少し前の話になるけれど、小堺一機と柳沢慎吾の二人舞台「不定期ライブマン・コミック君!! テレビくん登場の巻」を見てきた。
会場のクラブeXは、品川プリンスホテルの中にあるのだが、いわゆる普通の劇場ではない。
品プリのホームページには、「ユニークな円形のエンターテインメントバー」とある。
フロアの真ん中に円形の舞台があって、それを丸テーブルと椅子が取り囲んでいる。
ぼくたちのチケットには、C−21テーブル、とあった。
おそらく、一階のフロアがA、B、Cの三つくらいのエリアに分かれていて、それぞれにテーブルが20いくつかあるのだろう。ひとつのテーブルには椅子が4つあるから、それだけで大体300人くらいは入っているか。
テーブル席のほかに個室状になっているバルコニー席もあるし、二階にも個室があるようだ。
普段はステージではバンド演奏やダンスショウなどを上演することが多いようで、そういうのを客席でお酒や食事を取りながら楽しむ場ということらしい。
要するに、キャバレーなのだ。ただ、キャバレーというと誤解があるかもしれないけれど、なんていうか、そういう日本的な誤解のないキャバレー。
別の言い方をすると、店の女の子が付かないキャバクラとでもいおうか(よけい誤解を招くかな)。
ともあれ、あまりこういうお笑いのライブ(と言っていいのかな)では使わない場所だ。
何より、大劇場での公演と違って、舞台と客席との距離がとても近い。
それに、場所が場所だけにといおうか、今回の公演もワンドリンク付きになっていて、入口でチケットを見せると黒いトークンを一枚くれる。それを会場内のバーカウンターに持っていって好きな飲み物と交換してもらうという寸法。
さて、ぼくたちが見に行ったのは、6日間8公演のうち最終日の昼の公演。
まず、とにかく感心したのは柳沢慎吾の芸達者ぶりだ。
ぼくはこれまで柳沢慎吾といっても、ああそういうタレントもいるな程度の認識だったので、実のところあまり期待しないで出かけたのだけど、それがいいほうに裏切られた。
今回の舞台は、タイトルにあるように、テレビがひとつのキーワードになっている。
その中で、柳沢慎吾は、スポーツ中継やドキュメント番組の一場面を、登場人物、実況、ナレーション含めて全部自分だけでやってしまうという一人芸を見せる。
例えば、正月恒例の箱根駅伝。
母校の襷を胸に東海道を走る選手。中継所ではその襷を受け継ぐべく後続の走者が待つ。繰り上げスタートまで残された時間はごくわずかだ。襷を次につなぐことだけを考えて力走を続ける選手。そこで非情にも繰り上げスタートのピストルが鳴る。が、走者はまだそのことに気づいていない。いよいよ最後のカーブを折れて中継地点が見えてきた。が、そこには襷を渡すべき仲間の姿はない。脱力して倒れこむ走者。
数ヵ月後、スーパーテレビでの箱根駅伝の特集。無念にも襷をつなぐことができなかった選手が、当時を回想する。
「あのときの俺は・・・」
そこまで全部、柳沢慎吾ひとりでやってしまう。
まあ、こう文字にしてしまうと、よくありがちなネタのように思われるかもしれないが、柳沢慎吾の場合は、とにかく芸が細かい。
もうひとつ例を挙げると、高校野球中継。
準決勝、横浜高校対智弁和歌山。リードを許している横浜高校、9回裏、最後の攻撃かという場面。
マウンドでは投手が今まさにモーションに入ろうとするところ。テレビカメラはキャッチャーのサインを確認する投手の姿をとらえる。そして画面はバットを構えた打者のバストショットに変る。
このピッチャーからバッターに画面が変る瞬間の柳沢慎吾の動きが、また絶妙なのだ。
そしてこの後、午前11時45分から、高校野球中継は引き続き教育テレビで放送します。
NHKだから、緊迫した場面にこういうアナウンスも挿入される。
とにかく細かなカメラの動きや、ありがちな演出や決まり言葉を観察して芸にしている。
大げさな言い方をすると、ひとつのテレビ批評になっている。
警視庁24時と題した、暴走族とそれを取り締まる警察のドキュメント番組を、やはりひとりでやってしまうのは、テレビでも時折披露しているようだ。
小堺一機も、田中邦衛や田村正和のモノマネで対抗していたけれど、普段テレビで見られない柳沢慎吾の芸を見せられた後では新鮮さに欠ける。むしろ小堺さん自身のネタはなくてもよかったな。
問題は、柳沢慎吾はどうも一人では自分の芸をコントロールできないところで、だから誰か場を仕切る人は必要なのだが、そういうのは小堺さんは適役だから、もう一歩引いて柳沢慎吾の引き立て役に徹するという構成でもよかったのでは。
そんな感じで、ドキュメンタリーやドラマといったさまざまなテレビ番組の一場面を、テレビ好きを自称する小堺・柳沢の二人が、ラーメン屋の主人と客というシチュエーションから、次々に再現していくというのが第一部。
さて休憩をはさんで第二部は、二人がそれぞれ大物芸能人とのエピソードをフリートーク風に話すというもの。
例えば、柳沢慎吾がトンカツ屋で舘ひろしに会ったとか、ロケバスで渡哲也と二人きりで弁当を食べたとか、時代劇の撮影のときに若山富三郎のことをよく知らなくて適当に挨拶したら後で大変な目にあったとか、そういう話。
どのエピソードもそれなりに面白いのだが、フリートーク風の「風」という部分が問題で、当たり前なのだけど、二人が本当にフリーで話しているわけではない。あらかじめ練られた構成があるわけで、お互いの話の内容は事前に十分確認しているのだろう。むろん多少の脱線はある。
さて、そのフリートーク風のコーナーが終わると二人は一旦舞台裏に引っ込み、今度は先ほどまでのトークのネタを盛り込んだ替え歌をレビュー風に続けて歌っていく。大体、時間として2、30分くらいか。
で、その歌のコーナーの締めが、おはロックの「おはー」という箇所を「チョメー」に替えて歌うというものなのだが、最後の最後まで強引にチョメで引っ張ってしまうのはいかがなものか。
というのも、その元ネタは先ほどのトークのコーナーで、山城新伍がADさんに洋服の下からピンマイクを付けてもらうときに、なかなかうまく付けられないで、何度もADさんの手がアッパーカットみたいに顎に当たって山城新伍が怒り出したという話から来ているのだが、チョメというのも、その昔テレビの「アイアイゲーム」で、司会の山城新伍が出題の時にチョメチョメと言っていたという、単にその程度のことなのである。
あんまりチョメを連発するものだから、ぼくはてっきり「アイアイゲーム」以前から山城新伍はチョメチョメという言い回しをしていて、それについて何か面白いエピソードでもあったか、あるいはウラの意味でもあるのか、それで今回の舞台でも、山城新伍ネタということで、しつこくチョメを連呼しているのかと思って見ていた。
ところが舞台が終わってから、同行者に、
「なんでチョメって言ってたか知ってる?」
と聞かれて、
「いやー、アイアイゲームで言ってたのくらいしか知りませんけどねー」
と答えたら、そう、それだよ、ということになった。
なんだ結局その程度の話なのかよ。
だから、正直言ってこの歌のコーナーも要らなかった。
歌でオチをつけて締める構成にしたかったのだろうが、そこまでの流れがミエミエといおうか、結局そういうことになるのね、という感じで、ネタに使われたフリートークふうの部分まで、だんだん色あせて感じられてくる。
最初に言ったように柳沢慎吾はいいんだから、これは構成の問題だろう。
もうひとつ構成に難をつければ、クラブeXというせっかくの場所を生かしていない。
だいたい、あの場に300人以上も客を詰め込むというのはどうか。
できればあの三分の一くらいの客入りにして、もう少しゆったりと楽しみたいものだ。
それからショウの終わり方も、はいこれでもう終わり、という感じで、いかにも客に帰りをせかすような演出なのもつまらない。
この後にまた夕方から最後の公演があるのを思えば仕方もないが、せっかくお酒が飲める環境なのだから、終演後も軽く一杯やりながら舞台の余韻に浸るのもいいのに、いやおうなくお客はぞろぞろと出て行くし、その場に残ってもう一杯、という雰囲気ではない。
そういう意味では、昼の公演というのが、まずふさわしくない。
例えば、こういうのはどうか。
会場は夜7時、8時くらいから開いている。
どこか別の場所でゆっくり食事を済ませてから来てもいいし、仕事を終えて会社帰りに寄っても十分時間の余裕がある。
着席。軽くお酒を飲みながら開演を待つ。
夜9時開演。内容は今回の公演の前半部分、柳沢慎吾の芸達者なところを小堺一機の司会で見せるというのだけでいい。
10時半終演。観客は舞台の余韻を楽しみながら、さらにグラスを重ねる。
ここで電車の時間がある人は帰る。
深夜12時から、今夜二回目の公演が始まる。
こうやって、朝まで時間を気にせずお酒とショウが楽しめる。
ショウの合間には、お店の女の子が客に付いてもいい。そうなるとまるでキャバクラか。

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