三十も過ぎると、自分の年を意識することが多い。
老化とまでは言いたくないが、肉体的にピークを超えたんだな、と感じずにはいられない。
例えば、毎朝ひげを剃る。
が、特に人と会う予定のない週末など、二日ほど続けてひげを剃らないときもある。
あるとき、2、3ミリほど伸びたひげ面の顔を鏡に映してみて、あごひげの中に、ほんのわずかだが、白髪のひげが混ざっているのに気づいた。
そうか、そうなのか・・・、という思いがした。
それ以来、白髪に気がつくたびに、毛抜きで抜く習慣がついてしまった。
ま、ひげの白髪などはまだ些細なことだが、何もしないで放っておけば、毛量は少なくなるし、体重は増える。何とか食い止めなければ、と、無駄なあがきをすることになる。
この前の連休は実家に帰っていた。
実家で犬を一匹飼っていて、普段はぼくの母親が世話をしているのだが、帰省したときくらいは、ぼくも餌をやったり散歩に連れ出すこともある。
ぼんやりと犬と遊んでいて、何気なく顔を見ると、犬のひげの中にも白いのが何本か混じっているのに気がついた。
いや、これは、もともとこういう色だったのだろうか?よく覚えていない。
また、犬のひげとヒトのひげが、解剖学的に同じものなのかどうか、それも知らない。
しかし、この犬も、うちに来て5年半ほどになる。
よく、犬の1年は人間の何年分にあたる、という言い方をするけれど、そうすると、うちの犬も人間の年にすると、40近くになっているのだろうか。
とすれば、ひげに白髪が混じっていても、おかしくもない年なのだ。
近所の親戚のうちに行ったら、庭先でそこの飼い犬がぐったりと寝そべっていた。
もうご老体なのだ。息をするのもやっと、という風で、近くに寄ってもほとんど反応がない。
昔は、そのうちの前を通り過ぎるだけでも、ものすごい勢いで吠え立てられたのに。
うちの犬も、いずれはああいう姿を見せるのだろうか。
そもそも、犬とヒトとではライフスパンが違うのだから、犬を飼っていれば、遅かれ早かれ、その死を見届けなければならない(そりゃあ、ぼくだっていつ死ぬかわかったものではないが、それはさて措く)。
犬よりもずっと命の短い動物だっている。例えば、ねずみをペットで飼っている人がいるけれども、生き死にについてはどう思うものなのだろうか。最初から、すぐに死んでしまうものだと割り切って飼うのだろうか。ぼくは飼ったことがないからよくわからない。
犬の場合は、人と心を通じ合っている(ように見える)から、その老いや死について、余計にセンチメンタルになるのかも知れない。
できれば、犬も人間と同じくらい長生きできればいいのに。
でも逆に、もし、犬の寿命が生まれてから1年ということになったら、いったいぼくらはどんな思いをするだろうか。
そんなことを考えていたら、川上弘美の短編「物語が、始まる」を思い出した。
この主人公の女性は、近所の公園で拾ってきた「雛型」と、ひとときの奇妙な生活を送るわけだが、この小説では、本物の人間ではなくて、あくまで「雛型」だったけれど、もし人間の寿命が人によって全然違っていたら、つまり生まれてから少年になり、大人になり、そして老いていくまでの時間が、ある人は1週間だったり、またある人は10年だったり、あるいは千年だったりしたら、人と人はどんなふうに出会って、恋をしたり、一緒に暮らしたりするのだろう。そんなことを思った。

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