ここまで偉そうに痩せ話を続けてきたけれど、一応、確認のために言っておきますが、痩せたといっても別にガリガリになったわけではなく、以前からみて体重がいくらか減ったという、それだけのことです。
世間の人並みからすれば、まあ、痩せてるとは、お世辞でも言えないでしょう。
だから、まだもう少しダイエットは続ける。せっかくの機会なので、できれば、あと5キロくらいは落としたい。
とはいえ、ダイエットを続けるのは、結構ツライことです。
そりゃあ、簡単に痩せられれば、それに越したことはないけれど、ダイエットに近道はない。王道ダイエットというのは、適切な食事制限と適度な運動をすることです。
これはまさに、言うは易く行うは難しで、まず意志が強くないと長続きしないし、痩せようという意志があっても、周りの環境がそれを許さないこともある。
この難しさ、ツラさを思えば、人に軽々しく「痩せろ」なんて言えなくなる。
それに、健康に差し迫った影響がないのなら、あまり神経質に体重を減らす必要もないんだろうしね。
それでも、いま太っている人が、これから痩せたいという気持ちがあるのなら、無理してまで痩せろとは言わないけれど、一回、努力してみる価値はあると思う。
痩せることで、あるいは痩せようと努力することで、見えてくるものもあるからだ。
これまでこの文章にお付き合いいただいた方には、わかっていただけるのではないかと思うけれど、ぼくはこの1年間、ダイエットを続けるうちに、自分や他者についての認識を新たにさせられることが何度かあった。
ダイエットというのは、体重が減ったり体型が小さくなったりと、体がいわば物理的に変化するだけのことではないのだ。自分の内面と外面とが相まって変容していくのを実感するのは、なかなか得がたい体験だと思う。
言い換えれば、極端に痩せたり太ったりするというのは、単なる体の問題ではなくて、その人の内面の状態と切り離すことはできないのだろう。
最近、街ですごく太った人を見かけると、その人の抱える心のひずみについて思いが及ぶようになった(大きなお世話だろうが)。
が、ぼくだってそうなのだ。今もまだ、そのひずみを無理矢理散らしているだけで、ひずみが解消されないままに、遠からずダイエットをやめれば、すぐにリバウンドしてしまうのかも知れない。
もしそうなったら、ぼくはここでまた、次の痩せ話を始めるのだろうが、それはそのときの話だ。
痩せ話 その10
夏休みを挟んで2週間ぶりにジムに行ったけど、案の定、少し体重が戻ってたなあ。
いちおう休み中も、毎日、犬の散歩程度の運動はしていたのだけど、それだけじゃ足りなかったか。
さて、長らく連載してまいりました痩せ話ですが、本当をいうと、夏休み前にあと1、2回続けて、それでこの話は終わりにしようと考えていた。
それが突然、例のダイエーの産業再生機構活用の話が出てきた関係で、そっちのほうにも触れておかないと気が済まないし、おかげですっかり予定が狂ってしまった。
前回から2週間も経って再開するのは、どうにも間が悪いのだけど、実は書きかけのまま残していた文章もあるので、もう少し痩せ話を続けたいと思う。今しばらく、こりずにお付き合いいただきたい。
体重がガクッと落ちて、まず困ったのは、着る物のことだ。
今年の5月だったか、そろそろ暑くなってきたので、去年作ったばかりの夏のスーツを出したら、ほんの1年前は普通に着ていたのに、もうブカブカで、全然着られたもんじゃない。それでも着てみたら、まるでコントみたいだ。
逆に、去年まではきつくて履けなかったパンツが余裕で履けるようになったし、無理矢理袖を通していたようなシャツが、嘘みたいにすっと袖が通るようになった。
お盆に実家に帰ったら、ちょうど10年前に就職活動をしているころに着ていたスーツが出てきたので、ためしに着てみたら、これが上も下もぴったりと収まる。
そうか、この1年間で、まさに10年前の体型に戻ったということなんだな。
ふと、これまでの10年間を思い起こして、この10年は自分にとって一体何だったんだろう、もしかすると、「失われた10年」というのはこういうことなのかな、などと思ったりする。
この10年間、体重や体型は大きくなる一方だったから、時間の経過イコール体重の増加みたいな思い込みがあったのだが、こうして急に10年前の体型に戻ってみると、なんだか自分が10歳若返ったような、10年前の自分に帰ったような、そんな錯覚がある。ダイエットによるタイムマシン効果とでもいうんですかね。なんだかよくわかりませんが。
そういえば、10年前はこんなことを考えていたなあ、とか、こんなことがやりたかったんだなあ。あれから10歳も年を取っちゃったけど、もしかすると、まだ間に合うこともあるのだろうか。折に触れて、そんなことを考えるようにもなった。
とはいえ、いくら1年間で大きく痩せたといっても、日々の変化はゆるやかなものだ。
朝起きて、自分の姿を鏡に映して見れば、鏡の中の自分はやっぱり昨日と同じ自分で、目に見えて外見が変わっているわけでもない。
それなのに、1年経つと、去年着ていた洋服は、まるで他人の洋服みたいにブカブカだし、久し振りの人に会えば、痩せただの、(これは大げさだけど)誰だかわからなかっただのと言われる。自分の中では、1年前も今も、相変わらずのぼくなのだが。
なんだか、自分が自分であって自分でないような、不思議な感じがする。
痩せ話 その9
前はずいぶん不健康だったんだろうな、というのは、今だからこそ言えるので、本人はそれが当たり前の状態だと思っているから、よほどのことのない限り、積極的に生活を変えようとは思わない。
おそらく、体調にも閾値のようなものがあって、体が我慢できる限界を越えると、とたんに悲鳴を上げだすのかも知れない。ぼくの場合は、それが眼の痛みとして表れたということなのだろう。
別にぼくは、必ずしも健康づくりのためにスポーツクラブに通おうとか、ダイエットをしようとか思い立ったわけではなく、むしろもっと漠然とした考えから始めたことなのだが(とはいえ、前に書いたように、それは切実な要請でもあったわけだが)、いわば二次的な効果として、自分の体と積極的に向かい合うようにもなった。
そもそも、この1年間で20キロ痩せたと書いたけれど、それだって最初から明確な目標があったわけでは決してない。
スポーツクラブというところに通うのも初めてなら、運動らしい運動なんてここ何年もしたことがなかったわけで、果たしてどれくらい続けられるか、まったく自信がなかった。
それが、しばらく続けるうちに、通えば通っただけ効果が表れることがわかってきた。
毎回、トレーニングの前後には、必ず体重と血圧、脈拍を測って自分のカルテに記入することになっているのだけど、新しい用紙をもらうたびに、自分の体重がどんどん減っていくのがよくわかる。
ジム通いの回数と体重減のペースがほぼ比例していることに気づいてからは、自分なりにその折々の数値目標を立てて、それを目安にトレーニングをするようになった。例えば、年末までに体重を何キロにするとか、何月までに何キロやせるとかいったように。1年間で20キロ減を目標にしようと考えはじめたのは、今年の春先だったと思う。
このあたりで、ある心境の変化が起こった。
順調に体重が減っていくのを見るうちに、そうか、おれもやればできるんだな、という変な自信が湧いてきた。まあ、正確に言えば、やればできる、こともある、といった程度のことなのだが、それでも、自ら目標として立てた数字が自分の努力によって達成できたという充実感は、久しく忘れてしまっていたものだった。
むろん、世の中には、いくら努力したってどうにもならないこともたくさんあることくらいはわかっている。が、努力の積み重ねがそのまま成果につながることだってあるんだ、という認識は、ものすごく新鮮なことのように感じられた。
痩せ話 その8
どうして痩せようと思ったのか、それは去年の洋服が入らなくなったからだ、なんて最初のほうに書いたけれど、まあ、そういう部分も確かにあるけども、もっと大きく言えば、ここらでひとつライフスタイルを変えてみようかと思ったのだ。
実を言うと、スポーツクラブ通いを考え始めたころ、ぼくは精神的にかなり参っていた。
今から思えば、あの頃は、重くなりすぎた体を持て余して、その影響が心身のいろいろなところに表れはじめていたのだろう。
そのひとつの表れは、しばしば頭痛や眼の奥の痛みに悩まされていたことで、思い余って錦糸町の眼医者で診てもらったら、眼そのものに悪い箇所があるのではなく、眼の疲れが痛みになって表れているということだった。
また、お酒を飲みすぎた翌朝は、決まって眼の奥がズキズキと痛くなったが、これも、アルコールを分解するには体力を使うから、その疲れが眼に来ているのだろうという。
疲労が原因というなら、それこそ休むしか仕方がない。しかし、眼以外は疲れているという感じはしなかったし、それなら、むしろ、体のどこか具体的な箇所が悪いと言ってくれたほうが、まだ気が晴れた。
気晴らしにお酒でも飲みたいのだが、酒を飲むと眼が痛くなるのは見えている。それを思うと、余計に気分が鬱してくる。
そんな、心と体の状態の悪循環を、なんとかして無理矢理にでも止めたかった。
自分の外的な環境か内的な環境のどちらかが変わらない限り、悪い方向への動きを止められないと思ったからね。
せめて自分の意志でなんとかしようと思ってなんとかなるのは、外的な環境を変えることくらいで、大げさに言えば、スポーツクラブに行ってみようと思い立ったのは、その手段というか、きっかけになればいいなと考えたからなんだけど、実際に循環の方向が変わりはじめたのだろう。去年の6月にスポーツクラブに通うようになってからは、あれほど悩まされた眼の痛みも消えてしまった。
洋服が入らないから痩せたんだ、そりゃあ、運動も食事制限も何もしないで体型が維持できれば、それに越したことはないよ。そんなことは、結果として体重をある程度落とせた今だからこそ、照れ隠しで言うけれども、実際のところ、1年前に比べて体はずいぶんラクになったし、それに、こんなことを言うのはぼくの柄じゃないんだけど、体を動かして汗をたっぷりかくのは、単純に気持ちがいい。
痩せ話 その7
そう考えると、ぼくのスポーツクラブ通いが続いたのも、しょせんぼくが気ままな一人暮らしなのに加えて、たまたま今の仕事の拘束時間が短くて、職場の人間関係に煩わされることも少ないという幸運に恵まれたからだ。
といっても、いつまでこの仕事を続けることになるのか、それはわからないし、また、もし結婚したりすると、家に奥さんや子供が待ってるのに自分ひとりだけジムで自転車こいでるわけにもいかないんだろうね。いや、ダンナがスマートになるというんだったら、それくらい奥さんも許してくれるのかな。まあ、ぼくには当分結婚する予定も相手もないから、そっちの心配は無用なんだけど。
ともあれ、こうやってジム通いをして体重を減らせたのは、ぼくにとっていい機会だったんだろうと思う。この機会を逃したら、今後、こういういい条件が重なることは滅多にないんじゃないかな。
それから、長く続けられたのは、ぼくの性格もあるんだろう。毎回ジムに行くと、新聞を読んだりしながら必ず1時間はエアロバイクに乗っていると書いたけれど、そんな話をすると、人によっては、信じられないという顔をされることもある。体力的なことよりも、1時間も同じ場所でひとり黙々とペダルをこいでいることが信じられないという口ぶりだ。
が、ぼくは、駅前の焼鳥屋で東スポなどを片手に1時間くらいお酒を飲んでいることだって結構あるし、場所が焼鳥屋かスポーツクラブかという違いだけで、その間に心理的な距離はあまりない。もっとも、ジムで東スポを読むのは恥ずかしいので日経にしているけれど(そこがちょっと減点だね)。
だから、ひとりで喫茶店や居酒屋に入って、ぼんやりと時間を過ごすことのできる人なら、ジム通いを長く続けるメンタリティはあるんじゃないかと思う。逆に、ひとりでは喫茶店やレストランには入れないという人(こういう人も結構いる)だと、会社帰りにふらりとスポーツクラブに寄って、ひとり黙々と自転車をこいだりするのは向かないんじゃないかな。
もっとも、人によるんだろうけどね。仲のいい誰かと入会して、そのままずっと二人一緒に通い続けることができるのなら、それはそれでいいんだろうけど。
こうして、ぼくは、きょうもひとり、エアロバイクをこぐ。
まあ、独身者の機械だな。ミシェル・カルージュなら、スポーツクラブのために一章を書き加えたかもしれない。
痩せ話 その6
この話まだ続くのかよ、とお思いの方もいらっしゃるだろうが、1年間で溜まったものをこの際全部吐き出してしまいたいので、もうしばらくお付き合いいただきたい。
スポーツクラブについていろいろと御託を並べているが、ぼくがこんなことを語るようになるなんて、1年前の自分には想像もつかなかった。
だいたい、ぼくは根っからの文科系の人間で、就職してからどころか、大学時代もまともにスポーツなどしたことがないし(普通の体育の授業を取るのがイヤで、わざわざまとめて単位を取れるスキーを選んだくらいだしね)、高校時代だって、それはたいして変らない。
体を動かして汗をかくなんて、ひょっとすると中学校以来のことではないだろうか。
そんなぼくが、かれこれ1年以上もスポーツクラブ通いを続けているなんて、自分でもよくやっているなと思う。
スポーツクラブ通いを長く続けるには、いくつかポイントがあると思う。
まずは場所。普通は自宅に近いところか、職場に近いところを選ぶ方が多いだろう。
ただ、職場の近辺だと休日に出てくるのはおっくうだし、自宅の近くだと、特に通勤に時間のかかる人など、長い間電車に揺られてうちに帰って、それからようやくジムで汗を流す、というのは気が乗らないだろうなあと思う。
ぼくは職場から歩いて5、6分程度の距離に住んでいて、それが運動不足につながる原因にもなったのだけど、近所のスポーツクラブに通う分にはとても好都合で、平日の夜も休日も気軽に足を運べる。
ジムの雰囲気も大事だと思う。今通っている両国のクラブに決める前に、錦糸町にある別のクラブも見学したことがあったのだけど、照明の具合もあったのか、なんとなく暗い感じがして、気が乗らなくてそこはやめてしまった。
あと、その錦糸町のクラブは、やってる人の本気度が高いような気がしたんですね。
スポーツクラブの雰囲気にも種類があって、極限まで体を鍛え抜こうっていうようなマッチョな人たちがガシガシやっているところもあれば、おじさんおばさんが半分ヒマつぶしに通っているようなゆるいところもある(と思う)。
ぼくが通っている両国のクラブは、どっちかというと後者の人も許容しちゃうような雰囲気がある。だから、新聞読みながらバイクこいでも許されるような部分があるんじゃないのかな。あんまり本気度が高いところだと、そういう人は注意されそうじゃないですか。
あと、気楽な雰囲気のジムが適当な場所にあったとしても、やっぱり仕事が忙しいとそうそう頻繁には通えないでしょう。
ぼくの今の仕事では、普段はだいたい7時前には上がっているしね。7時に上がれば、それからうちに帰って着替えてからでも、じゅうぶん8時にはジムに入っていられる。
前の会社に勤めていたときは、夜の11時、12時まで残っていることもザラだったし、早く上がっても、職場の人たちと一緒にメシを食いに行くことも多かったから、平日に2回も3回もジムに行くなんてことは考えられなかった。むしろ、特に入社したばかりの頃など、ほとんど毎日のように会社の人たちと飲みに行っていたような気がする。
早く帰りづらい雰囲気の職場だったり、職場の仲間で飲み食いすることが多いところだと、スポーツクラブに行くからと言ってひとりだけ先に抜けるのは難しいだろうなあと思う。
痩せ話 その5
食事制限だけで体重を減らすのは、どうしても限界がある。
たまにはうまいものも食べたいし、お酒も飲みたい。
やはり、入ってくるカロリーを減らすだけではなくて、出ていくほうのカロリーを増やさないと、効率のいいダイエットはできない。言い換えれば、その両方がうまくかみ合って、いい循環になっていくのだろうと思う。
前に書いたように、ぼくは去年の6月から両国にあるスポーツクラブに通っていて、平均すると週に3回くらいは行っているはずだ。もう少しペースを上げたいという気持ちもあるし、実際、週に4回、5回と行くときもあるのだが、逆に連休で帰省していたりして、しばらくご無沙汰してしまうこともあるから、そううまくはいかない。
いろいろな会員種別があるのだけど、ぼくはナイト&ホリデー会員というのになっていて、平日は夜の8時から11時まで、週末なら終日施設が利用できる。
よくあるのは、こういうパターンだ。
平日、仕事を終えて、いったんうちに帰って着替えてから、タオルやスニーカーを持って出かける。8時から、まずはジムのマットで15分間ストレッチ、それから軽くウエイト。体が温まったところでエアロバイク。新聞や雑誌を読みながら1時間こぐ。終わるころにはTシャツが汗びっしょりになる。クラブの風呂に入って汗を流す。うちに帰って軽く食事を取る。
休日(前日の夜に飲みすぎたとする)、クラブは朝の10時から営業しているので、まず風呂に入って前夜の酒を抜く。その後は平日同様にストレッチ、ウエイト、バイクのセット。Tシャツを着替えてバイクをもう1セット続けることもある。風呂に入って帰る。
ご覧のように、トレーニングをする前には、なるべく食事は取らないようにしている。最初の頃はどうしてもお腹が減ってしまって、牛丼屋に寄ってからクラブに行くという、運動の意味があるのかないのか分からないようなことをしていたこともあったけれど、今では、何か口にするにしてもサンドイッチ程度にするか、むしろ何も食べずにジムに入ることが多い。
空腹時に運動をしたほうが脂肪を燃焼する効率がよいという話を聞いたし、また空腹感というのは時間が経つといつの間にか消えてしまうものだ(おそらく、体脂肪の燃焼が始まるのではないかと思う)。それに、しばらく続けているうちに、多少の空腹感は我慢できるようになった。
休日の午前中にトレーニングをするときも、朝は基本的に何も食べない。が、平日の朝は別で、会社に行く前はサンドイッチ1個でもバナナ1本でも、必ず何か口にするようにしている。というか、そうしないと午前中は調子が悪くて仕事にならない。ジムで体を使うときと、会社で頭を使うとき(それほど使っているわけではないけれど)では、栄養の回りも違うのだろうか。
トレーニングの前に食事はしないと書いたが、アミノ酸飲料を飲んでからジムに入ることは多い。具体的に商品名を挙げると、ぼくはずっとヴァームを飲んでいる。
ぼくの実感として、運動前にヴァームを飲むのと飲まないのとでは、バイクをこいでいるときの汗の量や体の疲れ方が違うような気がする。まあ、広告などの暗示効果もあるのかな。
ちなみに、ヴァームといっても、ぼくが飲んでいるのは、ヴァームウォーターという500ミリのペットボトルではなく、缶入りのヴァーム190のほうだ。雑誌で読んだ話だけど、アミノ酸の濃度がある程度濃くないと効果がないそうで、ヴァームウォーターの濃さだと気休め程度の効き目しかないらしい。それで、ぼくは運動前に一番濃いヴァーム190を飲んで、バイクをこいでいる間は普通のミネラルウォーターを飲んでいる。
まあ、ヴァームも必ずしもおいしいとは言えない味だし、また、ほかにもいろいろな会社からアミノ酸飲料やサプリメントが出ているから、それぞれ自分の体に合ったものを見つけて飲まれればよいと思う。
痩せ話 その4
だから、これから痩せたい、痩せよう、という人は、まずはスポーツクラブなどで自分の基礎代謝量を測って、その数字を意識するといいと思う。
極端な話、常に摂取カロリー量が基礎代謝量以内に収まっていれば、どんなに運動不足の人でも、必ず体重は減っていくのだから。
むろん、前に書いたように、基礎代謝量は生きていくうえでの最小限のカロリー消費量だから、普通に生活するだけでも、実際はそれ以上のカロリーが必要になる。例えば、デスクワークの男性の一日の所要量が2000とか2500キロカロリーとかといった数字も目にする。
が、現在標準体重だという人ならともかく、これから痩せようという人が、そっちのほうの数字ばかり目安にするのはどうかなと思う。
というのも、毎日必ず同じカロリーの飲食をしているのならともかく、時にはお付き合いなどで飲みすぎ、食べすぎのこともあるでしょう。
だから、ダイエットをするなら、普段は摂取カロリーをある程度低めに心がけて、たまにはハメを外すときもある、というくらいにしておかないと、体重を減らすのは難しい。
改めて思うのは、現代の普通の都市生活では、太らないようにするだけでも大変で、そこからさらに痩せようと思うと、二倍、三倍の努力が必要だということだ。
仕事内容がデスクワーク中心で、日常的に体を動かす機会のない人が、おいしいものを好きなだけ飲んだり食べたりしていては、太らないわけがない。せめて、食べ物に気をつけるか、運動を心がけるかのどちらか一方でもしないと、今の体重を維持することもおぼつかない。
食事について、実際にぼくが心がけていたのは、こういうことだ。
まず、なるべく油物を口にしないようにする。揚げ物は食べない。炒め物も控える。サラダにマヨネーズはかけない。油ギトギトラーメンは食べない。
次に、肉を控える。なるべく肉よりも魚にする。肉を食べるときは、牛よりも豚、豚よりも鶏を食べる。鶏を食べる時はできるだけ皮を取る。
これで、大体、守れている。人付き合いの席で出されたようなときは仕方がないが、それでもカツやフライの類は、この1年間、月に一度食べたかどうか、という程度だと思う。
炭水化物については、それほど意識しなかったけれど、前より食べる量は少なくなっているかもしれない。
アメリカでは炭水化物を極力食べないようにするダイエット法を実践する人が多いそうだが、アメリカ人に比べて肉より炭水化物の摂取の多い日本人には合わないという話もあるし、単純にカロリーの値だけをみれば油のほうがずっと高いのだから、むしろ油の摂取に気を使ったほうがよいのではないかと思う。
油の種類によっても違うのだろうが、脂肪は1グラム当たり9キロカロリーあるらしい。
だいたい、10分間走るか、一生懸命自転車をこぐかで、100キロカロリー使うかどうかだ。
ということは、油物を10グラム控えれば、それだけで自転車10分分の価値があることになる。
お酒はそこそこ飲んでいる。よく、アルコールはエンプティカロリーだから、お酒のカロリーは気にしなくてもよいという話を聞く。その説が本当なら、ビールや日本酒といった醸造酒よりも、焼酎やウイスキーといった蒸留酒のほうが太らないということになる。
その説の真偽はともかく、確かに、ぼくの感じでも、お酒自体はあまりダイエットに関係ないように思う。むろん、酒のつまみとしても揚げ物や肉を控えるのは当然だが。
また、お酒を飲んだらご飯は食べない、ラーメン屋には寄らない、というのが鉄則だ。
鉄則なのだけど、飲んだ後のラーメンの誘惑には逆らいがたい。普段は意志を強く持っていても、お酒を飲むとどうしても冷静な判断力を失ってしまう。
まあいいや、今日ぐらい、ということになってしまいがちなのだけど、これはもう、うまいラーメン屋のある通りは避けるとか、ラーメンが食べたくならないくらい酔っ払うとか、その程度しか対策は思いつかない。
一軒目は外で飲んでも、二軒目はうちに帰って飲み直す、というのもひとつの手だろう。
ちょっと飲みすぎたな、という日の翌朝は、ジムに行って少しきつめに自転車をこぐ。すると、いつもより余計に汗が出るような気がする。ペダルも心なしか普段よりも軽い。酒で溜まったエネルギーを使うからだろうか。
痩せ話 その3
では、どうすれば痩せられるのか。
これは簡単な話で、摂取カロリーより消費カロリーが多ければ痩せられる。
つまり、算数の問題だ。自分の一日あたりの摂取カロリー量と消費カロリー量を認識して、入ってくるほうを減らすか出ていくほうを増やすかすれば、必ず体重は減る。
言葉にすれば簡単だけど、言うは易く、行うは難い、といった類の話だろう。
が、それ以外に方法がないのも事実だ。
手始めに、自分の摂取カロリー量を認識するのが一番簡単かもしれない。
毎日の食事を外食やコンビニ弁当ばかりで済ませている人も多いと思うが、ファミレスのメニューにはカロリーが記載されていることが多いし、コンビニで売っているおにぎりや弁当のラベルにも大抵カロリーが印字されている。その数字を足しこんでいけばいいのだから、むしろ外食のほうが摂取カロリー量の管理は簡単と言えないこともない(ここで不満なのは、ファストフードのメニューにはカロリーが書いていないことが多いことだ)。
ともかく、そうやって、自分の一日の摂取カロリーが分かったとする。
次に、消費カロリーのほうはどうか。
基礎代謝量という数値があって、これは横になってじっとしていても内蔵の働きや何かで消費される、最小限のエネルギー消費量なのだという。
ぼくは去年の6月から近所のスポーツクラブに通っていて、このことは後で気が向いたら改めて書こうと思うけれど、最初、そのクラブの一日体験企画に参加したとき、たまたまその時期にインボディ測定会というのをやっていて、ぼくもよく分からないままに測定してもらうことになった。
インボディというのは、体内に微弱な電流を流して、体脂肪量や筋肉量などを測定する機械らしい。測定が終了すると、いろんな数値が印字された紙が出てくるが、その中で自分の基礎代謝量も分かる。
ぼくの一日あたりの基礎代謝量は、その時点で1800キロカロリーという程度ではなかったか。今では多少筋肉量が落ちているから、1700を切るくらいか。つまり、基礎代謝量というのは、筋肉量に左右される部分が大きい。太ると脂肪ばかりが増えるわけではなく、重くなった体を動かすためにはその分筋肉も必要になるから、ある程度は基礎代謝量も大きくなる。
この1800キロカロリーという基礎代謝量は、決して少ないほうではないが、要は、最初に書いたように、摂取するほうとのバランスの問題だ。
その頃のぼくは、休みの日になると、お昼にコンビニ弁当を買って、それだけじゃ物足りないからサンドイッチも買って、ついでにジュースも買って、ということも度々だったのだけど、弁当の種類によっては、これだけで一日の基礎代謝量にほぼ匹敵するくらいのカロリー量に達してしまう。
初めて基礎代謝量という数字を突きつけられて、普段の食生活を考え合わせると、正直かなり焦った。
痩せ話 その2
どうして痩せようなんて思ったんだ、さてはコレだろ(小指を立てながら)、と言った人もいたが、残念ながらそういう色っぽい話ではない。
実際は、もっと現実的な話で、要するに、去年の洋服が入らなくなったのだ。
ぼくは割とスーツを着るのが好きで、だいたい毎シーズンに1、2着は買っている。
今の職場も、ほんとうはカジュアルな格好でもいいみたいだし、また基本的に内勤だから、外部の人と会う機会もそんなにないのだけど、それでも毎日スーツを着て出社している。
スーツを着ると、いかにも自分がサラリーマンだ、という感じがしていい。
ちょっと倒錯したような言い方だけど、まあ、ぼくの頭のどこかに、給与生活者としての自分を突き放して見ているところがあるのだろう。また、今の仕事内容が、およそ世間一般のサラリーマンらしくないということもある。
何よりも、スーツは制服みたいなところがあるから、着るものにあまり頭を使わなくて済むのがいい。スーツ、シャツ、タイ、靴とベルト、このへんの組み合わせをちょっとずつ変えていけば、それなりの格好はつく。これが私服だったら、何を着ていこうか毎朝悩んで出社が30分以上遅れることだろう。
それにぼくは、サラリーマンのカジュアルスタイルというのがどうも嫌いだ。まわりを見ていると、休みの日におじさんがゴルフに行くような格好をしている人が多い。
いくらカジュアルといっても、例えば襟付きのシャツを着たり、ちゃんとベルトを締めてシャツをパンツの中に入れたり、といった程度のコードは(不文律にせよ)ある。Tシャツに短パンにサンダルという格好ではよろしくないわけだ。
でもぼくは、どうせカジュアルというなら、そこまですればいいのに、と思う。それができないのなら、むしろ、きちっとスーツにネクタイ姿、というのがいい。スーツならスーツ、カジュアルならカジュアル、ちゅーとはんぱやな、ということだ。
話がだいぶ脇道にそれてしまった。
シーズンごとにスーツを買っていると書いたけれど、それは別におしゃれとかそういうことよりも、去年買ったスーツがきつくなっているからだ。毎回、衣替えの季節になると、そういう事実に直面する。
ぼくは新宿の伊勢丹でスーツを買うことが多くて、10年近く顔なじみの店員さんもいる。
別に高級ブランド品やオーダーメイドのスーツを買うわけでもなく、ぼくの手の届く範囲などたかが知れているが、それでも、いつもの売場に顔を出すと、すぐにお奨めの品物を出してサイズを合わせてくれる。ネームの刺繍やパンツの裾の折り方といった細かい希望も、全部承知の上だから、余計な手間がかからない。
今思うと、それも良くなかったのかも知れない。量販店に行って既成のサイズからいちいち選んでいくとなると、おのずと自分の体型の変化を意識せざるを得ないのではないか。
ひらきさんは量販店でスーツ買っちゃいけませんよ、なんて言われていたけれど、それはもちろん営業トークもあるだろうけど、実際問題として、量販店の既製服のサイズには収まりきらない体型になっていたのだ。
だんだん露悪的な話になってきたぞ。