「私は官憲などというものは、いっさい信用していないのですよ」

今朝の「愛の流刑地」もいいねえ。末尾の一文を引用する。
「いまの菊治には、哀しいけど自慰することだけが、尊大な法に逆らう唯一の手段である」
こんな文章初めて見た。そうか、人間(あるいは男だけか)にとって、自慰こそが極限状況下における国家権力への最後の抵抗手段となるのであったか。うーむ。
堀江社長にも、ぜひ実践していただきたいものだと思う。
ま、そんなことはともかくとしてですな。

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「愛の流刑地」とライブドア

日経の「愛の流刑地」を流し読みしながら、ぼんやりとそんなことを考えているときに、例のライブドアへの強制捜査が報道された。
ライブドアの関係者が、実際にどんなことをしていたのか、それは知らない。
が、それはそれとして、前回書いたように、どんな事件であっても、検察の見方はあくまでひとつの見方にすぎないのだから、常に相対化して見る視点が必要だ、とは常に思っている。
だが・・・。

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「愛の流刑地」

日経の朝刊に、渡辺淳一が「愛の流刑地」という小説を連載している。
いつから連載が始まったのか。普段、新聞に目を通しても新聞小説はまず読まないし、もともと小説好きとはいえないぼくは、実はこれまで、この作家の作品をまともに通読したこともない。
だいたい今だって、この文章を書いていて、渡辺淳一といえば、数年前に映像化されて話題になったあのベストセラーのタイトル、あれ何だっけ?
「楽天地」?そりゃ錦糸町だろ。なんてことを思っていた次第なのだ。
だから、日経を開いても、ああ今は渡辺淳一が連載してるのね、くらいにしか思っていなかった。
ただ、時折、朝刊に似つかわしくないような性描写が出てくるのは目に留まった。

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いわゆるおでん屋のこと

野毛でお酒を飲んで帰ろうと思い立ったときの話。
あるおでん屋に入ったのだけど、常連さんの雰囲気に気おされるような感じで、程なく店を出た。まだビール1本しか飲んでいない。
物足りない気分で、野毛の町をあてずっぽうに歩いていたら、不意に、また「おでん」という看板が目に留まった。

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