発電所美術館

入善の発電所美術館で、河口龍夫展を見た。
展示室に入ると、左手すぐの導水菅から聴こえる音に足が止まる。しばし開口部の前に立ち止まり、管の奥を覗きこんだり、音に聴き入ったりして、ふと振り返ると、そこには船が浮かんでいる。
いったい、空に浮かぶ船というモチーフには、ぼくらの想像をくすぐる何かがあると思う。
導水菅から聴こえた音は、幼児の心臓音という。この場所が水力発電所の跡だという思いのせいか、会場じゅうに低く静かに響く音が、何かインダストリアルなノイズに聴こえる。今、発電所や工場で、実際にそういう音がしているのかどうか知らないが・・・。あるいは、そのような機械音の類も、もはや産業遺産の範疇だろうか。


天井から吊された船は、もとは入善の吉原海岸で実際に使われていた漁船らしい。
が、濃いグレーに塗り直された色のせいか、原形はそのままのはずなのに、何か別の使命をおびて新造されたもののようにさえ見える。
船体は菌糸のような無数の突起物を纏っている。それは、銅線の先に蜜蝋で覆われた蓮の種子が付けられたものだという。解説によると、蓮の種子は河口氏の作品に度々使われる素材らしい。もっとも、菌糸だってそれは胞子を内包しているものだろうから、種子とそう距離は離れていないはずだ。とすれば、カビが発酵や腐敗の作用を及ぼすように、船体を取り巻く種子が、今まさに古い漁船を変容させつつあるものと解することは許されるだろうか。
中二階に上がると、「種子をエネルギーに航海する船」と題された連作のドローイング、そして「10年前の雨」というテーマをさまざまに変奏させた作品群が並ぶ。後者は形式的にはボックス・アートと言ってよいかも知れず、またそのうちのいくつかは箱庭の体をなしている。
中二階のバルコニーから、ほぼ船体と同じ目の高さで、会場を見渡すようにしていると、不意にこの瞬間、この美術館全体が、ひとつの巨大なボックス・アートではないかという思いにとらわれる。
それは、この場所に上がる前に、展示室の一階で「時の航海」と題された作品を見ていたせいかも知れなかった。床に置かれた箱の中は、まさに今回の展示全体の縮尺模型になっている。中二階から会場を俯瞰するように見ているうちに、小さな箱と大きな箱と間の照応する関係に気が付いたのだろう。
発電所美術館にはこれまで何度も来ているはずだけれど、この美術館全体がひとつの作品であるという感覚は、ぼくにとって新鮮なものだった。思えば、コーネルのセンチメンタルな箱の芸術のように、この館自体がモダン・エイジの記憶を封じ込めた箱にほかならないのだった。
一階の模型の箱は、作家が今回の展示構想を練るために作られたものでありながら、その模型自体が、会場のまさにこの場所に置かれるべく、あらかじめ構想されていたようだ。
というのも、模型の箱の底面には、さらに小さな模型の箱が置かれている。ここには、箱を内包する箱(を内包する箱)というマトリョーシカの人形のような関係がある。そして、照応する世界どうしを繋ぐように、天井の船と箱の中の小舟とは、糸と錘を介して接続されている。ぼくには、会場じゅうに張り巡らされた回路とその端子のように思われた。
再び中二階に上がって、視線の向こうに浮かぶ船を見ていると、船上に何かビデオ・モニターのようなものが置かれているのに気が付いた。あれは何だろう?
大きさとすれば、オーブントースター程度のものだろうか。空中に浮かぶ船が相手では、そばに寄ってはっきりと確認することもできない。多少のもどかしさを覚えながら、とりあえずぼくの中で、あの物体は魚群探知機のようなものであろうと考えた。漁船としての過去を参照しながら、これからの航海の行方を指し示す何者かの姿を表示するモニターとして置かれたものではないかと。
実は作家の意図は、ぼくの勝手な想像とは別のところにあったようだ。解説によると、これは「船魂(ふなだま)」と呼ばれるボックスで、箱の中には鉛で覆った蓮の種子が納めてあるのだという。「種子をエネルギーに航海する船」の、まさにこれがエネルギー源なのだろうか。鉛の被膜というのも、どこか鉛蓄電池を連想する。
迂濶にも会場を出る寸前まで気が付かなかったのだが、一階の床、船体の真下に並んだ七つの黄色い半球状の器は、北斗七星の形に並べられている。「地上の星座」と題された領域である。
それぞれの器には透明な水がいっぱいに張られ、頭上の船から垂直に降りる糸先の錘がその尖端を浸す。水面には木の葉のように薄い銅製の皿が浮かび、その上にはやはり蓮の種子が載る。加えて、器のうちのひとつには、大きな船に似せて作られたグレーの小舟が浮かぶ。ここでも、二つの世界の間の照応のテーマが繰り返されていることに気付く。小舟には蓮の種子を先につけた銅線が一本立ち、まるでラジコン船のアンテナのようだ。
これら七つの器もまた、天上の北斗七星と照応しているのだとすると、北斗七星のそれぞれの恒星系にも、満々と水を湛えた惑星が存在し、ぼくらの知らない生命体を載せた船が航海を続けているのだろうか。そして、その船は、われわれの世界と、同じ回路で繋がっているのだろうか。
* * *
河口龍夫展-時の航海
会場: 下山芸術の森 発電所美術館
スケジュール: 2008年07月12日 ~ 2008年09月23日
住所: 〒939-0631 富山県下新川郡入善町下山364-1
電話: 0765-78-0621

コメントを残す