きのうもちょっと書いたが、葛飾区の立石というところに行ってきた。
立石まで何しに行ってきたかというと、別段用事があったわけではなく、駅の近くの商店街を歩いて、立ち飲みでお酒を飲んだだけ。
こんなふうに、ただお酒を飲むためだけにお酒を飲みに行くという、無意味かつ無目的さが、いさぎよくていい、と思っている。
世の中、お酒を飲んだり飯を喰ったりするにも、やたら意味や目的のあることばかりで、息苦しいことこのうえない。特にこの時期になると。
そんな煩わしい世事から離れて、ぼんやりかつゆったりとお酒を飲むのが、本当の姿じゃないかと思うんだけど。
まあそれはともかくとして。
立石に向かう電車が、八広の駅を過ぎて、荒川を渡るとき、なんだかこんなところまで来ちゃったんだなあという、妙な感慨があった。
川向こう、なんて言葉があるけれど、川を一本渡るたびに、実際の距離以上に、心理的な距離がぐんと広がるような気がする。
墨田区の今の部屋に引っ越すまで、ぼくは、隅田川の向こう側に行ったことがなかった、と言い切るのは言い過ぎかもしれなくて、実際には何かのついでに通り過ぎたことはあっただろうけど、少なくともわざわざ駅から降りて街を歩くようなことは、あったとしても一度か二度くらいなものだろうと思う。
まあ、用がなければ行かないよね、普通。
それなのに、いつの間にか墨田区の都市開発に憤りをおぼえるくらい、ここが自分の街みたいに思うようになったのが、われながらおかしい。
さらに今度は、もう一本川を渡って、葛飾区まで来てしまった。
この葛飾区というのも、これまで行ったことなかった。多分。
葛飾柴又にも、行ったことがない。行けば行ったなんだろうけど。
そういえば、学生のとき、キャンパスが都心にある大学だったので、山手線の外側に出ること自体が、まずなかった。
それが、就職した会社の寮が町田にあって、さらに研修所が永山という多摩センターのひとつ前の駅だったから、研修期間の半年間は、町田と小田急永山を新百合ヶ丘経由で行ったり来たり。その後もしばらくは町田から都心に通っていたから、すっかり多摩の人になってしまった。
それまでは多摩地区の地理感覚なんて全然なくって、町田なんて東京のどこにあるのか考えたこともなかったのに、まあ、おかげで駅や路線の大体の位置関係がわかってきた。
今度は、それと同じような感覚が、東京の東側で起こっているということ。
もっとも、そこに川があるかないかで、心象的には、だいぶ違っている。
川を一本、また一本と越えて、お酒を飲みに行くというのが、ものがなしさがつのる。
といいつつ、そんな感傷にひたるのは鉄橋の上だけで、改札を出てお酒を飲み出せば、どこかに消えてしまうんですけどね。