もう10年以上も前だが、大阪の「売名行為」という劇団の芝居を見に行ったことがある。会場は、確か、新宿のシアタートップスではなかったか。
劇団といっても固定メンバーは3人だけだから、演劇ユニットとでもいうのだろうか。3人というのは、立原啓裕、牧野エミと升毅。あとは公演のたびに関西の他の劇団から助演が入っていたようだ。
別に演劇ファンでもなく、大阪にゆかりもないぼくが、わざわざ彼らの舞台を見に行ったのは、当時よみうりテレビで放送していた「ムイミダス」をTVKだか千葉テレビだかで見ていたからで、ムイミダスには売名行為の3人をはじめ、当時の関西の小劇団の人たちがレギュラーで出演していた。例えば、古田新太や生瀬勝久、山西惇といった人たち。もっとも、生瀬勝久は槍魔栗三助という芸名だったが。
その時、ぼくが見たのは「こどもの一生」という中島らもの脚本による芝居で、どんな内容だったかと言われても、今となってはとてもよかったという印象しか残っていない。この芝居は売名行為としてだけじゃなくて、違うキャストでも上演されているみたいだし、小説にもなっているようだけど、いずれもぼくは知らない。
公演のパンフレットを買ったら、推薦文というのか、何人かのタレントや関係者の文章が掲載されていたのだけど、その中に、シティボーイズの大竹まことも一文を寄せていた。
その、大竹さんの文章がよかった。
昔見た唐十郎やすまけいの舞台の鮮烈な印象と、その頃の芝居仲間や大竹さん自身の今。 
そのパンフレットは実家に持っていったので、実物はぼくの手元にはないが、なんだか大竹さんの根っこにある役者の業のようなものを感じながら読んだ記憶がある。
シティボーイズの3人はみんなそうだけれど、例えば大竹さんのことを言うのに、役者って言っていいのか、それとも芸人と言ったほうがいいのか。シティボーイズライブは、あれはお笑いなのか、あるいは芝居なのか。まあ、あえてそれを分ける必要もないのかもしれないけど、どう言葉を選んでよいか躊躇するときがある。
むろん、大竹さんはじめシティボーイズの3人は、劇団の出身である。
が、劇団出身だろうが何だろうが、芸能界で生き残っていこうと思えば、芸人の顔をしてやっていくしかない。
役者と芸人との距離は、ひょっとすると、客のぼくらが思うよりずっと遠いのだろうか。
おそらく、当時の売名行為の3人もそんな立場だったのだろうと思う。まして大阪のタレントは笑いを求められることが多いから、その意味では東京よりも厳しいのかも知れない。
そういう彼らが、性懲りもなく芝居を打つ。始めたらそんな簡単にやめられないぞ、いや、やめたっていいけどね。いくぶん感傷的になってしまった文章に自分で照れるような、そんな言い回しで、彼らを静かに励ましていた。
それから、売名行為は解散したけれど、シティボーイズはずっと続いている。
しばらく前に買ってそのままにしていた、大竹さんの「結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ」を改めて読んで、そんなことをつらつらと思った。
タレント仲間との日常や、若い頃の追憶、芸人の死、そんな折々の大竹さんの心の揺れが伝わってくる。
大竹さんの文章はいい。いいのは分かっているから、あんまりそれを見せちゃうと、芸人としてはダメ芸人になっちゃいそうだから、欲を出してエッセイ集を次々出したりしないで、10年に一度くらい、ふと、文章のよさを気づかせてくれるくらいがいいです。
その間は、料理本みたいなタレント本でお茶を濁すくらいでいいですから。

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