いやきのうは荒金よく打ったねー。
などと、いきなり前置きもなしに切り出しても分からない人はまったく分からないでしょうが、まあいいです。
ゆうべは外出していて中継は見ていなかったのだけど、携帯のホークスタウンのサイトで結果を知って、慌ててうちに帰ってスカパーでプロ野球ニュースを見た。
さて、「南海ホークスがあったころ」の話だった。
前回、この本の話をするのに、往時の南海ホークスへの感傷めいた文章から始めたのは、必ずしも適切ではなかったかもしれない。
タイトルだけをみると、例えば昔の南海ファンによるノスタルジックな(あるいは屈折した)思い出話みたいに誤解されてしまうかもしれないけれど、むしろ、副題の「野球ファンとパ・リーグの文化史」のほうが、本書の内容をよく示していると思う。
この本では、まず、プロ野球をひとつの文化として見て、それを構成する要素のいくつかについて、丹念に歴史的な背景をたどっていく作業を試みている。
具体的には、南海ホークスとパ・リーグを中心に、企業による球団経営と都市開発、また野球ファンという存在の発生と、その応援スタイルが変化する過程などが、メディアや大衆文化、都市計画や建築といった視点から語られる。
いってみれば、学術書なのだ。
ただし、どちらも熱烈な南海ホークスファンだったという共著者ふたり(社会学者と建築学者)が、本書のところどころで、ファンとしての顔を見せてしまっているのが楽しい。
例えば、現在の応援スタイルであるメガホンダンスについてふれたくだりで、
「筆者も、外野席のダイエー・ファンのなかに身をおいてメガホン・ダンスを何度か経験してみたが、一ゲーム分の応援はけっこうな疲労につながった」(306ページ)
とあるが、おいおい実際にやってみたのかよ、しかも何度も、というツッコミを入れずにはいられない。
また、本書で指摘されるまでうっかりしていたのだが、ホークスの打者が出塁すると外野の応援団がトランペットで「線路はつづくよ どこまでも」の一節を演奏するのだけど、いつも何気なく耳にしているこのフレーズも「ホークスが電鉄会社のチームだったという履歴を物語る」のだ。改めてホークスの歴史に思いを至す。
著者は、本書のなかで何度か「球運」という言葉を使っているのだけど、それは、プロ野球が、選手や監督といった個人の存在や個々のプレイ、また母体企業やファンといった要素に還元しきれるものではなくて、そうしたいろいろなものを巻き込みながら流れていく、ひとつの運命であり、大きな物語だということを示す、印象的な表現だと思う。
最後に、今回の近鉄とオリックスの合併騒動も、この本を一読すれば見方が変わるんじゃないかな。少なくともぼくは、読売とセ・リーグにはまったくいい印象を持たなくなった。
本書の著者のひとり、関西大学の永井先生のホームページ
http://homepage3.nifty.com/ynagai/

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