこで手にしたのだったか、たまたま読んだ現代詩のフリーペーパーにその店主が寄稿していて、どんな本屋か気になっていたところに、猫村さんの展示も西荻だというので、併せて行くことにした次第。

古書と新刊を取り混ぜて、なるほど、こういう揃えが今の本屋なのだろうと思う。先程の古本市もそうだが、他にも小さな本屋をいくつか見かけた。西荻という街の懐の深さなのだろうか。

カバンが一杯になりつつあるので、今回は書架を眺めただけで失礼。

冷えてきたし、小腹も減ってきたので、喫茶店を見つけて休憩。

喫茶店にしては風変わりな名前の店だが、もともとは輸入家具を商売にしていて、その屋号を引き継いだのだそうだ。おそらく店主自身が喫茶店好きなのだろう。ナポリタンもコーヒーの味もどこか懐かしい。掛け時計の音も。

西荻、また来る機会もあるでしょう。

次の予定が渋谷なので、吉祥寺に出て井の頭線に乗ることにした。微妙にまだ時間があるので、駅前のスタバで『手鎖心中』の続き。周りは勉強中の中高生ばかりである。暢気に時代小説を読んで申し訳ない。

『手鎖心中』のラストには唸った。江戸の錦絵を捲るように展開していた物語が、ストンと落ちる。

渋谷へ。あまり縁がないので分からないが、きっと例年のこの時期なら、街は人で溢れているのだろう。

公園通りクラシックスで、渡部みかさんの公演があるというので来た。実は、みかさんの歌が主役の公演とは思っていなかった。いや、事前の案内をちゃんと読んでいれば、そう分かるし、今年見た開座での公演で、みかさんが歌う場面があったので、納得ではあるのだけど。

アコースティックギターでヒカシューの坂出雅海氏。みかさんは最後ビアノの弾き語りも聞かせる。場所柄もあるのだろうが、私も立ち会ったことのない、1960年代あたりのアンダーグラウンドな音楽のライブというのは、こんな感じだったのかなと思わされた。

みかさんは、踊りのイメージでばかり考えていたけれど、本質は歌の人なんだろうか。そう考えて、踊りを離れて話す時も、実は話すように歌っていたとすれば、分かる気もする。

終演後、半蔵門線で錦糸町へ。楽天地スパに60分コースで入館。

言うほど混んではいないが、やはり若い客が目立つ。それも決まって三人組で来て、ペチャクチャ喋っている。

サウナでの若い客については、これまで何度も書いてきた。うるさいとかコロナとか言う以前に、三人組でサウナに行くこと自体が私には理解できない。尾籠な言葉で恐縮だが、連れ小便と通じるのだろうか。私は連れ小便も苦手だった。

9,448歩。

3桁

巣ごもり日。朝の散歩は省略。ついでにゴミ出しも省略。

昼間、巣ごもりから抜け出す。郵便ポストに年賀状用の投函口ができる時期になった。

今のところ年賀状を書き出す気はまったく起きない。

朝飛ばしで昼飯。二階の食堂で、トマトソースのスパゲッティ。前回金曜日に伺った時もスパゲッティだったが、金曜日の日替わりランチはスパゲッティに決まっている模様。

ソファ席はひとり客には悪くないね。

3桁の市内局番の表示が残っている。

東京の市内局番が3桁から4桁に変わったのはいつからだったろうか。調べると1991年1月1日だったようだ。つまり、もうすぐ30年経つ。私は大学1年だった。

夕刻、所用の後、夜の散歩へ。ユニクロで買った、いずれもヒートテックのタイツ、長袖Tシャツに靴下で防寒。ソラマチで買ったスヌードをニットキャップの形にして被った。

スウェットのパンツの下にタイツを穿くとずいぶん違う。これなら寒さを気にせず歩ける。

隅田川テラスを白髭橋まで、橋を渡って荒川区側に。水神大橋のあたりで引き返して、台東区側の隅田川テラスに入る。

なかなか味のある犬のイラストだと思った。

山谷堀公園の手前で引き返して帰ってきた。銭湯は省略。14,689歩。

表と裏

あ、見慣れない猫。目が合ったら走って逃げられた。

今朝は駅からバスに乗った。

朝はコンビニのサンドイッチとコーヒー。昼は唐揚げ定食的なものにして、カレー南蛮は回避。

夜は某所で飲食。久し振りに訪れた街はすっかり相貌を変えて、まるで別の街に来たようである。そう言えば前回この街に来た時も同じようなことを思った気がする。

この時世だから遅くはならない。帰宅して夜の散歩その他は省略。8,555歩。

ところで、先日買ってきたイトーヨーカドー100周年記念のマスクを着けてみた。

マスクにはヨーカドーの鳩のマークと「100th」の文字があしらわれている。ということは、鳩が左を向いていて文字が読める側がこのマスクの表なのだろう。

果たして市販の不織布マスクに表と裏の別はあるのか。あるという話を聞いたことがある気もするが、見分け方は正直よく分からない。また、もしマスクの表裏の区別が重要なら、着用する時に間違えないようマスク自体に表や裏と書かれていると都合がよいはずだが、今までそんなマスクを見たことがない(私が見たことがないだけで、実在するのだろうか)。

ところが、このヨーカドーマスクに関して言えば、表と裏の別は明らかである。これで、正しい向きにマスクを着けているか、外出時に心を悩ませる必要はなくなる。

さて、表と裏といえば、浅草の言問通りから北側の一帯を指して、裏浅草という言い方をするようだ。もちろん正式な町名ではない。正直これまで私はあまり足が向かない地域だったが、コロナ以後にしばしば散歩するようになってから、すっかり馴染みの風景になった。

一方で、奥浅草という言い方もある。裏浅草のさらに奥地かと思ったら(山谷あたり?)、奥浅草と裏浅草は同じ場所だと地元の人が言うのを聞いた。裏という言葉を使うのを憚って、奥と言い換えているようである。

同じような一帯を指して、観音裏という言い方もある。浅草寺の裏の意で、この言い方のほうが裏浅草や奥浅草より歴史を感じる。

表と裏についてもうひとつ、半蔵門近くの国立劇場と国立演芸場はどちらが表でどちらが裏かという問題がある。この件は国立演芸場の高座で時々噺家が言うことだが、なぜか国立劇場に出ている役者はこの件について何も言わない。

納め

巣ごもり日。朝は有り合わせで済ます。散歩は省略。洗濯。

昼間抜け出して灯油を買いに行く。この冬は例年より灯油がなくなるペースが早い。巣ごもりのせいだろう。日中こもっている部屋の暖房は灯油ファンヒーターを使っている。

寝床のある部屋も去年まではもっぱらファンヒーターだったけど、今年の春にエアコンをつけた。それがなかったら、もっと頻繁に灯油を買いに行くことになっていただろう。

ただ、エアコンよりファンヒーターのほうが、部屋の空気が乾燥しないように思う。

灯油を家に置いてから、昼飯を買いに出直し。二階の食堂へ。今日は豚しょうが焼き弁当にした。

夕刻、所用の後、外出。ひとつ用事を済ませて、夜の散歩は浅草駅から。

添田唖蝉坊・知道親子の碑を横目に浅草寺の寺域に入る。

知らずに浅草寺に来たが、明日から羽子板市らしい。

納めの御縁日とある。そうか、伊東四朗さんが毎年年末になるとラジオで言っている「納めの観音」というのはこのことか。

西参道商店街は、夜になると早々に店を閉めてしまい、シャッター通り化しているのに、明かりだけが煌々と灯っている。暗闇の中に無人の商店街が浮かび上がるようで、少々異様である。

ひさご通りだって、この時間は、ぽつりぽつりと人は通るが、シャッター通りのようなものである。

寒いので散歩は早々に切り上げて、いつもの銭湯に。今日の変わり湯はレモン湯。

正月の松飾りを見た。今シーズン初。何か商売をしている家かな。

湯上りに寄り道する程の時間はない。8,299歩。この寒さでは捗らない。

健在

朝は持ち帰りサンドイッチ。もう30分も早く出られれば、駅前の喫茶店でゆっくりコーヒーを飲めるのだが。ちなみに今日はカツタマサンドというのにした。

思えばこういうドラム缶にも、かつて錦糸町が工場の街だった名残があるのだろう。

昼は広東麺とシュウマイ。夕刻、バスで錦糸町へ。所用。

ぐっと寒くなった。少し外に出るだけで身体が冷え切ってしまって、これでは歩いて帰宅などできそうにない。冷えた身体を温めるべく、楽天地スパへ。

休憩室で椅子に座っていると、足先がだんだん冷えてくる。そのうち足の冷えに耐えかねて入浴。

その点、タイムズ スパ・レスタは館内着と一緒に靴下が付いてくるから有難い。楽天地スパにも館内用の靴下の用意はあるようだが、別途有料らしい。今度来るときはマイ靴下を持参しよう。

そういえば、コロナ後だったと思うが、楽天地スパで足つぼマッサージの施術を受けた時、足が冷たいと言われた。自分では特に冷え性体質と思っていなかったので意外だった。

退館。終電近い時刻のわりに電車は空いていて、容易に座れる。例年のこの時期なら、忘年会帰りの酔客の姿が目に入るところだが、今年はコロナ禍のおかげで、おしなべて乗客は行儀がよく、そのことだけは好ましい。

コンビニの雑誌棚のPHPの表紙に、毒蝮三太夫、八名信夫両氏の名前が並んでいる。蝮さんはともかく、八名信夫さんの名前は久し振りに見たように思う。それぞれ1936年、1935年の生まれとか。両氏とも健在で何より。8,433歩。

防寒

朝は持ち帰りサンドイッチ。

コロナ以後、社会的距離の確保にご協力ください、といったふうに、社会的距離という言葉をあちこちで聞くようになったが、この社会的距離、というのも分かったようで分からない言葉である。social distanceの和訳だろうが、日本語としてこなれているとは思えない。

ところで、社交ダンスの社交はsocialから来ていると思うが、その伝で、social distanceも社交距離と訳すほうが、まだ日本語として意味が通じるように思う。社交、要するに、人と人が交わりを結ぶ上での適切な距離、ということだろう。もっとも、日本だと、西洋流の社交という考え方もピンとこないところもあるけれど。

昼はちくわ天そば。河岸を変えてコーヒー。

コーヒーを飲みながらユニクロのサイトでヒートテックのインナー等を物色。当方、今年の初夏から近所を歩くようになって、急に寒くなったこの季節に何を着たらいいか分からない。スウェットのパンツの下にヒートテックのタイツを穿いてみようと思い立った。

夕刻、歩いてソラマチへ。前に墨田区の物産を扱う店で見て少し気になっていた、スヌード(という言葉も私には馴染みがないが、首に巻く防寒着らしい)とニットキャップを合わせたようなものを買った。これも外を歩く時に使ってみようかな。

帰宅後はそのまま在宅。銭湯も省略。11,329歩。

丸い革

ほどほどに起き出して外出。影が長い。

そこかしこで交通量調査をしているのを見た。駅の構内でもやっている。

半蔵門へ。今日は国立劇場12月歌舞伎公演の第一部を見る。

第一部は「三人吉三巴白浪」。

半蔵門駅上の中華料理屋で昼飯。この店には初めて入った。食後、九段下で新宿線乗り換え、初台へ。

東京オペラシティアートギャラリーの石元泰博展へ。

新宿で湘南新宿ラインに乗り換え、恵比寿へ。LIBRAIRIE6で大月雄二郎展を見る。

『オブジェの店』と題された新刊書が目に留まった。「瀧口修造とイノセンス」との副題が添えられている。著者の寺村摩耶子さんは明学仏文の出というから巖谷國士氏の門下だろうか。この手の本にはどうしても手が伸びてしまう。帯の「無用、無益、無意味、無価値の魅力」という言葉に苦笑。コロナ以後の不要不急を排する風潮が念頭にあるのだろうが。

私なども無用、無価値に強く惹かれる性質だ。もっと言えば、有用、有価値が無用、無価値に転ずる瞬間に、窓から風が入るような爽快感を覚える。

「一方、たとえば尖鋭に研ぎ澄まされた機械が、まったく別の天体に墜落した瞬間の、烈しい価値転換を想ってみるがよい。」(瀧口修造『物々控』)

有用、有価値に押しつぶされそうなこのご時世で、今や食いつめた自称アーティストたちは、食い扶持を稼ぐために自ら有用、有価値になびいている様子。事ここに至っては、アートによる価値転換はあまり期待できそうにない。

だからもう、アートとは言わないほうがいい。

LIBRAIRIE6を辞去する時、今年初めて「よいお年を」という言葉を聞いた。

恵比寿から日比谷線に乗車。入谷で降りて歩く。この経路も馴染みになった。

千束まで来て、焼きそばとオールフリーで休憩。

いつもの銭湯に。タオルを借りて入る。

湯上りに寄り道。ジョッキの中の丸い革のトークンが12枚で5千円。革一枚でお酒が一杯飲める。今夜は4枚使った。

11,765歩。オペラシティアートギャラリーで、スマホをコインロッカーに入れて一回りして、その分はカウントされてないから、実際はもう少し捗ったか。

太っ腹

空き缶を出し、荷物を受け取る。午前中はだらだらと過ごす。

午後から外出。半蔵門へ。駅上のサンマルクカフェで昼飯。

国立劇場へ。前庭のヤマモミジが紅葉していた。見たところ前庭の紅葉はこの一本だけのよう。

12月歌舞伎公演の第一部は「三人吉三巴白浪」で、第二部には「天衣紛上野初花-河内山-」が上演される。いずれも河竹黙阿弥の作。昨日向島百花園で黙阿弥の石碑が目に留まったが、こういう偶然も面白い。

今日はまず第二部を見る。前から二列目の席で、一列目は開放していないから、実質最前列ということになる。

「天衣紛上野初花」は歌舞伎ファンには馴染みの演目ということだが、さあ、私は今まで見たことがあるかな。歌舞伎を見るようになってそれなりに経つが、定番の演目を案外見ていないのは、国立劇場の歌舞伎公演ばかり見ているからだ。ところが、このコロナ禍のために長時間の通しの上演が難しくなったせいもあるだろう、再開以後の国立劇場では、定番の演目から選んで上演してくれているようで有難い。

河内山相俊を演じるのは松本白鸚丈。舞台が近いので、質屋の店先で煙管を吸う相俊の口から出る煙まで見える。本当に煙草を吸っているのか、それとも何か仕掛けがあるのかな。相俊は「でえみょう」だの「しゃくりょう」だのと、江戸っ子口調である。

質屋の娘、腰元浪路は中村莟玉演。これなら殿様が妾にしたいと思うのももっともの美しさである。殿様は中村梅玉丈。この殿様は悪人ではないということだが、わがままでご無体で、臣下の諫言も耳に入らない。ふと、「志村けんのバカ殿様」での白塗りのバカ殿キャラは、こういう殿様の姿を思いっきり下品に振ったところから生まれたのではないかと思ったりもする。

相俊は江戸っ子からがらりと威儀を正し、上野寛永寺からの使いの僧を騙って殿様の屋敷を訪問する。寛永寺門主である宮様の碁の相手を務める骨董商が浪路の縁者で、宮様がその骨董商から悩みを聞いたということにして浪路を救い出そうとするが、しかし、市井のいち商人と宮様が碁敵という設定は、初演当時もっともらしく聞こえたものなのだろうか。正直、にわかに信じがたいのだが。

身分を超えた碁敵ということでは、落語に「柳田格之進」があるが、これは浪々の身の武士と商人だから、ありそうな気はする。あるいは、当時の囲碁は、相手が侍だろうが宮様だろうが、身分を超える道具立てとして機能していたのだろうか?

黙阿弥が本作を書いたのは明治14年という。この話は公武合体的な感じがする。

続いて歌舞伎舞踊の「鶴亀」と「雪の石橋」。舞踊は舞台から近い席で見ると、さすがの迫力である。

「鶴亀」の女帝役は中村福助丈。さあ、倒れられる前の福助さんは、何かで見ていたんだろうが、正直舞台の記憶はない。今回は甥に当たる福之助、歌之助との共演。

「雪の石橋」の獅子は市川染五郎。染五郎さんは、先月の歌舞伎座の「義経千本桜 川連法眼館」で義経を演じているのを見たが、こう言っては何だが、台詞回しの拙さに驚いた。義経に引きずられて、他の役者まで損をしているように思えたくらいだったが、今回は台詞はないので、安心して踊りを堪能した。

帰宅したらSCOTから鈴木忠志さんの本が届いていた。特に注文していないんだけどな。あるいは去年シアター・オリンピックスを見に行った客全員に送っているのだろうか。特に送り状も付いていないので、趣旨がわからない。太っ腹な演劇祭なのだと思っておく。

夜は書類の整理などして過ごす。6,791歩。