もう自分でもわけがわからないのだが、小沢昭一さんが出演するとなったら、いてもたってもいられないのである。
とにかく国立演芸場に駆けつけた。なるべく音をたてないように扉を開けて、背中をまるめて中に入る。桂文我さんの「千早ふる」が、いいところまで進んでいる。
そう大きくはない国立演芸場だが、さすがに客席はほとんど埋まっているようだ。ぼくのように遅れて入ってきた行儀のよろしくない客は、あと数人いるかどうか。
さあ、「千早ふる」に続いては、小沢さんの、随筆ならぬ、随談。
小沢さんを見るのは、4月の紀伊國屋ホールでのしゃぼん玉座公演以来だ。


場内におなじみ「明日の心だ」が流れる。お囃子の生演奏ではなくてテープでしたね。
和装の小沢さんは上手から舞台に登場。やや足取りが重いかな?
座布団に腰を下ろす段になって曰く、最近足が膨らんで(腫れて、だったかな)、座るのはいいが出番が終わって立てるかどうか分からない、云々。
なんだか弱気な発言で客を煙に巻くが、とはいえ、小沢さんもお年だしなあ。あと半年で傘寿、つまり80歳になるそうです。
さて、今回の小沢さんの随談は、いわば、浪曲、浪花節について考える、といった趣き。戦前のラジオの演芸番組で聴いた浪曲の思い出から、虎造、瓢右衛門、相模太郎といった往年の名人。浪曲作家でもあった正岡容師とのエピソード。そして小沢さんのプロポーズも浪曲だったというお話。
そもそも、桂文我さんとの出会いも、大阪のABCラジオで文我さんが司会をしている「おはよう浪曲」という番組に、小沢さんがゲストで呼ばれて以来なのだとか。
文我さんを交えての芸談に入る前に、いったん幕が降りる。幕が降り切ろうとする直前、小沢さんの姿が幕の後ろに今にも隠れる、というところで小沢さんが座布団から腰を上げようとする。さあ小沢さんは見事立ち上がれたかどうか? 結局、ネタにしている。
幕が上がって、まず文我さんが舞台に現れる。そして文我さんに促されて、下手から小沢さんが、なんと小走りで登場! やっぱりこういう年寄りは一筋縄ではいかない。
二人での芸談も、先程の小沢さんの話の流れがあるのか、浪曲についての話題を基調に進んでいったように思う。
文我さんの芸は、直の師匠の枝雀さんと、芸の上ではおじいさんにあたる、そのまた師匠の米朝さんの両方の芸の血を半分ずつ受け継いでいるようだと小沢さん。
この時の小沢さんの芸談からひとつ抜書きしておく。落語家を師匠というように、浪曲師は先生と呼ぶ。ところが、六代目春風亭柳橋だけは先生と呼ばれていた。これは本人が先生と呼ばれたかったから?という話から、柳橋師のNHKの「とんち教室」での回答「切れた電球の使い道、停電のときに使います」のおかしみ。
ちょっと残念だったのは、この後に「地獄八景亡者戯」という大ネタを控えていたせいか、文我さんの進行がやや巻き気味だったところ。もう少しゆったりと小沢さんの芸談を聞きたかったというのは、小沢ファンのわがままか。
が、こういうのはやや物足りない程度がいいのかも知れない。また来年も、この国立演芸場での文我さんの会で、小沢さんと文我さんとの芸談を聞けることを期待して。そのためにも小沢さんには、まだまだ元気でいていただかないと。
「地獄八景」を通しで聞くのは、実は初めてだったかも。録音で米朝さんその他の噺家が演じるのを聞いたことも、ないと思う。
幕が下りて、時計を見たらもう9時半になっていた。終演後のお客さんの帰りの足を考えれば、文我さんが芸談を巻き気味に進めていたのも仕方ないか。
素人の意見と聞き流していただきたいが、精鋭の文我さんにして、このネタの口演には、さらに高みがあるのではないかと感じるところがあった。名にし負う大ネタなのだ。
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桂文我 極彩色高座賑 第二幕 其の四
会場: 国立演芸場
スケジュール: 2008年10月14日 18:30~21:30
住所: 〒102-8656 東京都千代田区隼町4-1
電話: 03-3265-7411

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