大きなキャンバスいっぱいに描かれた寿司桶に、まず息を呑んだ。
寿司桶の中には、海老、イクラ、白身。ひとつが人の頭ほどもありそうな江戸前の握りが並ぶ。
画家は、セザンヌやマチスの絵が好きなのだと言う。
そんな泰西名画のタッチで、お寿司。
どこか、可笑しい。そして、画家もその可笑しさを意識しているのだろう、キャンバスの隣に、鮪の握りがひとつ。宙に浮かぶように、白い壁に写真を貼り付けている。
しかし、どうしてこの絵が可笑しいのだろうか。
併せて掲げられている、リンゴの静物画は、別段可笑しくない。

同じようなタッチで描いているのに、なぜか寿司は可笑しく、リンゴは可笑しくない。
これは、寿司の本質に、何か笑いを誘うものがあるのか。それとも、寿司を描くという行為が可笑しいのか。
いったい、これまで画題として寿司を取り上げた画家はいるのだろうか。
ひょっとすると、古今東西の画家で、正面切って寿司を描いたのは、彼女が初めてではないのか。
このキャンバスの中の寿司桶を前にしたときの驚きと可笑しみは、高橋由一が「鮭」だの「豆腐」だのを画題として以来のことではないだろうか。
勢いのままに、そんなことまで空想する。
在廊していた画家が、熱いお茶を出してくれた。お茶とお寿司。これも何か考えがあってのことか(必ずしもそういうわけではないそうです)。

ところで、寿司とリンゴの話。
太宰治は「人間失格」の中で、主人公たちにこんな言葉遊びをさせている。曰く、
「名詞には、すべて男性名詞、女性名詞、中性名詞などの別があるけれども、それと同時に、喜劇名詞、悲劇名詞の区別があって然るべきだ、たとえば、汽船と汽車はいずれも悲劇名詞で、市電とバスは、いずれも喜劇名詞、なぜそうなのか、それのわからぬ者は芸術を談ずるに足らん」云々。
彼らに倣えば、寿司は喜劇名詞、そしてリンゴは悲劇名詞、ということになるのだろうか。なぜそうなのか。それは一向によくわからない。

海老の身に走る青が印象的だった。それはリンゴの絵でも。
あなたは血の中に青の気配を見ることはできるだろうか?

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倉持幸子 展
会場: Art Trace Gallery
スケジュール: 2009年02月06日 ~ 2009年03月03日
金曜日は21:00までオープン。
住所: 〒130-0021 東京都墨田区緑 2-13-19 秋山ビル 1F
電話: 050-8004-6019