ゆうべアサヒ・コムを見ていたら、放送大学名誉教授の阿部齊先生が亡くなったという記事が出ていて驚いた。
というのも、ついこの間まで、ぼくは阿部先生の授業を取っていたのだ。
これはちょっと説明が必要ですね。
実は、この4月から、ぼくは放送大学の学生になっている。
放送大学の区分でいうところの選科履修生というやつで、1年間、自分の興味のある科目を取って勉強することができる。
学生といっても、卒業して学士の資格をもらおうというのではない(そういう学生を放送大学では全科履修生という)。


ただ、選科履修生も選択した科目の単位取得ができるし、そのための認定試験もある。取得した単位は、全科履修生に切り替えたときもそのまま有効らしい。
学士の資格は、いちおう前の大学でいただきましたから、別にいいかなと思って選科履修生にしたのだけど、気が向いたら3年次編入でもして、もうひとつ大学を卒業したことにするのもいいかもしれない。
放送大学では、1年間が第1学期と第2学期に分かれていて、学期毎に授業を行うことになっている。第1学期の場合、4月から7月までの間に15回の放送授業がある。
放送大学だから、普段はテレビやラジオを通して講義を受けるのだけど、学期の途中に1回通信指導があるし、学期末の単位認定試験のときは、実際に近くの学習センターに出向いて試験を受ける必要がある。むろん、ぼくも受験した。
15回の放送授業を受けて、6月頭に通信指導を提出して、7月末に試験を受けて、その科目の講義はおしまい。それで1科目あたり2単位をもらえる。
第1学期にぼくは合わせて3科目履修したのだけど、そのうちの1科目が、今回亡くなった阿部先生が主任講師のひとりを務めていた「表象としての日本」という授業だった。
これは、主に幕末以降、ヨーロッパやアメリカにおいて日本がどのように表象されたか、それが彼らにどのような影響を与え、さらに翻って日本人自らがどのような影響を受けたのか、ざっとそんな感じの授業で、取り扱う分野も、日本の社会や政治、芸術と多岐にわたる。
阿部先生はアメリカの政治学が専門なので、アメリカにおける日本論や天皇制理解の系譜について講義をされていた。
放送授業だから、もちろん先生と直接顔を合わせる機会などないのだが、試験前の時期などは、ビデオに撮って何度も何度も繰り返して授業を見ていたから、普通の大学の授業などより、余計に先生の顔を目にしていたかもしれない。
この「表象としての日本」は、今年から新たに設けられた科目なので、放送授業の録画だって、そんなに前のことではないに違いない。あるいは、急死という感じだったのだろうか。それに、71歳で亡くなったというから、まだちょっと早い。
改めてご冥福をお祈りする。
アサヒ・コムの記事
http://www.asahi.com/obituaries/update/0914/001.html

コメントを残す