大道芸も笑う

森美術館に行ってきた。
今やっている「日本美術が笑う」、それから「笑い展」、1月末に会期が始まって、もう丸3ヶ月も経つというのに、ようやくノコノコと出かける体たらくだ。
森美術館の企画展は会期も長いし、それに毎晩遅くまで開館しているから、いつでも行けるやと思って油断しているうちに、会期末になってしまう。困ったものです。


* * *
それでは、忘れないうちに覚え書きをしておきますか。
順路に従って「日本美術が笑う」展から。
冒頭、土偶や埴輪の展示。といっても、土偶と埴輪の製作時期には数千年の開きがあるはずなのだが、一瞬、そんな遠さを感じない。
でゆうか、埴輪ってあんな表情豊かだったのですかね。まじまじと埴輪を見たことなど、コサキンの埴輪展以来だが(ウソ)、なんだかもっと抽象的なものかと思っていた。円筒形のものとか。
そうなると、弥生時代の土器はなんであんなにシンプルなのかと思ってしまう。
次。麗子像が「モナ・リザ」、寒山拾得、そして近世風俗画にインスパイアされていたとのキャプション。そうなの?
ということで、このセクションではいろんなスタイルの寒山拾得図が出てくるわけだが、もうここで、寒山拾得という図像がどういう物語性を持つものなのか、こちらは勉強不足でよく分かっていない。自分の勉強不足を棚に上げれば、今の若い人たちもみんなそうでしょう。おそらく、少なくとも数世代前の日本人なら、共有していた物語なのだろうが。困ったものだ。
ここでは、若冲の寒山拾得図も展示されている。寒山と拾得のふたりを、墨一色で三角形の構図に閉じこめた作品だ。
しかし、江戸時代の絵師というのは、ひとりでさまざまなスタイルの描き方を試みているものだと思う。先年やっていた若冲展も、ぼくは見逃してしまっているのだが、まず若冲と聞くと、動物などを微細かつ写実的に描いた濃彩な画面が思い浮かぶ。が、少なくとも今回の笑い展に出展されているいくつかの若冲の絵は、まったく違う作風のものだ。
「男女遊楽図屏風」の中に現れる、水墨画の画中画。ちょっとコラージュっぽくて面白い。これは作者不詳だったように思うけど、同じ人が描いたのだろうか。そうすると、さっきの、ひとりの絵師の中にさまざまなスタイルが同居していた話ともつながってくる。
河鍋暁斎の「放屁合戦絵巻」。ハイビジョン映像で、二巻の絵巻を最初から最後まで見せてくれる。そのキャプションで(あるいはそういう詞書が添えられているのかな)、「貴人の仰せで芋を煮る」という台詞が出てくるのだが、その「芋」の英訳が「yams」になっているのに気づく。さて、この絵巻に現れる芋は、何芋なのだろうか。絵の中の芋は、丸っこくて里芋のようにも見えるのだが。
現代のわれわれが、イモを食ってオナラが出る、なんていうと、まずサツマイモのことを考えるけれど、サツマイモはそんな古いものではないはずだし、暁斎のころはどうだったのだろう。それに、もしこれが同時代の情景でないのなら、余計にサツマイモとは考えにくくなる。いずれにしても、サツマイモの普及以前から、芋と屁が日本人の思考の中で結びついていたということか。
ついでにいうと、yamやオナラと聞くと、フルクサスのことを思い浮かべる。フルクサスは、後の「笑い展」で出てくるので、なんだか呼応しているようで可笑しい。

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