昭和15年9月10日

猫におはよう。

雲が速く動く。

朝はドトール。

昼はパスタランチ。前菜代わりに肉をサービスしてくれた。木更津で飼育している水牛だそう。

パスタは浜田港で上がった鮮魚のラグーのスパゲッティー。

デザートのパンナコッタが絶品。

夜は新橋へ。

内幸町ホールに。

桂米二さんの会に。米二さんは米朝門下、京都在住のベテランの噺家さんで、東京でも年に三回程落語会を催されている。そのうち私が出かけるのは年一回程度かな。米二さんの落語は、米朝師仕込みの本格派だが、時に皮肉を効かせた、苦味を含んだ芸だ。迂闊に近づくとピシャリと来そうだから、こちらも弁えて、あまり近寄りすぎないようにする。それはシャイということの別表現かも知れないが。噺家に限らず、ミュージシャンでも他の芸事でも、芸界にそんな人は時々いる。私は自然とそういう芸人に引き付けられる傾向があるようだ。

桂團治郎「阿弥陀池」

東京版の「新聞記事」では、天婦羅屋の竹さんが挙げられた(実際には挙げられてないけれど)のはいつの時代のことかはっきりしないけれど、上方版の「阿弥陀池」では、物語の舞台は、少なくとも日露戦争の記憶が新しい時期だったんだろうと分かる。新聞に威光があった時代であると同時に、必ずしも多くの人が新聞を読んでいなかった時代だ。今はどうだろう。誰か「ネット記事」という新作落語でも作ったらどうか。

桂米二「代書」

米二さんの解説文にあるが、この演目は「代書屋」という題でも知られているけれど、米朝師が実在の司法書士や行政書士に憚って「代書」という題に改めたというのは知らなかった。もともとは米朝師の師匠である先代桂米團治師の作になる新作落語で、今では東京の寄席でも様々に演じられているが、米二さんは米朝直伝の「代書」である。

米二さんの「代書」では、落語の中の物語の期日が明らかになっている。昭和15年9月10日である。それは、代書屋が客の履歴書を書きながら代書日を口にするくだりがあるからだが、物語の年月日まで明白な落語というのも珍しいのではないか。それだけに、代書屋と次々現れる客たちのやり取りは、当時の時代背景を映していて興味深い。

笑福亭鶴瓶「妾馬」

あの鶴瓶さんである。さあ、鶴瓶さんの生の高座は、私は初めてではないか。ちよっと、わくわくしていた。富山の高校生だった頃、日曜日の深夜、大阪から雑音まぎれに流れてくる声を、家族に分からないようにボリュームを絞って聞いていたことを思い出す。鶴瓶さんと放送作家の新野新さんの二人が長く続けていたラジオ番組を、私が聞いていたのは、番組終盤の二、三年程の間だった。もう30年も前のことだ。その頃の鶴瓶さんの年齢を、今の私はとうに越してしまっている。

初めて聞く鶴瓶さんの古典落語は、こう言っては悪いが、それほどの感興はなかった。鶴瓶さんの「妾馬」は、江戸落語の舞台を上方に移したものだろうが、上方落語一本でやってきた米二さんに配慮して、あえて、このような演目を選んだのだろうか。江戸時代の大坂に大名の屋敷がどれくらいあったか知らないが、江戸よりは少ないだろう。大坂の空気でもなく、さりとて江戸の空気でもない、根っ子のない噺になってしまっているように感じた。

桂米二「遊山船」

江戸落語で大川といえば今の隅田川だが、上方落語では今の旧淀川か。橋の上から川面を行き来する屋形船の中を覗く喜六と清八の視点を通じて、往時の賑わいが彷彿とする。粋、なんて言うと江戸の専売特許のようだが、「もっちゃり」を嫌う上方の粋もあるのが分かる。噺の構成は、言ってみれば情景描写の連続で、やや単調に感じてしまったのは、こちらの集中力のせいかも知れないが。

鶴瓶さんの「妾馬」はともかく、「阿弥陀池」「代書」そして「遊山船」は、噺それぞれの時代背景がはっきりとして、こういう趣向も面白いと思った。

内幸町ホールからの帰りは、地下道で新橋駅へ。何度もこの場所には来ているのに、地下道を通るのは初めて。こんな道があったのか、今まで地上をずいぶん遠回りしていたような気がする。

新橋駅といえばサラリーマンがたむろする夜のSL広場だが、こんなに人がいないのも初めて見た。お約束のビデオカメラを担いだ取材陣も、どこか寂しそうでもある。

新橋から横須賀線、総武線快速で錦糸町に、そして半蔵門線に乗り換えて、寄り道せずに帰宅。

猫にこんばんは。8,482歩。

永久運動

このところ天気が不安定で、急に大雨が降るから洗濯物を干したまま外に出られない。

その点、今日は巣ごもり日なので、安心して朝から洗濯2回。そのまま日中は一歩も外に出ずに過ごす。

所用を終えて外出。虫の声が蝉から秋の虫に変わった。

夜は諸事情で北千住から開始。

初めての銭湯に。

薄暗がりの中に浮かぶ構えは、確かに銭湯のそれだが、私の抱いていた銭湯のスケール感を超えている。目の前の建物が銭湯だという事実を、にわかに咀嚼できなかった。

脱衣室の天井絵が見ものらしいが、色がくすんで描かれている内容が判然としないのが残念。

外観と違わず、浴室は広々として天井も遥かに高い。これだけの空間を占有できる体験は滅多にないと思う。

お湯は熱めで、水風呂はきりりと冷えている。このコントラストは素晴らしい。

特筆すべきは、変わり湯、薬湯の類が一切ないこと。水に自信があるのだろう。

露天風呂がいい。不思議なのは、入浴中に激しく雨が降ったはずなのに、露天風呂にいて、まったくその気配を感じなかった。雨が吹き込まない造りになっているのか。

露天風呂と水風呂を往復しているうちに陶然となった。まるで永久運動のようにいつまでも続けられそうだった。

外に出ると、雨雲は去ったようだが、道路には雨の痕跡がはっきり残っている。

長湯して遅くなった。散歩は省略して電車で帰宅も、10,077歩。

青い蝶

青い蝶が飛んできて地面に止まった。

朝はドトールで。

昼は鯖塩焼き。

錦糸町へ。今日はバスに乗った。

所用を終えてサウナへ。

ひと駅だけ地下鉄に乗って、押上から歩いて帰宅。

8,499歩。

横道

雨の朝。

朝はドトールで軽く。昼は適当にコンビニで買って。夜は居心地のいいカフェを探しあぐねて結局スタバで。こう書くと単調な食生活ですなあ。

帰宅後、夜の散歩に。桜橋を渡って待乳山聖天の前に出たら、浅草駅の方向に消防車の赤いライトが見える。光につられていつもの散歩道から外れて、言問通りに入った。

言問通りも道路工事中。工事を避けて一本奥の道に入ると、他の散歩者の姿も見える。アニマル浜口ジムに出くわす。

言問通りから千束通りに。昨夜雨やどりに入ったバーがもとあったのはここだったか。看板がまだ残っている。

上の写真右の街灯が並んでいるのは花園通り。ここを進むと左側に吉原の灯りが見えてくる。

銭湯を出て、普段なら一葉桜・小松橋通りを直進して帰るところ、気まぐれに浅草警察署の前で折れて、山谷堀のほうに。

あ、猫がいる。

われながら猫に触れる時の手つきがぎこちない。

この猫は、私の前にも通りがかりの二人連れに触られていた。人慣れしてるんだね。首輪を着けているから飼い猫なのだろう。

13,906歩。あちこちで横道に逸れたおかげで捗った。

雨やどり

怠惰に午前中を過ごす。適当なものを作って食べたり。

思い切って午後から外出。今にも雨が落ちてきそう。

曳舟から東武線に。思えば、県境を越えるのはコロナ後初めて。

新越谷駅で降りて、南越谷駅から武蔵野線で南浦和に。ものすごい雨。ホームの屋根の下まで雨のしぶきが入ってきて思わず後ずさり。

京浜東北線に乗り換えて北浦和に。

北浦和駅に着いても雨の勢いは変わらず。公園の緑がすぐそこに見えているので、意を決して歩く。途中で靴下を脱く。

埼玉県立近代美術館に。「写真と映像の物質性」展は今日までの会期。

牧野貴さんという人の映像作品。テレビの砂嵐のような高速で動く粒子が大写しになっている。減光フィルターを片目に当てると、急に粒子の動きが減速するように見えた。そのうち、レイヤーの重なりが見えてきて、それぞれのレイヤーで粒子は動いているようだった。この粒子と見えたものが「揺れる木の葉や水の中を流れる塵など」だったというのは、ハンドアウトを見るまで思いもよらなかった。

横田大輔さんという人の作品。窓のある広い展示室に、大きな透明のシートが重なりながら立てかけられていて、そこでは混濁して明瞭な色と形をなさないイメージが外からの光を透かしている。このどこか不穏なイメージは、作家独自の方法で乳剤から生成されたという。化学反応によって透明フィルム上にイメージが現れる過程は、私の世代にはまさに写真そのものだが、デジタルネイティブの世代にはどう映るのだろうか。

展示室の窓から見える外の人はもう傘を差していない。

Nerholという二人組の作品。遠目にはキャンバスに絵具を厚く重ねたものかと見えたが、近づくと、写真がプリントされた紙を数センチの厚さに重ねて、それをカッターなどで彫り込んだものだった。物質感が先に立って、その物質が何かということまでは考えが至らなかった。思えばこのような技法は、インクジェットプリントに拠らずとも、印画紙でも可能だろう。とはいえ、デジタル以前は、イメージを共有するために紙にプリントすることは必須だったが、デジタル以後は必ずしもそうではない。むしろ、紙へのプリントは過去のメディアに引きずられた行為と言えるかも知れない。デジタル以後の紙を使った写真作品が帯びる意味を思った。

滝沢広さんという人の、ベルリンの地下鉄駅の構内が鏡に写った写真と、引っかいたような線や点が散らばるイメージを組み合わせた作品。後者はキネカリグラフィかと思った。実際は、駅に置かれた鏡の表面をスキャンして得られたイメージだそうだが、キネカリグラフィがフィルムに直接傷をつけてイメージを得るのに対して、媒体をガラス板に置き換えたと考えてもいいのでは。そもそもガラス乾板の写真もあるわけだし。原初的なイメージング装置としての鏡、ということを考えた。

迫鉄平さんという人の作品。作家の目に映るものをスナップ写真のように動画に収めて、それをアーカイブして作品として提示しているというか。作家の周りの風景も既製のイメージもフラットに扱っているように見える。言ってみれば、どうということのない風景やイメージの連続なのだが、そもそも、われわれの生活は、そんなどうということのないものの連続なので、それを衒いなく提示しているとは言えるだろうか。

美術館を出たら青空が顔を覗かせていた。

帰りは京浜東北線で鶯谷に。

駅近くのサウナセンターに寄るか、それとも浅草辺まで歩いて、いつもの銭湯に行こうか迷って、後者に。

その前に、古書ドリスに立ち寄り。店が森下にあった頃は何度か行ったし、遡れば東京に出店する前の徳島時代に通販で本を買ったこともあるけれど、鶯谷に移転してから訪れるのは、実は初めて。食指を動かしていると切りがないから、場所も確かめたし、また来ましょう。

すっかり暗くなった。金美館通りを歩くのも初めてで、よさそうな喫茶店をちらほら見かけたけど、もう店じまいの時間。ぶらぶら歩いているうちに国際通りに突き当たった。ここまで来ればお馴染みの街並み。

ひと風呂浴びて歩き出したら雨。どんどん降りが強くなって、乾いてきたスニーカーが、またぐしょ濡れになりそう。

そこで、これ幸いと、先日散歩の途中にパンフレットをもらったバーで雨やどり。広い店内に相客は年配の男性ひとり。スツールに腰かけて土砂降りの雨を見ていた。

この店は、前は千束通りのコンビニの二階で営業していたのが、7月からこの場所に移ったそう。店名はbookcobar。bookcoverとbarをかけている。天井に届く書架いっぱいの本と店名は関係あるのかと思ったら、特に関係ないのだとか。本は建物のオーナーの建築家の趣味で、お店を経営している若いご夫婦は店子。おかみさんのほうのお父さんが革細工を作っているそうで、革のブックカバーから店名を取ったらしい。

相客はそのお父さんだった。飲んで自転車に乗らないよう娘さんから注意されているのも微笑ましい。お父さんの趣味という寅さんの映画を見ながら、お店のオリジナルブレンドのワインを飲んだ。沢田研二が若い。そうかこの映画がきっかけで田中裕子と結婚したのか。

雨が上がったので、酔わないうちに失礼。ほろ酔い加減で雨上がりの川風に吹かれて歩いた。13,349歩。

突発的

空缶と段ボールを出して、午後から天気が不安定そうだったので洗濯はパスで。

地下鉄を大手町駅で降りて、オアゾの下を通って、東京駅へ。このルートで東京駅に抜けるのは何気に初めて。

東京ステーションギャラリーのバウハウス展に。

この展示も予約制。今回は早めに予約したが、実は先週だったか、直前に思い立って見に行こうと思ったら、目当ての時間帯がすでに一杯だったことがあった。

人数制限しているのだろうが、それでも展示室は結構お客さんが入っている。

展示の冒頭に掲げられたテキストの中で、バウハウスとは何か?との問いに対して「バウハウスとは、学校てある」という端的な答えが提示されている。なるほど、「学校」の展示、というのは、こういうものなのだろうな、と思う。美大の卒展のようなものとも違う。ある教育・研究機関の活動を概観する展示だ。

バウハウスの課程が、基礎教育を行う予備課程と素材毎に分かれた工房教育を行う本課程から構成されているというのは知らなかった。

基礎教育の課程の演習として制作された紙製のオブジェが展示されていたが、「作者不詳」の作品に心を動かされることも滅多にないものだと思った。つまり、この教育段階では、学生の答案を展示するようなもので、作家としての記名性はまだ獲得されていないのだ。

これが、工房教育の課程になると、作家の卵として、作品も記名性を帯びるようになる。例えば、マルセル・ブロイヤーの椅子のように。

さらに工房は産業と結びつくことになる。版画工房が商業広告に移行したことは示唆的だし、成果物の商品化は近年の大学における産学連携や、同時代の理研産業団も思い起こさせる。バウハウスがナチス政権の弾圧で閉鎖させられたという歴史は承知のうえで、20世紀の総動員体制を考えるうえでも先駆的だったのかと思う(そもそもバウハウスは国立の機関として設立されたのだから)。

展示室内で唯一撮れた写真

東京駅から、さっき来た経路を逆戻りして、大手町から地下鉄に乗って半蔵門に。今日初日の国立劇場文楽公演の第三部から見るつもりだったが、半蔵門駅近くのカフェで休憩していたら、本日第二部から休演の情報。どうやら舞台関係者のひとりに発熱の症状があったための対応ということらしい。

せっかく国立劇場まで来たのだから、伝統芸能情報館の展示を見ていくことにした。六代目菊五郎の手になる扇面や軸が展示してあったけど、役者の手すさびというには達者なものですね。

しかし、今年の2月以来の文楽公演、また3月見る予定だった歌舞伎公演が中止になってしまったので、久し振りの国立劇場でもあったのだけど、こういうこともあるんだな。携わる人の数が多いから、気を遣うことだろうと思う。

これからは、演劇に限らず、諸々のジャンルで、こういう突発的な予定の変更はあるものだと考えておくのがよいのだろう。例えば、プロ野球の話だが、ドーム球場が増える前は今より頻繁に雨天中止があったわけだけど、そんな感じで、本日の興行はコロナのため中止、となっても、ふーん、と受け流すくらいに思っておいたほうがよいのかも知れない。

というわけで、突発的に予定を観劇からサウナに変更して、東池袋のタイムズ スパ・レスタに。

久し振りにタイ健式のマッサージをお願いした。肩の凝りに加えて、ふくらはぎの張りが半端なかったのが、おかげで多少マシになった気がする。

マッサージの後、階下のラウンジに降りたら、外は雨が降っていたようだ。館内にいて気づかなかった。

程々にレスタを出て、日付の変わらないうちに帰宅。10,263歩。散歩しなかった割には捗った。

こびとさん

巣ごもり日。朝起きられなくて、散歩どころかゴミを出すのも省略。そのまま夜まで家から一歩も出ずに過ごす。

所用を済ませて、雨が上がるのを待って外出。

小銭入れだけ持って出掛けたが、中にほとんどお金が入っていないことに気づいて家に引き返す。銭湯に行くには小銭が必要だという厳然たる事実を突き付けられる。

旧DDI(現KDDI)の蓋(正式には何と言うのだろう?)。旧電電公社の蓋はよく見るが、DDIのは珍しい。しかしこういうのは長持ちするんだねえ。

足の向くままぶらぶらと、山谷堀から千束通り、吉原をかすめて歩いて、適当なところで銭湯に。出る前にぼんやり考えていたところじゃないけど、まあいいでしょう。

柿がなってる。こういうのを見ると、もう秋がそこまで来てるんだなあと思う。

12,946歩。ちょっと意外。日中巣ごもって、夜になってから出た分にはずいぶん捗った。正直、1万歩も歩いたような感じがしない。銭湯に入っている間に誰かが代わりに歩いていたんじゃないかと思うくらい(こびとさん?)。

自分を見つめ直すために

寝坊気味。朝はコンビニで適当に買って済ます。

昼は中華定食。前から一度行ってみたかったほうの店ではない。

錦糸町へ。多少時間がタイトだったのでバスに乗ろうと思ったら、目の前で発車したばかり。最近そんなのが多い気がする。おとなしくバス通りを歩いて移動して、まずまず間に合う。

所用を済ませて、夜サウナに。

すっかり忘れていたけれど、9月の木曜日はあらめ海藻風呂の日だった。洗濯ネットのような網の袋にあらめが入ったのが湯舟に浮かんでいる。かすかに褐色を帯びたお湯はぬるりとして、ほのかに海藻のにおいがする。まるで昆布だしの中に浸かっているようである。というより、なんだか私自身がだしの素になった気分である。

かじめ入り醤油ラーメン。ま、どうということもないが、麺をすすっているうちに、かじめのねばねばがスープ全体に広がる。ねばねば好きには宜しいのではないでしょうか。

ところで、あらめとかじめは別の種類の海藻らしいけど、私には馴染みがないという点では同じである。太平洋側ではよく食べるのかな?

そうか、北前船を通じて北海道産の昆布が流通していた日本海側や関西以西と違って、太平洋側では昆布が手に入りにくかったから、こんな昆布以外の海藻を利用するのかも知れない。

錦糸町発、北越谷行き最終電車に乗車。押上での停車時間が長い。発車時刻は過ぎたようだが、駅のアナウンスが言うには、東武鉄道の乗務員の到着を待っているらしい。

この駅は東京メトロと東武線の接続駅だから、乗務員が交替することになっているのだろう。しかしその乗務員が来ないというのはどういうことなのか。運転手が職場放棄したとか?急に自分を見つめ直したくなって、ふらりと海でも見に行ったのか。運転手だって、そういうことはあるよね。しかし、このまま運転手が朝までずっと現れなかったらどうなるんだろう。

答えは、東武線で事故があった影響で、乗務員の到着が遅れているという、実にありきたりな理由だった。なんだ、自分を見つめ直してほしかったな。

そういや、ひと昔前のプロレスラーの欠場理由に、「自分を見つめ直すために」というのがよくあった気がするよ。

ダイヤより約20分遅れで発車、程なく曳舟駅到着。

今日も歩数は控えめに、7144歩。

19時の街

朝から巣ごもりの一日。

19時、諸々の所用を終えて、夜の散歩に。普段より早い時間に出たせいか、仕事帰りらしい人たちと散歩道でよくすれ違う。まだ勤め人が家に向かっている時間に、のんきに散歩しているのは悪い気がしないでもないが、巣ごもりの日だから致し方ない。

ここ数日少々歩きすぎたか、疲れが溜まっているようなので、今夜は軽く済ませることにして、いつもの銭湯にまっすぐ向かう。

コロナ禍以降、毎日のように歩いている道だけど、時間帯が違うだけで、街の印象がずいぶん変わる。あれ、こんな店がここにあったんだ、という小さな発見がいくつかある。思えば、このあたりを歩くのは夜の10時過ぎになることが多いので、このご時世、大抵の店はその時間には閉まっているから、気がつかなかったんだ。

通りから少し入ったところに明かりが見える。何の店だろうと外から覗こうとしたら、不意にドアが開いて店の人からパンフレットを渡された。今年の7月からこの場所で営業している小さなホテルで、一階がバーになっているらしい。今度銭湯帰りに寄ってみようかな。

こないだから、いつもの銭湯の前の通りで工事をしている。そういえば、近頃あちこちで道路工事を見かける気がする。わざわざこの暑い時期に作業服を着こんで工事をすることはないんじゃないかと思うが、これもコロナ禍の景気対策か何かなのか。

というわけで、控えめに、7,010歩。6日連続1万歩超えはならず。

人間ポンプ

必要があって、家の前に椿の鉢植えを出した。数日前から家の中で預かっていたもの。

実を言うと、これまでのところ、拙宅での植物趣味は長続きしたことがない。何度か、観葉植物を買ったり貰ったりしたこともあるけれど、程なく全部枯らしてしまった。余程拙宅の環境が植物にとって過酷なのか。まあ、当方が飽きっぽく、扱いがぞんざいなせいだろう。

近所の猫に朝の挨拶。

朝サウナに。9月のイベントは、南房総産あらめ海藻風呂とか。あらめとかじめはどう違うのかな?

朝サウナ後、朝ドトールに。

昼はおなじみの鯖塩焼き。

夕方、月いちで通っている近くの医院に。滅多に歩かない道を通ったら猫がいた。

その足で本所吾妻橋の薬局に寄ってから、ぐるっと回って錦糸町に。歩いているうちに暗くなった。

所用を済ませて帰宅後、再び夜の散歩に。といっても夕方ずいぶん歩いたから、そんなには歩かない。霧雨のようなぬるい雨が降ってきたけど、この程度なら気にならないし、むしろ気持ちがいい。

火曜は行きつけの銭湯が定休日なので、別の店に行く。来週の火曜からしばらく休業なのか、気を付けないと。

霧雨の降る露天風呂というのも悪くないものです。壁の向こうの女風呂から、はしゃぐような声が聞こえる。

19,910歩。わずかに2万歩超えならず。

ところで、おかげ様ブラザーズのきんた・ミーノさん、8月に亡くなってたんだ。訃報を見逃していた。私は関西在住でなくライブを見たことはないが、学生時代に好きだったテレビ番組の「ムイミダス」、大阪のよみうりテレビ制作で、確かTVKで放送していたと思うけど、おかげ様ブラザーズの曲「人間ポンプ」がオープニングで使われていて、とても印象的だった。

数年前、急にまた「人間ポンプ」を聞きたくなって(みんぱくの見世物展で、見世物芸の「人間ポンプ」の映像を見たからかな)、ネットで調べたら、きんた・ミーノさんは地元の和歌山で活動されてるようだったけど、その後体調を崩されたのか。