二度寝、三度寝くらいしたのかな。起き出して朝飯代わりにいちじくを食う。
折り畳み傘をカバンに入れて出ようとしたら、もう雨が来そうだったのでビニール傘に替えた。
少々早昼で、こぐまの焼きカレー。近いのに滅多に来なくて申し訳ない。申し訳ないついでに、ストリートピアノのチラシを置かせてもらう。
靴郎堂本店さんの軒下プロジェクト参加作品。初めてちゃんと見た。
東向島珈琲店に寄ったら棟梁がいたので、前日のカミソリ堤防BAR等についてしばし雑談、というか棟梁礼賛。ストリートピアノのチラシはあんまり減ってなかった。
恵比寿へ。LIBRAIRIE6の井桁裕子さんの展示は本日最終日。前回はストリートピアノの説明ばかりしてしまって肝腎の作品をちゃんと見てなかったので、再見。
こちらはやきものはまったくの門外漢なので、在廊していた井桁さんに、頓珍漢なことをいろいろ伺ってしまう。球体関節人形の素材に使っている粘土は石粉粘土といって、やきものに使う粘土とは別なのだそうだ。
多くの作品では手が一本しか見えないのに気づく。それも、実際の人体を考えると、不自然な場所から手が現れている。ひとつは、造形上の自由度に係わるらしい。
もうひとつは、愛する二人が身体を寄せると、時に腕が邪魔になるということらしい。
新宿三丁目へ。KEN NAKAHASHIに松下まり子さんの展示を見に。予約した日時がすっかり頭から抜けていて、中橋さんには失礼した。
人間とも怪物ともつかない異形のひとがたが、こちらに向かって両手を広げて立っている。大きな掌に包み込まれるようである。何かを握りつぶしている手もある。人間に潜む怪物性の表れのようでもあるが、人間に対するペシミズムを突き詰めて、最後笑うしかなくなって、反転したようなポジティブさがある。また、そんな芸当ができる人を芸術家というのだろう。
半蔵門へ。国立劇場の9月文楽公演に。第三部と第四部は、もともと公演初日の9月5日に観劇する予定だったが、公演関係者に発熱の症状が出たということで、急遽その日の第二部以降の公演が中止になってしまった。慌てて今日のチケットを取り直した次第。
第三部は「絵本太功記」。尾田春長(史実の織田信長)を討った武智(明智)光秀が真柴久吉(豊臣秀吉)との対立に至る物語だが、そうか、今年の大河ドラマは明智光秀が主人公なんだ。普段テレビを見ないものだから、芝居を見ている時はそのことに思い至らなかった。
光秀が春永を討った後、都を逃れた光秀の母が隠れ住む尼崎の侘び住まい。近所の百姓たちが唱える南無妙法蓮華経の声がけたたましい。老母は夕顔の白い花にじょうろで水をやっている。そこに光秀の妻が息子の許婚とともに訪れる。居並ぶ三体の衣装が目に残る。母は辛子色、妻は藤色の衣装、そして娘は鮮やかな赤姫。三代の女の姿から、女の一生の諸相を一望するようである。
光秀の息子十次郎は、討死必至の初陣を前に、まだ祝言を挙げていない許婚の初菊と離縁しようと独りごつ。しかしそれを隠れ聞いた初菊曰く、「二世も三世も女夫ぢやと思うてゐるに情けない」、この二人は未だ「二世を結ぶの枕さへ、交わす間も」ないというのに。かくも自分にかかる宿命を我が事とできるのか。それが宿命というものか。
母の死を思い切るように、光秀は母が丹精していた夕顔の実を一刀のもとに切り落として、久吉との対決に向かう。光秀もまた抗えない宿命に引き寄せられていく。
第四部は「壺坂観音霊験記」。盲目の夫と信心深い妻の夫婦だが、夫は病をはかなんで谷底に身を投げ、夫の死を嘆く妻も後に続くが、観音菩薩の慈悲により夫婦は蘇生し、夫の目も見えるようになって、めでたしめでたしという話。登場人物は夫婦と観音様だけで、筋もシンプル。この物語を文楽で見るのは初めてかも。
まったくの個人のルサンチマンだけど、この物語のように、相思相愛の二人がハッピーエンドで終わる話というのは、見ていて胸にもやもやしたものが残る。できれば、特に美男美女のカップルは心中して終わってほしい。まあ、この二人は善人のようだし、先に苦労しているから、まだいいか、という程度である。
そんなわけで、せっかくだから見ておくか、という気軽な調子で見たのが却ってよかったのか、思いの外、打たれてしまった。とりわけ後半の「山の段」、谷底を見下ろす崖の上で身もだえするように死に向かう夫と妻の姿が胸に迫った。たまたま席を取った場所もよかったのだろう、舞台上には人形と、その背後で感情を押し殺すように操る人形遣い、そして床の上では、何かが憑依しているかのように迫力の形相で人形に感情を吹き込む竹本錣太夫さんと、その隣で表情を変えずに太棹を弾く竹澤宗助さん。この四者が、私の視界の中で、まるで惑星直列のように一列に並んで、渾然となった。
ふと思った。妻が夫を追って谷底に身を投げた後の話は、ひょっとすると、現世ではなく、来世での出来事ではないのだろうか。言うまでもなく、観音様が死者を蘇生させるなど、現実には有り得ない。が、現世での救われなさを思うと、そうとでも願わないとやりきれないだろう。こんなことを考えているうちに、胸のもやもやも消えた。
芝居の後は寄り道せず帰ったが、昼間行ったり来たりしているうちに案外歩いた。10,988歩。