幽霊退会

曇天。近所の駐車場の奥の屋根の下に猫が三匹、ソーシャルディスタンスを保って座っている。写真を撮りたいが遠い。向こうもこの距離なら近づいてこないと高を括っているのだろう。また別の場所でもう一匹、こちらは撮るタイミングを逸して塀の中に逃げられた。猫は可愛くて鼠は毛嫌いするのは人間の勝手だろうが、やむを得ない。

今朝もドトール。昼は鯖麹定食。

長いこと幽霊会員だった某スポーツクラブを辞めた。やっぱりコロナの影響ですかと聞かれたが、コロナ以前から幽霊だったので、たまたま今日思い切ったということ。そして、順番は前後するが、別の会員になった。某クラブではずいぶん会費をどぶに捨てた。捨て先のどぶが変わるだけにならなければいいが、どうなることか。

コロナで中止になった某公演の払い戻し手続きを、6月中に済ます必要があるのを思い出した。一度コンビニでチケットを発券したうえで、翌日そのチケットを再度コンビニに持ち込まないといけないらしい。即日完了できないのはいかにも不便だが、こんなやり方しかないのか。ともあれ、これでコロナによる払い戻し関係はすべて終了(予定)。

銭湯は省略。12,888歩。

やがてふる

雨天。鼠の死骸が三匹雨に打たれて道に転がっている。昨日から道の上であまりいいものを見ない。

朝はドトール。駅前のロータリーに都知事選の街宣車が見える。昼は鯖塩焼き。

諸事情から駅前のY湯に寄って帰宅。いろいろなものを洗い流せるだろうか。

ふと歌が口をついて出る。「繰り返す過ちの中 後悔を何度しただろう」

ささやかな教訓、ほろ苦い思いを抱えて寝る。8,207歩。

水出しの味

朝方は雨が降っていたような気がするけど、寝床の中。二度寝、三度寝して起き出す。外はいい天気。

神保町で下車。近年あちこちで新刊書店が消えている。文芸書が売れないとか、雑誌が休刊になるとか、出版関係で景気のいい話はまず聞かない。が、こうして大量の古本が書架に並んでいるのを見ると、仮に今後新刊本が出なくたって、私など死ぬまで読む本には困らないなと思う(だいたい、既に自宅にある本だって、全部読めるか怪しいものだが)。そのためにも、神保町の古書街が(あと早稲田も)空襲で焼けるような世の中にはならないよう願う。

水出しアイスコーヒーとサンドイッチで一休み。水出しの有難味は正直わからないけど、はにかむように勧めてきた店員さんの応対に気持ちが和む。

東京国立近代美術館には、この頃は神保町から歩く。以前は竹橋で降りていたが、大手町乗換で迷路みたいに駅構内を歩かされるよりは、神保町から歩いたほうが気分がいい。

ピーター・ドイグ展に。結構入っている。もしコロナ禍がなければもっと入っていたのか、それとも待ちかねたという感じでやってきたのかな。

画家はスコットランド出身で、カナダとトリニダードトバゴに在住経験があるとか。また、ロンドンの画学校時代、イングリッシュ・ナショナル・オペラ(英国国立歌劇場)でdresser(英語版Wikipedia情報。衣装係?)として働いていたという。このキャリアと重ねて作品を見ると面白い。

2階で北脇昇の展示を見る。小企画とはいうものの、これだけまとまった数の作品を見たのは、1997年のやはり東京国立近代美術館での回顧展以来だろう。北脇の作品というと、有名な『クォ・ヴァディス』を思うが、今回の展示から受ける印象は、それとはまた違うものだ。理科の教科書の図版のようなタブローからは、戦前と戦後の時代の変化を感じない。普遍的な世界の原理を一枚の絵で説明しているようだ。

館内にいる間に雨が降ったようだが遭わずに済んだ。帰途日本橋で途中下車して買い物。帰宅して夜の散歩からの銭湯、今日はA湯。

散歩道の公園脇にパトカーが停まっている。何かと思うと、スケートボードを持った中高生位の若者5~6人ほどが警官に促されて解散しているところ。スケボー禁止の場所で遊んでいるのを誰かに通報されたのかな。スケボーに興じる若者たちの姿をしばしば目にするようになったのも、隅田川沿いを散歩するようになってからだ。19,598歩。

一時間待ち

朝から二回洗濯機を回し、二個荷物を受け取る。外に出ると梅雨が過ぎて夏が来たみたいないい天気。本物の夏もこの程度の暑さに収まればいいんですが。

日本橋三越に。商品券サロンに用事があったのだが一時間待つという。昨今そんなに待たされることも珍しいが、老舗の百貨店らしい演出と思って、こちらも鷹揚に構えることにする。

階下のコンテンポラリーギャラリーで「梅津庸一キュレーション展 フル・フロンタル 裸のサーキュレイター」というのをやっているというので見に行く。

最初、梅津氏の名前と日本橋三越という場所がにわかに結びつかなかった。梅津氏ならオルタナティブスペースという勝手な思い込みがあった次第だが、戦後公立の近代美術館が出現する以前は、百貨店のような商業施設が当時の同時代美術の主要な展示会場だったことを思えば、ここ三越で、「現代アート」を、かつての同時代美術と一堂に見るのは興趣深い。

展示は五つのセクションに分けられている。この分類はそれぞれ梅津氏流の美術の見方を提示していて、必ずしも「現代アート」に明るくない(かも知れない)現代の百貨店の顧客には、海図のように機能するだろうと思う。

一旦帰宅したら眠くなった。夕方散歩に出る。このところ夜の散歩ばかりで、まだ明るいうちに隅田川沿いを歩くのは久し振り。といっても、一、二週間ぶりか。それでもずいぶん季節が進んでいるような気がする。

そして、こちらも久し振りの銭湯S湯に。おっ、営業時間が23時までに戻っている。22時までだと、特に平日はゆっくりできなかったので、しばらくご無沙汰していたのだ。これからA湯と迷うな。有難い。21,592歩。

土左衛門

諸事情でお休み日。雨音で目を覚ました。ようやく梅雨がやる気を出したよう。だらだらして遅く起き出して外出。

そういえば水死体のことを土左衛門と言うよなと思ってWikipediaを見たら、語源となった江戸時代の力士、成瀬川土左衛門の墓が深川の霊巌寺にあるというので見に行く。が、墓域が入りにくい雰囲気で確認できず。

東京都現代美術館に。雨の平日でさすがに空いている。まず週末までのドローイング展を見て、サンドイッチで昼食。午後はオラファー・エリアソン展、コレクション展を見る。

具がぽろぽろこぼれて食べづらかったです

ドローイング展。マティスの『ジャズ』を、絵巻物のように平面に並べて展示するのと、ページ別にフレームに収めて展示するのとでは、ずいぶん見え方が違うものだと思う。最初ハサミで紙を切るのをドローイングに含めるのは無理があるように思ったけど、ふと寄席の紙切り芸の情景が思い浮かんで、急に合点がいった。

オラファー展。例えば色が青く見えるというのは、知覚なのか物理現象なのか。普段考えないそんなことを考えてしまう。テクノロジー、アート、環境、実験というキーワードを並べていくと、先年物故した山口勝弘さんの系統に連なる人なのかも知れない。展示も面白かったが、売店の奥で上映していたフィヨルドハウスの実物を見てみたいと思った。

コレクション展。秀島由己男の版画に添えられた石牟礼道子の詩文に揺さぶられる。『彼岸花』という詩画集、どこかで見られるだろうか。岡本信治郎の作品群にも圧倒される。

錦糸町で所用を済ませてから帰宅。14,965歩。雨で散歩はできなかったけど、美術館の中で歩いた分捗った。

背中流し

曇天。近所の猫が道の真ん中に座っている。朝は家で食べる気がしなくてドトール。昼の魚はシャケにする。

代わり映えのしない写真

夕方6時頃から雨が降り出した。今日はハーブティー。Summer’s Bloomという名前のハイビスカスのお茶。

雨が降ると夜の散歩に出る気が失せる。自ずと銭湯からも足が遠ざかる。そこで楽天地スパに。雨の夜はサウナの夜。

今日はひとつ魂胆がありまして、久し振りに背中流しをお願いしようと思う。楽天地名物、ピンク色のコスチュームに身を包んだ妙齢のおねえさんが客の上半身(だけ)を洗ってくれるサービスです。スタッフのおねえさんは、皆さん私より年長、いやひょっとすると私の母親くらいかと思われるベテラン揃い。そんな方から昔の楽天地やサウナの思い出話を聞き出すのも一興と思ったのです。

ところが話題は予想外の方向に進みまして、今回背中流しをお願いしたおねえさんは、映画鑑賞、それも劇場で見るのがご趣味ということで、コロナ禍で007の新作の公開が延期になったという話から、ダニエル・クレイグ、ブラッド・ピット、ジェイソン・ステイサム…と次々に外国人俳優の名前が飛び出す。映画趣味の希薄な私はこの展開に付いていけず、目論見は失敗に終わったのでした。7,381歩。

新しいシャツ

というわけで今朝もカレー。コーヒーを淹れるのはパス。

ふと思い立って新しいワイシャツをおろす。こんなことでも、ほんの少し気分が浮き立つのは不思議。

昼間外に出ると日差しは強いが風が気持ちいい。まだ真夏の殺人的な暑さでないのは有難い。昼飯は鯖の麹漬け焼きというのにしてみた。正解。

夕方、錦糸町で時間調整がてら喫茶店に。昨日からの惰性でアイスカフェオレを頼んだら、この店のは生クリームが乗っかっていた。なくもがな。

所用を済ませて帰宅後、夜の散歩からの銭湯に。水風呂にうつぶせになって入っている人がいた。まるで溺死体のよう。ここまでずっぽり水中に没入している人も珍しい。16,188歩。往復とも電車に乗った割には進んだ。晩飯を食うのは忘れた。

ドア越しに見つめてきた猫

ステテコ

ちょいと寝坊してしまって慌てて洗濯機を回す間、コーヒーを淹れてカレーを温める朝。気分に余裕があるからコーヒーを淹れるのか、コーヒーを淹れるとそんな気分になるのか。

お昼は某レストランの持ち帰り弁当。おかずは島根県浜田港で上がったという鮮魚の焼き物揚げ物等。旨いねえ。

錦糸町まわりで帰る途中、アイスカフェオレで休憩。所用を済ませてから、雨雲に背中を押されるように帰宅。雨が落ちてくる前に洗濯物を取り込めた。適当に晩飯を食ってだらだらしていたら時間が怪しくなって銭湯はパス。久しぶりに某浴場に行こうかとも思ったけど、短縮営業を続けているのか、コロナ以前の営業時間に戻ったのか分からない。墨田区・台東区あたりの銭湯の最新の営業状況をまとめたサイトなどないのかね、と局地的時限的な要望をつぶやいたりする夜。8,683歩。

先日末廣亭で聞いた昔昔亭昇さんの新作落語は、ある男が浴衣の下に穿いているものを巡って、それはステテコではなくパンツだ、いや短いステテコだと友人同士が言い合いになるところから始まり、次第に二人の奇想天外な素性が明らかになっていく。

ところでこの噺は二人の間のいくつかの了解を前提としているのですね。第一に、浴衣の下にはステテコを穿くものだという点。第二に、ステテコの下にはパンツを穿くものだという点。この二点について二人に争いはない。

しかしこの前提は、そんなに自明なことなのか。噺家さんなら浴衣は着慣れたものだろうけども、私の場合、何年前だったか、直やさんに初めて浴衣を作ってもらった時、浴衣の下に何を着るのか(あるいは着ないのか)、本当に迷った。その時は正直ステテコという頭はなかった。浴衣の下がパンツだったこともあるように思う。

ステテコについて言うと、2~3年前から、夏場、家の中ではユニクロのステテコを愛用している。パジャマ代わりにして寝てしまうこともある。その時、下にパンツを穿いているか、甚だ怪しい。

ステテコという言葉は、どこから来たのか、ユーモラスな語感で、妙な哀感もある。

そうそう、ステテコというと思い出すことがある。小学生の頃、給食の時間、牛乳を飲んでいるやつの前で面白いことを言って、牛乳を飲めなくさせるということが流行った(多くの人が同様の記憶を持っていることだろう)。

当時、テレビの意見広告で「覚せい剤やめますか、それとも人間やめますか」というコピーが頻繁に流れていた。誰かが「覚せい剤やめますか、それともステテコ穿きますか」と言ったら、ある友達が本当に牛乳を吹いてしまった。それからしばらく、ステテコという言葉がわれわれの間で流行った。

ビハインド・ザ・マスク

これから数日は天気がいいらしいから、抜かりなく洗濯物を片付けなければならない。朝飯は前夜に作ったカレー。大量に作ってしまったので当分カレーの朝になりそう。

ぶらぶら歩いて帰宅。適当に晩飯を済ませて、夜の散歩がてら川向こうの銭湯に行く。以前より水風呂が混むようになった気がするのは、先週からサウナ営業を再開したからだろう。しかし銭湯では湯舟と水風呂に入れればそれで十分、サウナはサウナ施設で入りたいというのが今の私の気分。14,873歩。

最近街に美人が増えたという話を聞いた。そのことは私も薄々感づいていた。おそらくマスク効果だと思う。どうしても視線が目に向かいますからね。人間の目はもともとチャームポイントということもあろうし、目元を念入りに化粧する人が増えたということもあるかも知れない。一方で口紅はあまり塗らなくなったという話も聞いた。私が無精髭を気にしなくなったのと同じですね。

多くの人が四六時中マスクをつけているようになると、逆に、マスクを外すということが、これまでになかった意味を持つようになるのではないかと思う。誰かの前でマスクを外す行為が、それこそ、誰かの前でパンツを脱ぐみたいな、親密な関係を表すようなことになって、しまいにマスクの隙間から口元が見えるだけで、みんな過剰に興奮したりするようになるかも知れない。

ケンタウロスの馬肉

久し振りに自宅でコーヒーを淹れた。在宅していた時は毎日淹れていたのにね。コーヒーメーカーのスイッチを入れるだけで大した手間じゃないんだけど、やっぱり休日の朝は気分に余裕がある。

新宿末廣亭六月中席昼の部に。久し振りの寄席。コロナ対策で、入場時に手を消毒、客席は一席ずつ空けて座り、仲入りを二回取って場内を換気するという配慮。

開口一番 桂南太郎「狸の札」
落語 春風亭昇りん「真田小僧」
昇りんさんは昇太師の弟子だそう。この後出てくる昔昔亭昇さん、夜の部に出演の三遊亭仁馬さんと共にこの芝居から二ツ目昇進とか。
曲芸 できたくん
いわば紙切り芸の発泡スチロール版か。猫、チコちゃん、客席の求めに応えて「梅雨」(という文字)を電熱カッターで切り抜く。
落語 昔昔亭昇
桃太郎師の弟子とか。SF的な趣向の新作だが、何気に差別や経済格差のモチーフを入れてきて油断できない。手拭いを使って宅配ピザを食べる所作に感心。ケンタウロスの馬肉。
講談 日向ひまわり「笹野名槍伝~海賊退治」
コント 青年団
往年のゆーとぴあを彷彿とする教師と高校生のコント。平田オリザとは関係ない。
落語 春風亭愛橋
マスクをして高座に登場、外すとビックリ、という寸法なのだが、思いの外ウケない。噺はネット経由でナレーションの仕事を取ろうとする自身の体験談?を新作仕立てにした不思議系。
落語 瀧川鯉朝「荒茶」
奇術 北見伸・スティファニー
変わらぬ華麗な手さばきを堪能。ハプニングだったのかな、ガラスの器が割れてびっくり。
落語 桂右團治
大阪出身の男と結婚することになった東京娘が、大阪の両親に挨拶に行くにあたり、スマホの大阪弁養成アプリで完璧な大阪弁を身につけるという新作。
落語 桂伸治「あくび指南」
漫謡 東京ボーイズ
落語 笑福亭鶴光「甚五郎の首」(かな?)
甚五郎物だが初めて聞いた。甚五郎が小塚原の死人を参考に本物そっくりの生首を彫って上野広小路の見世物に出すという筋。
落語 桂鷹治「寿限無」
当代文治門下の二ツ目。和尚さんに書いてもらった名付け案をそのまま読んでいるはずなのに、寿限無を2回言うのは私も怪しく思っていた。
紙切り 林家今丸
「夕涼み」、以下客席から募って「麒麟が来る」「川開き」「ビアホール」の四題。
落語 笑福亭福笑
私、福笑さんの高座は初めてだと思う。長年噂には聞いておりました。六代目笑福亭松鶴門下で、入門順に仁鶴、鶴光、福笑…と続く。さらに分かりやすく言うと鶴瓶さんの兄弟子。末廣亭で六代目の高弟を二人見られるんだから有難い。落語は架空の安倍産業株式会社を舞台にした新作。というか、新作落語の形を借りて安倍首相周辺の人々をこれでもかといじり倒す。
落語 瀧川鯉昇「馬のす」
この噺も初めて聞いた。
曲芸 ボンボンブラザース
主任 桂文治「源平盛衰記」

この妙なご時世、寄席の中くらいは馬鹿馬鹿しい笑いに興じたい。それには今日みたいな芸協の芝居がいいのかも。