開始時刻になったのに、お客が私以外誰もいない。
これは困った状況ですよ。
昔の寄席の笑い話で、噺家とお客が一対一、なんていうマクラをたまに聞くけれど、当今の落語ブームのせいか、残念ながら(?)、ぼく自身は寄席でそういう状況に出くわしたことは一度もない。
でもまあ、寄席ではないけど、こんなこともあるんだね。
少しスタートをずらして始めて、その後、何人かぽつぽつと客席に入ってきたけれど、結局、出演者や関係者のなんだか身内みたいな人しか来なかった気がする。
うーん。
いかがなものか。いかがなものか、というのは、いろんな意味でいかがなものか。
これでは、この日のために汗をかいた関係者も報われないし、大げさにいうと、こういうイベントに客が集まらない文化状況(吾妻橋界隈の?東京の?あるいは日本の?)ってどうよ?と思ってしまう。
いや、文化、なんて偉そうなことを言わなくてもね。海のものとも山のものとも知れないけど、なんだか面白そうだからとりあえず覗いてみよう、つまんなくてもビールの一杯も飲みに行ったと思えばいいじゃないの。そういうノリって、みんな、ないのかなあ。
確かに、ないんだ、そういうノリは。
いろんなイベントを見ても、こんなん身内の大会やんか、と言いたくなる例は少なくない。
まず、客が分かれている。そして、同じ客ばかりを相手にしていると、結局身内同然になる。
しかし、ダンスはダンス、音楽は音楽、って、截然と分かれてるのがいいのかねえ。
「アート」って、曖昧模糊として、なんだかユルくて、正面切って口にするには何故か照れくさいところもある言葉ですが、その融通無碍な坩堝の中に、映像も音楽もパフォーマンスも流し込んで、ドロドロになった味を楽しむには悪くない気がする。
が、実際にはドロドロになってるふうを味わってるだけなのね。決定的な衝突とか爆発的な反応とかは巧妙に避けられている。
その上、さらに、メジャーとマイナーという切り分けがある。
美術館に行っても、客が入っている企画は(アニメ関係とか、テレビ局や新聞社がからんでいるとか)は圧倒的絶対的に客が入っているのに、その隣の現代美術の展示は圧倒的絶対的に閑散としていたりする。
世間の大多数はメジャーなほうに大行列をつくり、マイナーはマイナーの中で、さらにカテゴリ別に細分化されてタコツボ化している。
いかがなものか。いかがなものか、なのだが、こんなことは、みんな言ってるよね。どうしようもない。ああ、もう夜が更けた。グダグダ言うのはやめて、寝るか。