今日限り

朝は持ち帰りサンドイッチ。チーズツナ。この店での買い物は新年初。

昼はラーメンのようなもの。河岸を変えてコーヒー。

夕刻、両国から飯田橋乗り換え。飯田橋駅のホームが以前にも増して片付いていない気がする。東西線で高田馬場に。スタバで時間調整。

用件を済ませる。知らなかった言葉を二つ覚えた。「かんぷら」と「ままどおる」。

高田馬場から山手線に乗車、鶯谷下車。金美館通りから一葉桜・小松橋通りを歩く。馴染みの銭湯は今日はパス。

馴染みの飲み屋に寄る。夜10時まで飲めるのも、当分の間は今日限りか。生ビールで始めて、コールスローのグラタンというのをつまみに、生ハイボールに替えて続ける。

キーマカレーの温玉乗せ、ソースのみをラストオーダーで追加。

再び緊急事態宣言が出されることになって、営業日を水・木・日の週三日だけにするらしい。この三日はランチ営業をする曜日で、そのまま夜まで店を開ける由。8時までの営業だと、夜だけ店を開けても商売にならないのだろう。今度は日曜に昼飲みに来ないといけない。

桜橋を川向こうに渡って帰宅。14,201歩。

七福神

巣ごもり日。洗濯二回。朝はみかんとゆで卵を食べた程度。

昼間抜け出す。二階の食堂に行ったらまだ正月休み中だった。

地蔵坂を墨堤方向に歩いて、とんかつ屋に入った。ここは初めてだと思う。

所用を済ませてから、夜の散歩に。白髭橋を渡って荒川区側に。すぐに隅田川沿いの堤防に上がらず、石浜神社に詣でた。

汐入公園から、水神大橋を渡り、墨田区に入ったところを引き返し点にして、再び隅田川沿いを白髭橋方向に歩く。

明治通りを越えて、台東区側に入った。隅田川テラスに入らず、橋場不動尊に詣でた。

板に描かれているのは七福神だろうか。福絵馬というものかも知れない。

先に詣でた石浜神社も、この橋場不動尊も、浅草七福神に含まれる社寺である。そうだ、せっかく七つのうちの二つに詣でたのだから、新年でもあるし、この足で全部お参りしてみようと思った(実は浅草七福神は七つではなく九つの社寺から成るのだが、それは後から知った)。

というわけで、次は今戸神社に。

続いて待乳山聖天。

本堂にしめかざりを飾っている。お寺なのに御幣が下がっているのは可笑しなようにも思うが、そもそも七福神信仰自体が神仏習合的なのだから、ここは江戸の庶民のように大らかに考えるのがよいのだろう。

浅草七福神のうちではないが、被官稲荷に。小沢昭一さんの『ぼくの浅草案内』には、小沢さんは長年この被官稲荷のお守りを持ち歩いていると書かれている。

被官稲荷は浅草神社のすぐそばにある。

言わずと知れた浅草寺。

国際通りを越えて合羽橋本通りを歩く。人影は少ない。

これも浅草七福神の番外だが、金色の像は「かっぱ河太郎」というらしい。合羽橋道具街誕生90年を記念して平成15年に建立されたとか。

かっぱ橋道具街通りを少し南に歩いて、矢先稲荷に。ここは初めて来た。

不意に声をかけられて驚いた。この時間なのに境内を掃き清めておられる。

道具街通りをしばらく北上、国際通りに入って千束に。続いては鷲神社。

ここにも七福神の絵馬が掛けられている。

ようやく九つ目の社寺。吉原神社。

向こうに見える明かりは吉原のソープランド街。

九つの社寺をめぐるのに、家を出てから結局二時間半余りかかった。よく歩いてさすがにくたびれた。身体も冷え切ったことだし、ひと風呂浴びていこうと思う。あいにく、上記の高級浴場ではなく、馴染みの銭湯に。

この銭湯の今年の入り初めだった。

身体を温めてひと息ついた。川向こうをめがけて再び歩き出す。23,818歩。

フードコート

昨夜は寝床の中で遅くまで寝付かれなかった。

朝はコンビニのサンドイッチ。昼はきつねうどん、ではなく、きつねきしめん。

夕刻、かかりつけ医で月いちの診察の後、調剤薬局に寄って薬をもらう。

バスで錦糸町に。所用。

パルコにテナントで入っているカジュアル服の店の割引券をもらったので、まずはどんな服を扱っている店か偵察。今日のところは買わない。

その後、腹が減ったので1階のフードコートで晩飯。ここのハンバーガーは初めて。

フードコートに閉店時刻の10時まで居座ってしまった。店内の照明が落とされて我に返った。

楽天地スパに60分コースで入館。昨日の込みようとは打って変わって、今夜は空いている。今日が仕事始めだった人が多いということかな。

楽天地スパでは、浴室の入口、トイレのドアなど、館内のあちこちに小さなしめかざりを飾っていた。

地下鉄で帰宅。駅事務室前にしめかざり発見。

9,455歩。

始め

昼過ぎに上野着。

年末に新幹線のeチケットのことを書いたが、ひとつ不便だなと思ったのが、紙の切符が発券されないので、乗車する時、切符に表示される座席番号を目当てにして座席の場所を探せないことである。当たり前ではあるのだが。

これは、購入時に予約内容をメール送信する設定にしておけば、スマホを見ながら座席を探すことができる。が、これがオプション設定になっているので、送信設定を忘れた場合は、えきねっとにログインして購入履歴から予約内容を確認する必要がある。今回は黒部宇奈月温泉駅のホームで慌ててログインして座席を調べることになった。

乗車時にそんなことを思っていたので、上野駅で「eチケット座席票発行機」なるものを見て、なるほどこれは便利だと思った。せっかくペーパーレスになったのに、また切符状のものをプリントするのは本末転倒のような気もするけれど。

上野から銀座線で浅草、東武線に乗り換えて曳舟下車。一旦帰宅。

少し休んでから外出。

しめかざりはまだ玄関に飾ったままでいいのだろうか。出がけに気になって近所を見渡すが、しめかざりを飾った家はほとんど見当たらない。一方、町会で配布された賀詞が書かれた紙(紙門松という言い方があるらしい。調べて初めて知った)を玄関に貼っている家は多い。

そうか、このあたりは、しめかざりを飾る習慣自体がないのかも知れない。富山の家では毎年必ずしめかざりを飾っていたから、てっきり、どの家でも飾るものかと思い込んでいた。

家々の玄関を気にしながら歩いてみると、やはりしめかざりはないか、あってもスーパーで売っているような、あるいはハンドクラフト然としたものばかりで、伝統的な様式と思しきものは少ない。

水戸街道から秋葉神社が見えたので、せっかくなので初詣とする。

通り沿いの料理屋の玄関に立派なしめかざりが見える。そうか、しめかざりをまったく飾らないわけでもないんだ。商売をしている家では飾る習慣があるのかも知れない。

そこで、向島の料亭街を歩いてみると、しめかざりは飾っている場合もあれば、飾っていない場合もある。ただし、どの料亭の玄関にも立派な門松が飾られていた。

とりあえずの結論。東京ではしめかざりを飾る習慣がないわけではないが、必須ではない。一方、門松や松飾りは、特に商家では必ず飾る。町会の紙門松も、その簡易版と考えてよいのではないか。

去年の三軒茶屋の生活工房でのしめかざり展を見た後、富山のしめかざりの形や装飾についてネットで調べていて、実はこれという情報は見当たらなかったのだけど、あるサイトに、富山では門松を飾る習慣がない、という記述があった。言われてみれば、少なくとも一般の民家では門松や松飾りを見た記憶がない。

正月の飾りつけひとつとっても、ある地域で当たり前だと思っていることが、別の地域ではそうではなかったりする。自分の見えている範囲というのは狭いものだと思う。

料亭街に来たついでに、弘福寺に初詣、そして小沢昭一さんのお墓にもお参り。

この足で錦糸町まで歩いた。

楽天地スパに60分コースで入館。今年のサウナ始め。

今日あたりはまだ正月休みのうちという人も多いのだろう。結構混んでいる。ちょうど正時に居合わせたので、ロウリュでも受けていこうかと思ったら、サウナ室が満員で断念。

総武線快速で新橋へ。ちょっと早いが、内幸町ホールに。

誘われて三遊亭竜楽さんの独演会に来た。今年の落語の聞き始め(ラジオは除く)。そして、竜楽さんを聞くのも今回が初めて。伺うと、新年はこの場所での公演が恒例なのだとか。

開口一番 立川幸吾「子ほめ」

芸協所属、談幸門下。今年9月の二ツ目昇進が決まっているという。口跡滑らかだが、滑りが良すぎるのか、活舌にこちらの耳が着いていけないところがあった。時間の制約もあったのかも知れないが、もう少しゆっくり喋るか、緩急があると有難いと思った。

お馴染みの「子ほめ」だが、こちらの耳に新しいフレーズがいくつかあった。私は立川流をあまり聞いていないのだが、あるいは立川流の型なのだろうか。お七夜よりまだ若い、赤ん坊だからおむつやだ、というサゲも初めて聞いたように思う。

竜楽「くしゃみ講釈」

竜楽師が林家小染師から教わったものとか。上方版の「くっしゃみ講釈」は何度か聞いたことがあるが、江戸落語に仕立て直したものは初めて聞いたと思う。上方だと、のぞきからくりの八百屋お七を接ぎ穂にして八百屋での買い物を思い出すことになるが、竜楽版ではのぞきからくりの設定はカット。東京の客には馴染みがないという配慮だろうか。一方、お七の名前が思い出せないために、八百屋のおかみさんが旦那の浮気相手の話と早合点するというアレンジを加えている。

俗曲 檜山うめ吉

うめ吉さんを聞くのも久し振り。お年の話も失礼だろうが、芸歴から拝察するに、もう中堅と言ってもよい域に達しておられると思うけれど、この方の雰囲気は初めて聞いた頃から変わらない。えてして芸歴を重ねた女性の音曲師の方は、すれっからしの姐御キャラになって、客を持ち上げたり落としたりするのが可笑しかったりするが、うめ吉さんはずっと娘キャラを保っている。吉原の唄を唄っているのだから、初心とかカマトトとかいうのとは違うのだろうが、だんだん不思議な境涯に至りつつある。

一旦袖に引っ込んでから、二枚の扇子の縁に鈴をあしらったものを獅子頭に見立てて、獅子の踊り。

竜楽「文七元結」

本寸法の演目をたっぷりと演じた。まくらで、鬼滅の刃の映画を見たという話から、強者が自分の力を自分のために使うのではなく、弱者を助けるために使うということが、江戸ッ子と通じる、という言い方だったかな、そこから文七元結に入ったのは、流行り物だから入れ込んだのだろうが、ちょっと繋がりが悪いように思えた。

これは素人のいち感想だが、吾妻橋上での左官の長兵衛さんの行動は江戸ッ子の美風として普遍化できるものなのだろうか。現代の価値観からみて違和感があるのは当然だが、むしろ違和感のあるまま提示して、それでも噺を聞いている間は、何故かもっともな行動であるかのように聞かされてしまう、というものであるようにも思う。

「くしゃみ講釈」では特にそうだけれど、竜楽さんは、稚気というと失礼かな、相貌の印象とは少し違って、お茶目なところのある方とお見受けした。さらに枯れられたら、「文七元結」も味わいを変えるのだろう。

SL広場は通行人の数よりカメラを抱えた取材者のほうが多いようだ。新橋で一盞の後帰宅。13,416歩。

日曜日に買ってきたしめかざりを家の玄関に掛けた。近所を見回しても、まだ飾っている家は見当たらないので、少々早いのだろうが、やむを得ない。

正月に向けて街の景色が少し変わっている。

家にいても気が乗らないので、年賀状は外で書くことにした。どこか喫茶店にでも居座ろうという魂胆である。そして、投函したらその足で帰省しようと思う。

その前にコンビニに寄る。今年は市販の年賀状を買ってきて、住所氏名だけ絵柄の上から印刷することにした。それもコンビニプリントで。家のプリンタを出すのはやめた。マルチコピー機の前で少々手間取って、後から来たおじさんには申し訳ない。

曳舟駅構内のカフェに陣取って、コーヒー二杯飲むうちに書き終えたので、そろそろ出ようと思う。

ポストを探して歩いて、結局向島郵便局で投函した。

曳舟から浅草、乗り換えて上野駅へ。地下鉄に乗っている間に、えきねっとで指定席を予約した。

予約してしまえば発車時刻まで何もすることはない。手持ち無沙汰なので駅構内を眺め回す。

こんな銅像があったのか。銘板を見ると朝倉文夫の作品らしい。

昭和33年の上野駅開設75周年の式典に列席した朝倉文夫が、自身の誕生年と駅の開設年が同じ明治16年であることを知って、記念に制作したものとある。

ま、今なら裸体の女性像を公共の場所に置こうとすると、ひと議論起きるかも知れない。

ところで、天井から吊られているこのオブジェ?は何だろう。特に説明も見当たらず。

啄木の歌碑。

しかし、普段通り過ぎるだけの駅構内だが、立ち止まって見ればいろいろ面白いものがありますな。

新幹線ホームに向かう地下階も閑散としている。いつもならこのあたりに売店があったように思うが、そうか、あの売店は仮設の店舗だったのか。この状況では店を出しても仕方ないのだろう。

無事定刻の新幹線に乗車した。

ところで、今回初めて、えきねっとの新幹線eチケットというのを利用した。紙の切符が発券されず、チケットの情報を手持ちのICカードに登録するというもの。昔の人間からすれば味気なさもあるが、便利さが勝る。電車の中で、あれ、切符どこにやったかな、と焦ったことも少なからずあったので。決済はビューカードで、登録先は普段使いのPASMOに、ということもできるのもよい。

黒部宇奈月温泉駅で降りるのに、勘違いして、ひと駅前の糸魚川駅で席を立ってしまった。通路に出てそのことに気づいたが、私の席が三列シートの窓際の席で、中央の席の客の前を失礼して通路に出たので、今さら戻るのもきまりが悪い。そこで、一旦糸魚川駅でホームに出てから、改めて自由席車両に乗って、ひと駅間だけ座って行った。

ともあれ帰りついた。4,684歩。

スター

平日だが休み。部屋の片付けに手をつけるが、到底追い付かない。

今年の初めまでは月いちくらいで近所の人たちを家に呼んで、何か適当な口実をつけて飲み食いしていた。誰か人が来るならそれに向けて掃除しようという気にもなる。しかしコロナ禍以後はそういう機会を設けられていないので、今年は例年以上に家の中が片付いていない。

年賀状を出さなければならないが、去年届いた年賀状を見ながら宛名書きをしようと思っていた。ところが、去年の年賀状の束が見当たらない。慌てて部屋の中をあちこち探して、辛うじて見つけることができた。これだけでひと仕事したような気分になる。

お昼をずいぶん過ぎて、遅昼というよりは、もう早い晩飯の時間だが、二階の食堂に。お昼の定食は終わっているから、単品であれこれ頼んで食べた。

曳舟から清澄白河で大江戸線に乗り換えて、六本木へ。

森美術館のSTARS展に。1月3日までの会期だから、今日見ておかないと見逃す可能性が高い。森美術館は平日でも夜まで開いているし、会期も長いので、いつでも行けると思っているうちに終期が迫って、慌てて出かけることになる。

思えば森美術館に来るのもコロナ後初めて。チケット売り場など閑散として、張り巡らされた誘導用のロープが手持ち無沙汰のようである。

本展では、村上隆、李禹煥、草間彌生、宮島達男、奈良美智、杉本博司(展示順)という6名の作家について、過去作から近作まで、数点ずつが展示されている。それぞれの仕事の全容を回顧するにはさすがに規模が小さいが、だいたいこういう人だよ、と言える程度にはまとめられている。

6人の出展作家は世代もスタイルもまちまちで、共通項は日本の現代美術の「スター」として海外の美術界でも名前が通っている人たちということのようだ。出展作家の年表からは、特に海外において彼らが受容されてきた履歴を辿ることができる。さらに、戦後に海外で開催された日本の現代美術を扱った美術展の記録が一覧できるアーカイブ展示も併設されているので、海外(特に欧米だろうが)での日本の現代美術の受容史の上に本展を位置づける意図もあるのだろう。

本展が、とりわけ海外から見たスター作家を選んでいるのは、日本の現代美術の状況をひとつの視点から海外に紹介するというよりは、欧米における日本の現代美術の受容の状況を国内に写し返す趣旨なのだろうか。また、6人の中で一番若い村上隆でさえもう58歳なのも気になった。もっとも、それより若い世代に「スター」がいないということなのかも知れないけど。

ちょっと面白いなと思ったのは、村上隆と杉本博司の、どちらも近作の映像作品。村上氏はアイロニカル、杉本氏はスノッブだけど、どちらも観衆に対してそれをストレートに出してしまったことへの照れを感じる。

全体に、なぜか展示室の雰囲気が仮設っぽく感じられた。美術館というより、イベント会場みたいな。前からこんなふうだったかな。それに引きずられて展示されている作品まで安っぽく見えてしまうように思えた。

個人的には、私が現代美術を見る動機がどんどん薄れていくことへの感慨もあった。もう、現代美術、見なくていいんじゃない?という思い。

ところで、森美術館行きのエレベーターの床面を見ると、social distanceではなく、physical distanceと書かれている。確かに社会的距離と言うよりは物理的距離と言ったほうが明解に思える。

六本木から日比谷線で入谷へ。金美館通りを千束へ歩いて、いつもの銭湯に。

この銭湯に入るのも今年の納め。年末だからか、時間のせいか、ずいぶん客が入っている。変わり湯はラベンダー湯。

銭湯を出て、11時を回っているから、もう飲み屋は開いていない。横目で通り過ぎて帰宅。11,302歩。

串柿

目が覚めて少し頭が重い。洗濯するかどうか迷って、結局しない。

そろそろ年賀状を書かなければならない。沢山出すわけではない。相手は古い知人が多いが、近年は年賀状だけの付き合いになってしまった人もいる。だから出したほうがいいとも言えるし、余計に筆が進まないとも言える。

帰省もしなければならない。上京してこのかた、お盆と正月は必ず帰省していたが、今年は初めてお盆に帰らなかった。正月はどうするか。もともと帰省には気乗りがしないが、帰省する、しないを考えるのも、また面倒で気乗りがしない。

家にいても仕方がないので、駅まで出た。軽く飯でも食うか、と思ったところで、駅頭で知り合いの母子に会った。どこかお出かけですかと聞かれたので、ええ、まあ、とお茶を濁して、改札の中に入った。

三軒茶屋へ。さすがに腹が減った。キャロットタワー下の駅そば屋に。ここに入るのは初めてだと思う。舞茸天そば、卵入り。

生活工房で、しめかざり展を見る。会期は今日まで。

日本各地の正月のしめかざりが写真と実物の展示で紹介されている。縄の形に種類があるのは知らなかったが、中には想像を超える形や大きさのものもある。

おそらく日本じゅうのどの家も、自分の家のしめかざりが当たり前だと思って住み暮らしていることだろう。

さて、私の富山の家のしめかざりはどうだったか。子供の頃のしめかざりを思い出そうとするが、縄の形も、縄と一緒に飾られていたものも、最早記憶は漠然としている。

わが家では、おそらく昔は、近所にあった農協の小売店舗でしめかざりを買っていたのだろうと思う。ということは、市内の農家が片手間に作っていたのだろうか。それが、ずいぶん前にその店舗はなくなり、近年はどこかスーパーでパッケージに入った商品然としたものを買ってくるようになったが、子供の頃のしめかざりとは違うなあと思いながら、最近のしめかざりを見ていた。

縄の形もそうだが、縄と一緒に何が飾られていたか、はっきりと思い出せないのがもどかしい。みかん(だいだい?)はあった。裏白にホンダワラ。串柿も飾られていたように思うが、今回の展示を見る限り、しめかざりに串柿を飾っている例は、奈良県の写真しか見つけることができなかった。

あるいは串柿の記憶は、しめかざりではなく鏡餅の正月飾りと混同しているのだろうか。鏡餅も、かつては自宅でついた餅に裏白やホンダワラなどを添えて飾っていたものだが、近年はスーパーで買ってきたパックの餅を置くだけになってしまった。

ともあれ、玄関のしめかざりと鏡餅の正月飾り、それに神棚のしめ縄は境界領域にあるのだろうと思う。

縄の結び目を見ていて緊縛を思い出した。あれには民俗的なルーツはあるんだろうか。今度機会があったら緊縛師の方に聞いてみよう。

三軒茶屋を出て錦糸町へ。ロフトの一階の花屋でしめかざりを売っていたので東京の自宅用に買った。むろん、子供の頃のしめかざりとはまったく違う代物ではある。

帰宅してそのまま在宅。適当に有り合わせで飯を食って、ぼけっとしているうちに眠くなって寝た。5,504歩。

追加

だらだらと朝寝して資源ごみを出せず。これで空き缶は越年決定。

いい天気。駐車場で猫がひなたぼっこしている。

半蔵門へ。国立劇場十二月歌舞伎公演に。今日は楽日。

第一部の「三人吉三巴白波」を見るのは今月二度目。前回は一階席、今日は三階席から見る。

一幕目、大川端庚申塚の場で、一階席からはよく見えなかった隅田川の川面の表現や、おとせがお嬢吉三から突き落とされて川波の中に姿を消す仕掛けがよく分かる。

おとせから奪った百両を争って、お嬢とお坊が白刃を交える中に和尚が現れる。和尚が投げた半纏が、切り結ぶ剣先を包んで剣戟が止まる。動から静への転換。中央に和尚と百両の財布、左右にお嬢、お坊とそれぞれの白刃を配置したシンメトリカルな造形美が舞台上に現れる。この三角形はまさに巴型をなしていると思う。

上手にはける三人を覆うように常式幕が引かれていく景色が目に残った。

二幕目、巣鴨在吉祥院本堂の場から裏手墓地の場への転換。舞台が回りながら暗転し、再び明かりが点くと、中央に包丁を手にした和尚、左右に血を流すおとせと十三の姿が目に映る。すでに和尚はおとせと十三を手にかけたところだったか。舞台上にはここでも三角形が現れている。

和尚とおとせは兄妹、そしておとせと十三もきょうだいだが、二人はそれを知らない。苦しむ二人に和尚は井戸の水を飲ませ、自分もその水を飲み干す。そうか、これも対称になっているのか。三人の吉三は血の盃を交わして義兄弟となり、実の三兄弟は末期の水を交わして永遠の別れとなる。

大詰、本郷火の見櫓の場。お嬢が火の見櫓に登って関を開ける太鼓を鳴らそうとするところで、櫓がせりになって上下するが、三階から見ると動きがよく見えるとはいえ、この効果の趣旨はちょっとよく解らなかった。

合流した三人は刀と百両を八百屋久兵衛に託し、最後の三角形を観客の目に残して幕が引かれる。

この芝居が今年の観劇の納めとなった。 

遅い昼飯に永田町駅の駅ナカで蕎麦を食べた。案外食べでがある。

有楽町線に乗り換えて東池袋へ。タイムズ スパ・レスタに。

結構入っているが、気になる程ではない。

ところで、レスタは楽天地スパと比べて客層が若いと思う。えてして若い客は数人連れで来ているのは同様だが、なぜかレスタでは客同士の会話がさほど気にならない。

理由を考えてみると、レスタでは浴室での話し声がジェットバスの水音でかき消されるのではないか。また、露天風呂があるので、外の音が入りやすいのだろう。逆に、楽天地スパは浴室内に声が響きやすいと思う。

さらに、レスタではサウナ室のテレビが常に消音されているので、客も憚って静かにしているように思う。サウナ室内のテレビの有無はしばしば議論になるが、消音されていれば、見たくない時は目を閉じていればいい。

これが今年の納めのサウナになるかな。 

遅くならないうちに上がって、池袋から山手線で鶯谷に。鶯谷から歩いて入谷、そして千束に。いつもの銭湯を横目に通り過ぎて、飲み屋に。

生ビールから始めて生ハイボールに。ここでトークンがなくなったので、12枚追加。ということは、また来年もこの店に来ないといけない。

多分、よいお年を、と言って辞去。13,167歩。

ばったり

寝坊してゴミ出せず。

巣ごもり日。コーヒーを淹れようとしたら、紙フィルターをつけずに豆を入れてしまった。ボケか。

某氏からメールで瀧口修造さんのお墓への行き方を聞かれる。26日から富山入りとか。呉羽駅からタクシーに乗るのがよいのではと答えた。上手く辿り着かれればよいのだが。

二階の食堂でお昼。金曜の日替わりはスパゲッティーだが、昨日の昼もパスタだったので今日は回避。柚子胡椒のグリーンカレーに。ちょっと面白い味。

昼飯の帰り、水戸街道でこれから出勤する某某さんにばったり出くわす。しばらく一緒に歩きながら近況を聞くなど。

一日じゅう座っているとお尻が冷える。椅子の上に座布団を敷いたり、電気膝掛けを使ったりするが、どうもお尻の位置が決まらない。

夜は某オンラインイベントに参加するつもりだったが、昨日のやりとりで、申し込んだつもりで正しく受け付けられていなかったことが判明。ぽっかり空いてしまった。

特に予定もないので灯油を買いにいく。

近所の店に晩飯を買いに出たら某某某さんとばったり。実は昨晩もばったり会ったところ。よいお年を、と言いつつ、もしかしたら年内にまた近所でばったり会うような気もする。

最近家では飲まないのだが、久し振りにビールのロング缶を空けたら、面倒くさくなって、そのまま在宅。3,362歩。

生姜

背中の具合はまあまあ。洗濯。朝は持ち帰りサンドイッチ。

昼はパスタ。小柱ときのこのペンネ。チーズの香りが宜しい。シェフの好意で浜田港で上がった鮮魚のフリット。デザートは栗のアイスクリーム。

夕刻、錦糸町へ。パルコの鯛ラーメンの店で鮪ラーメンを食べた。

楽天地スパに。12月の木曜日は生姜風呂というのをやっているというので、一度試してみたかったが、これまで予定が合わず、今日が最後の機会。

赤みの強いお湯の色に戸惑ったが、肌触りは悪くない。生姜を小さく切ったものがネットに入って浮かんでいるが、香りはあまり感じなかった。独特の辛味成分が微かに肌を刺激するようだが、そう思わなければ分からない程度ではある。

水風呂の温度がいつもより少し低めに設定してあるよう。水温計の目視で14~15℃かな?

あ、生姜風呂の日はスチームサウナの温度を上げているというのを試すのを忘れた。

サウナ室のドアに、会話を止めるよう促す張り紙があった。その効き目があったか、今夜は概してお客のマナーは宜しい。若者のグループ客を見なかったからかも知れないが。

私が帰るのと行き違いに若い客がぞろぞろと入ってきた。メリークリスマス。8,298歩。