ICCのPossible Futures展に行ってきた。
てゆうか、実際にはまだ展示の半分も見ていない。
いやいや。なんだかこの週末はぐったりと疲れて鬱々とした気分で。
まあ天気も悪かったですけど。
それでも、この日はせっかくキュレーターの解説があるというので、おんなじ入場料を払うんなら、タダでそういう話を聞けるほうがいいだろというセコイ私は、いそいそと初台まで出かけていった次第なのですよ。
展示を半分も見てないというのはどういうことかというと、キュレーターの住友氏のお話がギャラリーAの展示をざっと流したところでおしまいになって、まだギャラリーCもBもあるのに、そこで放流されてしまった。
えー、これでおしまいなの、という気持ち半分。
もう半分は、前述のように、この日の私は冒頭からなぜかお疲れ気味で、これだけ見ただけでもう気力の限界。開放されてホッとした、という気持ちもありました。今日はもういいや。残りはまた来よう、という気分になってしまっていたのです。
もっとも、ギャラリーAのお話が終わった時点で、すでにほぼ1時間近くも解説をしていただいている。このペースで最後までやったらどれだけ時間がかかるか分かったもんじゃない。まあ、仕方ないです。
ICCの5階に上がる階段からギャラリーAの入口にかけて設置してある田中敦子氏の作品。これもよく分からないうちに次の作品の説明になってしまって、じっくり見るのはまた次回にしようというつもりでいたのだが、うちに帰って新聞社のニュースサイトを見たら、その田中さんが亡くなっているので驚いた。
なぜ今、ICCが戦後日本のメディア・アート/テクノロジー・アートの歴史を概観する展示を企画するのか。
まあ、そりゃあいろんな事情があるんでしょうが、ともあれ、表向きにはこういうお話であった。
曰く、作品の性質上、キネティックな作品は保存状態を保つのが難しく、作品を展示するにあたって、再制作の形をとらなければならないものもある。
今年は戦後60年という節目にあたる。戦後ほどなく活動を開始された作家さんたちは、まだご存命で活躍中の方もいるが、亡くなった方も多い。60年というのはそのような時間である。この機会を逃せば、今後、作家ご本人に展示に携わっていただくことは難しいかもしれない。そこで今、このような展示を企画した。
私の意訳であるが、まあ、このような説明を伺った。
今回の展示に関係している作家で、早くから活動されている方といえば、実験工房の山口勝弘氏や、今回個人名義の作品を出展している佐藤慶次郎氏(そういえばこの人の作品をこれだけまとまった形で見たのは、ぼくは今回が初めてかもしれない。なんて言えばいいんだろう。いま佐藤氏の作品を思い出して、その繊細な動く物体がぼくの胸を開けて入ってきて、永久運動のように回りはじめたような、そんなひそやかで奇妙な感覚にとらわれているのだ!)であり、もうひとりは具体の田中敦子氏だろう。
今回の田中氏の出展作品も、当時の図面から新たに再制作したものだという。
そんな話を聞いたばかりなものだから、ウェブで訃報を目にしたときは、あまりといってはあまりな符合に、しばし心は穏やかではなかった。
しかし、こんな話をしだすと、さらに縁起が悪いのだが、前に書いた、オマージュ瀧口展の会場で佐谷和彦氏にお目にかかった日。
応接テーブルを埋めたカタログを前に、過去のオマージュ展の企画について、いろいろお話を伺った中で、パリのアンドレ・ブルトン邸を訪れた瀧口修造とブルトンの出会い。第13回のオマージュ瀧口展では、この二人の面会の写真がフィーチャーされているが、その写真のことも、話題となった。
当時、瀧口に同行してブルトン邸を訪れ、二人と共に写真に写っているのは、若き日の東野芳明氏である。
フジテレビギャラリーから帰宅して、ニュースサイトを見たら、東野芳明氏の訃報が掲載されていた。
これもいやな符合であった。