行きつけのカイロが木曜休みだった
ある人のエッセイで、生家である戦前の大阪の商家を回想して、当時は若い働き手を何人も住まわせていたので…
ある人のエッセイで、生家である戦前の大阪の商家を回想して、当時は若い働き手を何人も住まわせていたので、朝の味噌汁は飲むものというより、彼らの腹を満たすための食べるものだったと。それが、進学先の東京の下宿先で出された豆腐少々にワカメがひらひら、という具の少ない味噌汁に驚いたという。
2015年10月15日のこころのまとめ
- 行きつけのカイロが木曜休みだった ->
- 味噌汁には、「飲む」「吸う」だけでなくて、「食べる」もあるわけだ。具の多い少ないというのは、若者の腹を満たすなどという必要に迫られてなのか、東京-大阪という地域性によるものなのか。 in reply to hiraking ->
- ある人のエッセイで、生家である戦前の大阪の商家を回想して、当時は若い働き手を何人も住まわせていたので、朝の味噌汁は飲むものというより、彼らの腹を満たすための食べるものだったと。それが、進学先の東京の下宿先で出された豆腐少々にワカメがひらひら、という具の少ない味噌汁に驚いたという。 ->