久しく虹を見ていなかった。
今年の2月に実家に帰ったとき、ちょっとした用があって富山市に出かけた。
昼間は冬とは思えないようないい天気だったのに、富山駅のホームで帰りの電車を待っていると、不意に空がかきくもり、冷たい雨が降り出した。


冬の北陸の空模様の変化の早さを思い出しているうちに、電車が来たので乗り込んだ。
富山駅では結構な降り方だったのに、30分ほど電車に揺られていると、いつの間にか雨は上がり、鉛色の雲の間から青空が顔を覗かせている。
魚津駅を過ぎたあたりだったろうか。ゆるいカーブに差し掛かった電車の窓から、進行方向のあたりに大きな淡い虹がかかっているのが見えた。
冬の短い日中が終わる間際の虹だ。
夕暮れとともに、虹はぼくたちから姿を隠す。
どうして夜になると、虹は見えなくなるのだろうか。
いや、夜にかかる虹もある、という人もいる。
ぼくは見たことがないが、地域によっては、月の光によって夜空に虹がかかることがあるという。ムーンボウといわれるものだ。
が、ぼくが思うのは、そのような虹ではない。それでは、昼間の虹と夜の虹とは、別のものということになってしまう。
問いの形を変えよう。
夜に虹が見えないのは、虹そのものが夜になると消えてしまうからか。
それとも、虹は昼間と同じように、ちゃんとそこに存在していて、ただぼくたちの目に見えなくなるだけなのか。
虹が発生するメカニズムを考えれば、前者の答えが正解ということになるのかも知れない。
一方で、こんなことを夢想してみる。
夜になっても虹は確かにそこにあって、ほとんどの人には見えないけれど、中には、ほんのひとにぎり、夜空にかかる虹が見える人もいるのではないか、ということを。
あるいは彼女は、そのひとりではないか。ローラ・オーエンズの絵の前で、ぼくはそんなことを考えていた。
明るい日差しの中に物語を見るのはたやすい。
しかし、まがまがしい暗闇にファンタジーを見る人は、ふくろうやこうもりといった夜行性の動物たちの楽しげな歌声に耳を澄まし、どくろの微笑みに相づちをうつ。
そして、暗闇の中の秩序を、夜の虹と笑う月の光で読み解いて、キャンバスに定着させる。
その手法のかろやかさにも心引かれた。
資生堂ギャラリー ローラ・オーエンズ展
http://www.shiseido.co.jp/gallery/exh_0502/html/index.htm

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