上野の西洋美術館に「ロダンとカリエール」展を見に行ってきた。
ま、タダ券をもらったからですが・・・。
西洋美術館はかなり久しぶり。
先に全体の感想をいうと、実は結構よかった。感動しました。
これは、ぼくがこの展覧会についてまったく予習せずに出かけたのが、結果的によかったのかもしれない。ロダンについては通り一遍のことしか知らないし、カリエールという画家については、その名前さえ知らなかった。てゆうか、うちに帰って手持ちの西洋美術史の本を見たけど、全然名前が出てないよ。
でも逆に、今回の展示では、そのカリエールという人を回路にして、ロダンについてより深く知ることができたように思う。
フランスの象徴主義の絵画って、よく知らない。詩とかでは言うんですかね・・・。サンボリズム。だけど、ぼくはフラ語もできないし。
本当は、文学とか、ほかの分野との関係の中から見えてくるところがあるんだろうと思うけど。
絵画と彫刻という、この二つの間の関係もそうかな?
まあ、もう少し19世紀の象徴主義の芸術について勉強してみるか。
今回の展示は、このようなお勉強的な部分でも示唆的だったけど、本当はもっと、直感的なところでヤラレた。もっと正直にいうと、官能的なところでイカレた。
階段を降りて、最初の展示室の真ん中に置いてあった、ロダンのブロンズの作品「イリス」。
いやー、これはエロだ。あのポーズ、あのディティール。
しがみついて、ふるいついて、合体したいと思った。
本当にスゴイ部分、何かの本質だけが切り出されて、むき出しのまま、目の前に置かれているいるような・・・。そんな迫力、力強さ。
でも芸術なんだ。でも猥褻。だからいいじゃない、芸術が猥褻でも。猥褻が芸術でも。そういう気分。
きっとロダンって人、エロいですよね・・・。
「イリス」だけではない。あの女性の足の形、体の角度。膝を折って、足の指先が、地面に触れる瞬間。その触感が・・・。ああダメだ。
ロダンのデッサンもいい。例えば、最後のほうの展示室にあった「カンボジア女性の手の素描」。
この手の形、指先の流れ。褐色の、半透明の水彩が、不意に凝縮して・・・。
これを見ているだけで、もうダメだ。どうにかなってしまいそうだ。極端な話。
てゆうか、見ている俺がエロなのか。そうなのか。まあいい。そうだとしても、そうやって触発させる力がある。
それに比べると、カリエールのほうは、やっぱり最後の展示室に、女性の体を描いた作品がいくつかあったけど、ロダンに比べると、おつきあいでエロもやってみました、という感じで、官能度は、低いと思った。
カリエールは、リトグラフがよかった。
油彩画も、ほとんど淡彩かと思うような、暗い、黄土色の画面に、周りの空気の中に溶け出していくような色彩。あるいは、空気の中から、ようようと現れる姿。そのあわいが、判然としない。
これは、電灯のない世界ではないかと思った。例えば、暗闇にランプがひとつ灯された部屋。そのなかに浮かび上がる人の姿。
少なくとも「近代的」ではないな、と思う。前近代的?さりとて、そんな古い時代の作品ではないのだ。それを思うと、むしろ、反近代的、というべきなのか。
その、カリエールの油彩画の中の、溶け入りそうな、光のほのかな遷移が、リトグラフのモノクロームの世界では、抽出されて、いっそう際立つように思った。ある意味、わかりやすくなるのか・・・。
例えば、ロダン彫刻展のポスターに使われたという「彫刻をするロダン」。
彫刻家が手を動かすと、実体のないところから、精気のようなものが、ひとつの流れとなって立ち上がり、気がつくと、それが人体の形をなしている。
そんな、一連の時間の流れまでが、この一枚のリトグラフの中に封じ込められている、そんな思いがした。
国立西洋美術館
http://www.nmwa.go.jp/index-j.html
「ロダンとカリエール」展
http://www.mainichi.co.jp/event/rodin/
私も、少し前に「ロダンとカリエール」見に行きました!
「金欲と色欲」とか「罪と罰」等は深く感銘を受けました!
これからもロダンの彫刻をイロイロ探索したいと思っていますw
ではでは
コメントありがとうございます。
正直、今までロダンも彫刻もあまり関心なかったんですけど、
今回の展覧会以降、にわかに彫刻マイブームになりそうなイキオイです。