今カミナリが鳴った

吾妻橋のアサヒ・アートスクエアに康本雅子の公演を見に行ってきた。
当日券を買って、入場できるまでしばらく外で待っていたのだが、いやはや、ものスゴイ雨。
アサヒビール本社脇のガラスの大きな庇の下に立っているこちらまで、雨のしぶきが降りかかってくる。空には時折雷鳴がとどろく。


開演寸前になって、会場の中に誘導される。あわてて缶ビールを受け取って、桟敷席に陣取る。
特に舞台がしつらえてあるわけじゃなく、アートスクエアの床面がそのまま公演の場所となるようだ。桟敷席とパフォーマンスをするエリアを区切るように、キラキラ光るモールが床に伸びていて、先は天井に届いている。
会場下手と上手には、何か動物(猫?犬?)の形をしたラメ張りの板が掲げてある。
開演前のざわめきが止まない中、何の前触れもなく、上手から康本氏登場。あまりに静かな現れ方に、かなりの観客は、すでに公演が始まっていることに気づかなかったはずだ。康本氏が手にさげた紐の先には、子供が引きずって遊ぶような、ピンク色のバンビのおもちゃ。
前にも同じようなことを書いたが、この人は自分と自分の踊りをきれいに見せることに、相当自覚的な人だと思った。衣装と照明が、この人の体と動きを実に際だたせる。
康本氏は最初、なんだか練習着の延長線上のような黒いジャージみたいな衣装を着ている。ベリーダンスみたいな音楽と踊り。上の衣装のすそを被って、覆面みたいな格好で踊ったりしている姿が印象に残っているが、まあ、このへんは噺のまくらみたいなものか。
シトシトピッチャン、シトピッチャン、と互いに断片を言い交わしながら、目の前を横断する康本氏ともうひとり(羽太結子さんかな)。この雨だれは、ふたりの体を濡らし、最後には嵐になる。あるいは今日の荒天を織り込んだアドリブなのか。
前回康本氏を見たのは、昨年末のラフォーレミュージアム原宿でのオムニバス形式のダンス・パフォーマンスイベントだったが、そのときも彼女は白い狐の面をつけて、ちゃぶ台をはさんで男のダンサーと相対していたと記憶している。
日本の民話か何かに題をとったのかな、と、そのときは思った。
今回も、後半部で同様の場面があったが、同じモチーフがより厚みを増して繰り返されているのを見て、今度は、これは民話じゃなく、もう神話じゃないかと思った。
今回の公演には、全体を通して動物のモチーフがさまざまに現れる。動物の愛の交歓。あるいは動物と人間との愛の交歓。その攪乱が、新しい何者かを産み出すこと。
前半は、康本雅子と動物たちという感じか。ケモノ(狐と言い切ってよいのかもしれない)を表象しているであろう、毛皮のベストを全員が身に着けている。
ウサギの耳のついた被り物をつけた、ほうほう堂の片割れと男のダンサーが絡み合うようにして目の前の床を転がって行ったのは、ちょっとした衝撃映像だった。
ずっと狐の面をつけていなかった康本氏が、獣の皮を脱ぎ、青い扇情的な衣装に着替え、それと引き換えのように狐の面をつけて現れ、ちゃぶ台を間に男と向かい合う。
その男は、白いシャツを着て、面はつけていない。
ぼくは、狐である康本氏が、人の身なりとなり、人間の男をあざむきながら、一つ家に暮らしているのかと思った。しかし、その男も、一皮むけば獣であった。
捕らえられた狐の康本氏の死と、狐でも人間でもない、新しい何かとしての再生。
とりとめなく書き連ねているのは、公演を見ながら考えていた、あくまで、ぼくの勝手な思い込みである。何も明示的に与えられているわけではない。が、最小限の発声、道具で、それだけ豊かな物語性を感じたものとご理解いただきたい。
狐と人間との境界の往還というモチーフは、ストーリーは違うのだろうけど、狂言の釣狐を思い出したりもした。
最後、康本氏は、例のピンクのバンビをちら、と見せて、共に下手の幕の向こうに消えていった。
* * *
吾妻橋ダンスクロッシングpresents 康本雅子『チビルダ ミチルダ』
振付:康本雅子
出演:新鋪美佳、佐藤亮介、関本麻須美、羽太結子、吉村和顕、康本雅子
会場: アサヒ・アートスクエア
スケジュール: 2008年03月13日 ~ 2008年03月16日
住所: 〒130-0001 東京都墨田区吾妻橋1-23-1 アサヒスーパードライホール4F

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