やたら寒い日でしたな。
江戸東京博物館に円山応挙展を見に行ってきました。
もともと近現代の作品ばかり見ているのに、また日本画など旧弊なものと思い込んでいるくせに、今回応挙展に足を運んだのは、たまたま懸賞でタダ券が当たったからです。
ま、というわけだけでもないんですが。
わが家から江戸東京博物館まで、徒歩で10分、いや5分くらいかな。
そんな近くにあるのに、3年半前に引っ越して来てからこの方、博物館の中に入ったことがなかった。
ほぼ毎日のように、この巨大な、ホワイトベースみたいな建築物を見上げていたのに。
いつでも行けると思うと、いざ行こうとはなかなか決心がつかないものです。
しかしまあ、そういう尻込みや食べず嫌いは無用なものだと改めて感じました。
いやまず驚いたのは、応挙展のものすごい客入りですね。
会期も今日、明日で終わるということもあるのだろうけど、入場制限しなきゃいけないくらい、入口前に客の行列ができている。
テレビかなにかで宣伝してたんでしょうかねえ。
ようやく展示室に入っても、人がすごくて全然先に進まない。
おかげで、ひとつひとつの作品を時間をかけて見ることができたというケガの功名はあったわけだけど。
展示作品自体の感想については、控えることにします。恥ずかしいから。
応挙の作品がどうというより、すごい基本的なところに驚いたり感心したりするんですよね。
多分日本美術史とか日本画に詳しい人には笑われちゃうんだろうけど。
例えば鶏とか鶴とかを細密な彩色画で描いてるのと、雨に煙る竹林や雪の積もった梅を描いた墨画とは、作風が全然違うわけじゃないですか。
ああいうの、ひとりの作家の中で矛盾なく融合してたんだなあとか。
あと、襖絵なんかでも、襖自体の形が今の時代にないような縦横比だったり、最初襖に描かれてた梅の枝がどんどん伸びて、襖からはみ出て掛け軸になったり。
なんかその、媒体の使い方が野放図ですよね。
それから全然関心のポイントが応挙と関係ないんだけど、日本画って、襖絵とか、屏風とか、掛け軸とか、基本的に作品が移動可能でしょう。
西洋の古典絵画だと、壁画とか天井とか、その場所に固定したものが多いんじゃないの。
掛け軸だと、巻いてまたどこか別のところに掛けたりとか、モバイルだよね。
なんだっけ、今回の応挙の作品でも、掛け軸を5、6幅、それもかなり幅広の軸を使って、それ全体で巨大な波しぶきを描いているようなのがあったけど、あれを分割して掛け軸の作品にする意味というのが、よくわかんない。一枚の巨大な作品、という概念がないのかな。
逆にいえば、巨大な作品を掛け軸の形で移動可能にしているというのが、なんかすごいな。ポータブルな大作。モバイル絵画。
西洋画だと、そういう作品のありかたってないんじゃないのかねえ。
あと虎ね。
虎って、江戸時代の人って、実物を見たことは、まあないわけでしょう。
今回の作品のキャプションによると、長崎経由で入ってきた虎の毛皮なんかで毛並みを研究したらしいけど、虎の実際の動きや表情は想像で描いたわけなんでしょ。
だから、虎を描くのも龍を描くのも、江戸時代の人にとってはあまり距離がないことなんじゃないかな、とか。
実際、動きとか表情が、ぼくらのなんとなく知っている虎とは別なんですよね。
リアリズムというのが、今ぼくらの思うリアリズムとは違うと言おうか。要するに、動物や自然の動きを写真でパチリと撮ったのがリアリズムというのとは、ちょっと違う気がする。
鶴の一瞬の動きや滝の水しぶきを描いた作品を見て、写真もないのによくこれだけ描けるなあとか思ってしまうけれど、おそらくそれは話が逆で、江戸時代の人は写真というものが念頭にないところから出発しているわけだから、動きを写し取るということについて、今のぼくらとは違う考え方があるはずなんだ。
うまく言えないけど、観念としての動きを描いているみたいなところがあるんじゃないの。
で、それが見るものの持ってる観念とピタッと一致して、そこにリアリティや驚きの発生があるみたいな。
鶴にしても、いま写真に撮った鶴を見せられたら、案外応挙の描いた鶴と違ってるんじゃないか。それでも、絵と向き合っている分にはそこにリアルを感じるのは、ぼくらの持っている鶴の観念と応挙の時代の鶴の観念とは、あまり距離がないからだと思う。
ところが虎なんかはそこに距離ができてしまった例で、応挙が描いてる虎にしても、さっき言ったように姿勢とか表情とか目の色とかどこかヘンで、哺乳類というより爬虫類的に見えてしまうんだけど、今のぼくらは写真や映像で実際の虎のイメージをさんざん見ているからそう見えるのであって、江戸時代の人は、あれでものすごいリアリティが掻き立てられたんだろうと思う。
そういう意味では、鶴や鶏を描くのも、虎や龍を描くのも、あるいは幽霊を描くのも、どれもみんな写生で、並列なことなんだろうね。
うーん、でも日本画も見たら見たで面白いねえ。
現代の日本画だと、例えば平山郁夫とか聞くと、それだけで否定的なところから入っちゃうところがあるじゃないですか。
単に日本画の画材を使ってるってだけで、絵そのものはツマンナイだろとか。
でも、少なくとも江戸時代の日本画は面白いね。
今回の応挙とかが日本画の歴史的にひとつのピークだったのかもしれないけど。
あと芸大の日本画科卒で現代美術の作家やっている人って結構いますよね。村上隆とか。
それから日本画の手法っていうか、約束事を使っている人いますよね。山口晃とか。
こないだも、木場の現代美術館で山口晃の作品を見てきたんだけど、中西夏之の公開制作の様子を一枚の巻物絵みたいにしたのとか、完成作品とその下絵を対で展示してあるのとか、面白いねえ。
そういうことでいうと、いま手元に美術手帖の2月号があるんだけど、ここで紹介されてるローラ・オーウェンスの花鳥画? 彼らの作品のほうが、今のいわゆる日本画より、応挙との距離が近いように思える。
最後に、江戸東京博物館は、常設展示見ごたえあるねえ。
ものすごいボリューム。あれだったら、朝から入って、一旦外でお昼食べて、再入場して、それで一日じっくり楽しめるよ。
自分のごく身近にあんなものがあったとは。もうお腹いっぱいです。