ここまで偉そうに痩せ話を続けてきたけれど、一応、確認のために言っておきますが、痩せたといっても別にガリガリになったわけではなく、以前からみて体重がいくらか減ったという、それだけのことです。
世間の人並みからすれば、まあ、痩せてるとは、お世辞でも言えないでしょう。
だから、まだもう少しダイエットは続ける。せっかくの機会なので、できれば、あと5キロくらいは落としたい。
とはいえ、ダイエットを続けるのは、結構ツライことです。
そりゃあ、簡単に痩せられれば、それに越したことはないけれど、ダイエットに近道はない。王道ダイエットというのは、適切な食事制限と適度な運動をすることです。
これはまさに、言うは易く行うは難しで、まず意志が強くないと長続きしないし、痩せようという意志があっても、周りの環境がそれを許さないこともある。
この難しさ、ツラさを思えば、人に軽々しく「痩せろ」なんて言えなくなる。
それに、健康に差し迫った影響がないのなら、あまり神経質に体重を減らす必要もないんだろうしね。
それでも、いま太っている人が、これから痩せたいという気持ちがあるのなら、無理してまで痩せろとは言わないけれど、一回、努力してみる価値はあると思う。
痩せることで、あるいは痩せようと努力することで、見えてくるものもあるからだ。
これまでこの文章にお付き合いいただいた方には、わかっていただけるのではないかと思うけれど、ぼくはこの1年間、ダイエットを続けるうちに、自分や他者についての認識を新たにさせられることが何度かあった。
ダイエットというのは、体重が減ったり体型が小さくなったりと、体がいわば物理的に変化するだけのことではないのだ。自分の内面と外面とが相まって変容していくのを実感するのは、なかなか得がたい体験だと思う。
言い換えれば、極端に痩せたり太ったりするというのは、単なる体の問題ではなくて、その人の内面の状態と切り離すことはできないのだろう。
最近、街ですごく太った人を見かけると、その人の抱える心のひずみについて思いが及ぶようになった(大きなお世話だろうが)。
が、ぼくだってそうなのだ。今もまだ、そのひずみを無理矢理散らしているだけで、ひずみが解消されないままに、遠からずダイエットをやめれば、すぐにリバウンドしてしまうのかも知れない。
もしそうなったら、ぼくはここでまた、次の痩せ話を始めるのだろうが、それはそのときの話だ。