北関東の、とある駅前のアイリッシュ・パブ。
明らかにぼくが口開けの客である。
「今日はお仕事ですか?」
ぼろぼろのジーンズにサンダル履きの格好で、仕事も何もあったもんじゃない。
カウンターの向こうから話しかけてくるのは、二十歳をいくつも過ぎているか、どうかというくらいの青年。表情には少年の面影をじゅうぶんに残している。


気まぐれに降りた駅で、反対方面の電車が来たらすぐに帰るつもりだったのが、次の電車まで思いのほか時間がある。どうしたものかと跨線橋の上から辺りの様子を見たら、すぐ駅前のこの店が目に入ったのだ。
近くに大きな工場があるから、東京からの出張者が時々やってくるらしい。さもなければ、ふりの客が入るのなんて、珍しいのだろう。
東京から、酒を飲みに来たんだよ、と冗談めかして答える。
いや、案外、事実なのかもしれないが。
こんなところまで来て、おれはいったいなにをしているのか。
真夏の長い午後も、ようやく日が傾きはじめた。人影のまばらな駅前には、うんざりとするような生ぬるい空気が流れている。
遠い窓から静かに西日が差し込んで、店の中に陰影をつける。
内装もメニューも本格的なアイリッシュ・パブだ。これなら、都心のどこかにあってもおかしくない。こんな場所にあるのが奇跡的だ。そう言ってしまっては、この街にも、この店にも失礼だろうか。
「いいですねえ、東京。楽しいでしょう」
ぼくははっとした。彼の言葉にはひとかけらの皮肉も屈折も含まれていなかったからだ。
東京から2、3時間も電車に乗ればやってこられる街だ。
ぼくは東京からの延長線上にあると思い、彼の中ではその線は途切れている。
というか、この街と東京が同じ線分上にあるという観念自体が、彼にはないのだろう。
ぼくも、こんな純粋に、東京にあこがれていたことがあったのだろうか?
今のぼくは、彼の羨望に応えられるくらい、東京を楽しんでいるだろうか?

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