書きかけだった末広亭のご報告を続けることにします。
「ニュース速報」ということで、きょうの宝塚記念の結果を報告し出した小沢さん。
その日の宝塚記念は、断然人気のタップダンスシチーがなんと7着、11番人気の伏兵スイープトウショウが優勝という波乱の結果。もし三連単で買っていれば大もうけ。
競馬好きの小沢さん、この話を言いたくてたまらなかったんでしょう。
ところがワタシは、小沢さんと違って競馬は全くわからないの。


上に書いた、どの馬が何着という結果も、翌日の日経を引っ張り出して書き写している次第でありまして、もちろん小沢さんは、ちゃんと馬の名前を挙げて説明されてたんですが、申し訳ないけど、ぼくの頭の中は素通りです。
どうやら、これはぼくだけのことじゃなかったみたいで、この日、小沢さんがいくら宝塚記念の結果を熱く語っても、お客はあんまり食いついてこないの。
反応薄の客席の様子を見て取った小沢さん、しぶしぶ競馬の話題は引っ込めました。
いよいよ本題に入るわけですが、その日、小沢さんの前の出演は、入船亭扇遊師匠でした。
戦前の寄席に、亭号は違うけど、同じ扇遊という名前で、立花家扇遊という人がいたという。
噺家ではありません。いわゆる色物の芸人さんです。
寄席の番組表には、「尺八 扇遊」と書いてあったそうですが、もちろん、すぐそこの歌舞伎町でよくある尺八ではありません。
この扇遊さんという人、高座に上がると、無言のまま尺八を取り出し、おもむろに磨き始める。つまり、尺八を吹くのではなく、拭くわけですな。
外側だけじゃなくて、管の内側まで、細い柄の付いたブラシのような道具で掃除する。
これでもかというくらいに丹念に磨き終わって、ようやくここで演奏が始まるのかな、と思うと、今度はもう一本、別の尺八を取り出して、また同じように丁寧に磨き始める。
その所作がどうにもおかしかったのだという。
それで、結局、最後まで尺八は吹かないのね。それでいて「尺八 扇遊」。
この扇遊さんという人については、前に紹介した「小沢昭一とめぐる寄席の世界」に収録されている立川談志師との対談でもちょこっと触れられている。
というか、小沢さんの別のエッセイでも、この人について読んだ記憶があるのだけど、どういうわけだか、いくら探してもその文章が見つからなくて困った。
ともあれ、若き日の小沢さんに強烈な印象を与えた芸人さんであることには間違いない。
小沢さんの語りは、空襲警報下の銀座の金春という寄席で、一度だけ扇遊さんの尺八の音を聞いた思い出、そして東京大空襲の後、奥さんと手を取り合って倒れる扇遊さんの遺体が見つかったという話へと続く。
最後に小沢さんは、そのとき金春で聞いたという軍歌「戦友」をハーモニカで演奏して、お時間という次第。
ちょっと、ほろ苦い昔語りだったか。
ちなみに、小沢さんの次は紙切りの林家正楽さんの出番だったんですが、最初黙ってハサミを拭いてました(拭き終わると、会場から「もう一本!」の声あり)。
ついでにトリの柳家小三治師匠も扇子を拭いてました。

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