2011年10月21日のこころのまとめ

  • 昨日の「トータル・リビング 1986-2011」のアフタートークで、宮沢章夫氏が出演者に自分への質問をあらかじめ用意させておいて、他者への質問の中に質問者自身が興味を持っている事柄が表れる、という精神分析的な切り返しはちょいと面白かったな。 #
  • そういえば芝居の冒頭で、コールセンターの女に向かってカメラマンが唐突な質問を繰り出していたね。さあ、ぼくなら彼女にどんな質問をしたことだろう?もし彼女に対して何も聞くことがないとすれば、それはぼく自身が世界の何事にも関心を失っているということなのだろう、宮沢氏流にいえば。 #
  • 生きるとは
    ゴヤのファースト・ネームを
    知りたいと思うことだ。
    ゴヤのカプリチョスや
    「聾の家」を
    見たいと思うことだ。
    見ることを拒否する病から
    一歩一歩癒えて行く
    この感覚だ。
    (「ゴヤのファースト・ネームは」飯島耕一) #
  • 実は遊園地再生事業団の公演を見たのは昨日が初めてで、偉そうなことを言えた義理じゃない。20余年来のシティボーイズマニアだけど、ラジカルには間に合ってなくて、ぼくが見出した頃のシティボーイズライブはすでに三木聡氏の演出だった。1986年ってラジカルやってた頃だよね。 #

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2011年10月20日のこころのまとめ

  • 一枚の絵に対面して自分の心を開く訓練はずいぶんとしてきたんだけどな。ひとりの人に向かって同じことをやろうとすると、気後れしてしまうのは何故だろう。 #
  • 確かに自分は喋る中身にこだわりすぎていたのかも知れないな。何かを喋ろうという意識が先に立っていた。そうじゃない、まず喋って、後から中身がついてくるような喋りもあるのかも知れないと思った。というか、本当はそういう人になりたかったはずなのにね。 #
  • 突然あまりにも明瞭かつ大音量で虫の音が聴こえだしたので隣の人の携帯が鳴っているのかと思った。 #
  • あまり携帯を気にするのも考えものだな…。2年前にスマートフォンにしてから圧倒的に携帯に触れる時間が増えた。もちろんいいこともある。不意に浮かんだ言葉を逃さず捕らえられるようにはなった。でも常に携帯を気にしているということは、常に緊張を強いられるということでもあるみたい。 #
  • 「トータル・リビング 1986-2011」を見た。普通に面白かった。 #
  • しかし芝居というのは、あるいは演出家というのは傲慢なものだね。ぼくなどは体調が悪ければ早退けしたいし、風邪をひけば休みたいし。演出家はそれを許さないんだね。俳優がひとり欠けても芝居が成立しないなんてことを平気で言うんだから。なんて非人道的なことかと思う。 #
  • 演出家の言うことは簡単に信じないようにしよう。 #

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2011年10月19日のこころのまとめ

  • ずいぶん寒くなったねえ。 #
  • 瑛九展の話。抽象画が並ぶ展示室で、ふと肌合いの違う絵に気づいて足を止めると、ガラス板の上に油彩で描かれているのだった。続いて戦前のフォトグラムの展示に、プリントとともに小さなガラス板が添えられていて、キャプションに曰く、この時代の写真原板はフィルムではなくガラス乾板であったと。 #
  • ふと思ったこと。写真の原板がガラス板だった時代に、絵画の支持体としてガラス板を用いるということは、特別な意味を持っていたのではないか?つまり、イメージが立ち上がる場としてのガラス。そう考えると、デュシャンの大ガラスというのも、やや違うニュアンスをもって現れてくるのだが。 #
  • 今夜はちょいと毛色の変わった体験をしようと企んでいる #

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2011年10月18日のこころのまとめ

  • http://t.co/e03rSfo7 RT @isshikimakoto: 吉増剛造「裸のメモ」。3.11を軸に死者への哀悼をこめて書かれた紛れもない震災詩集なのだが、方法的には少しも後退していない。 #
  • トークセッション「裸のメモ 吉増剛造」2011年11月30日(水)19:00~(開場18:30~)◇会場 ジュンク堂書店新宿店 8階カフェにて http://t.co/N1VqX0IJ #
  • 以前よりも自由な精神で写真を撮れるようになってきたと思う。意図せず現れたずれやにじみを楽しめるようになった。むろんそれもカメラの機能がもたらすものではあるが。カメラは目の前の情景を写す機械という思い込みが、イメージのモジュレーターでありジェネレーターであると変わってきた。 #
  • 最近、写真におけるイメージとモノとの関係が気になって仕方がない。例えば、デジタルカメラで撮った写真をプリントするというのはどういうことなんだろう。デジカメに取り込まれたイメージは、形を伴わない、ある意味純粋なイメージとして箱の中を浮遊しているような状態だろうか。 #
  • モノとしてのフィルムがモノとしての印画紙と触れ合い、イメージを転写するということと、モノとモノとの接触を伴わず、イメージとしてのイメージがモノに化体するというのは、どこが同じで、どこが違うのか?(接触ということは合体ではないということにも留意しなければならない) #
  • 昨日の復習 http://t.co/6U9QdVod #
  • しかしわれながらこの1年程は本当に狂った時間だったな!ここ数年の自分のペースがまったく乱れてしまった。ようやくペースを取り戻しつつあるここ2、3週間。とはいえ元どおりには戻れないし戻るべきでもないんだろうな。新しいペースを作っていかなければ。みなさんさようなら、そしてこんにちは。 #

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昨日の復習

向井山朋子/夜想曲
コンサート
2011年10月17日(月) 19:30 門仲天井ホール(東京)

プログラム
フレドリック・ショパン〈夜想曲〉遺作

フレドリック・ショパン〈夜想曲〉op.9-1

石巻市立湊小学校校歌

フレドリック・ジェフスキー〈ピアノ曲4番〉

リゲティー〈ピアノエチュード13番〉

サルバトーレ・シャリーノ〈夜想曲 2〉

佐藤聡明〈インカーネーション〉

フレドリック・ショパン〈夜想曲〉op.55-1

石巻市立湊第二小学校校歌

ショパン〈夜想曲〉遺作

2011年10月17日のこころのまとめ

  • そういえば横浜の泉平というのは知らなかった。新・港村のカフェで売っていたので昼飯がわりに食ったがずいぶん食べでがあった。写真はサンプルです。 http://t.co/y6EqajAW #
  • 花は内に秘めた力で開くのか、外から加えられた力で開くのか。そのどちらでもなく、内と外の均衡を支えていたピンが不意にはじけるように開くのだとしたら。そして瑛九晩年の点描画のひとつひとつの点が実は花であり、それらが一斉に花弁を震わせているのだとしたら。 #
  • 脳の中で絶えず生成するイメージは実は無数の花々から構成されていたとしたら。イメージが還元されて粒子となり、物質となって、脳がぷちぷちと音を立ててはじけるヴィジョンを展示室の奥の点描画に囲まれた小部屋で透明な椅子に座りながら見ていた。 #
  • ぼんやり思ったこと。大震災このかた、生き残った人の声はよく聞くけど、死んだ人の声は聞かないね。できれば地震や津波で死んだ人の声も聞きたいものだ。生者の声の影に死者の声が谺する。 #
  • 生き残った人だって遠からず死ぬんだ。そうなると「生き残った」という意味を考え直してみたくなる。 #
  • 門仲天井ホールで「向井山朋子/夜想曲」を聞いてきた。 #

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2011年10月16日のこころのまとめ

  • 埼玉近美の瑛九展はよかった。心を静かに強く鼓舞されるようだったよ。まだ半分、うらわ美術館が残っている。 #
  • ふと北浦和あたりに越すのもいいかもなあと思ったり。駅から至近に手頃な公園と美術館があって休日などぼんやり過ごすのによさそうだ。浦和に出れば手頃なもつ焼き屋もあって酒を飲むのにも困らない。気になるのは平日朝の京浜東北線の混み具合とレッズファンになれるかどうかということ #

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