2011年10月30日のこころのまとめ

  • 異性から見たhiraking 【ウザい】【ウザい】【ウザい】【ウザい】【ウザい】【ウザい】【ウザい】【ウザい】【ウザい】【ウザい】 http://t.co/7RGsnJCf もう分かったよ! #
  • イエという言葉が建物としての家屋を指すと同時に、いわゆる家制度のことも指すのであれば、受け継がれるべき血脈が絶えれば物理的な家も存在根拠を失うと考えるべきだろうか。特に地方においては。建物としての家が、そこに住まう主を変えつつ生きながらえるのは、実は都市的なことではないかと思う。 #
  • さて、ここ墨東僻陬の地に、築60年、70年、いや100年に及ぼうかという民家があり、この家を知る誰もその年数が定かでないのは、まさにこの家の住人が一系の家族によらず、折節に主を変えてきたからにほかならない。過日私は、今の主の計らいで、この家の一時の留守居役を仰せつかった。 #
  • 主の不在に家は問わず語る。主さえ知らないこの家の物語を聞くのは、留守居役の私と六匹の猫。しかし猫たちはその声が聞こえているのか、どうか、大儀そうに居眠りを決め込むだけ。半ばあきれて彼らの寝姿を見るうち、ネコの語源が「寝子」だというもっともらしい説を思い出す。 #
  • 聞けば、この家はもともと妾宅として建てられたのだという。その女性は芸妓か、娼妓か。どんな旦那が身受けしたのか。ふと、案内人の少年の同道で夜道を行く自分の姿を思い浮かべて、落語の「権助魚」や「権助提灯」はこんな様子だったかと、分不相応な想像にひとり笑う。 #
  • 家が語る物語に、主が綴る物語が重なる。玄関の引き戸を開けた瞬間から、主の用意した舞台装置の中に吸い込まれて、われ知らず、一幕の芝居を演じていたかと思う。あるいは当の主さえ、この家の演出するひとりの役者に過ぎないのだろうか?本番まで1週間足らず。主はどのような物語に仕上げるのか。 #
  • というわけで、先程の連投ツイートは、墨東まち見世2011のネットワークプロジェクト「わたしの小さな生活」について書きました。 http://t.co/5xPxi3RE #
  • そういえば昨夜遅い時間に地下鉄に乗ったら、あちこちでゴスロリチックな女の子(と言うにはやや年長か)を見かけたのは、あれはハロウィンのパーティーだったのか。 #
  • 今回の捩子ぴじん氏の公演についての感想ツイートをつらつら見ていて、チェルフィッチュの多分「フリータイム」と絡めて論じている人がいたが、そっちの見方のほうが鋭いな。私は近視眼的だ。 #
  • 鈴木志郎康「草の影を刈る」眠くてしゃーない。また場内がいかにも午睡を誘う快適温度。あまりの長さ、あまりのくどくどしさに、終いに見ているこちらが根負けして、よーわかった、アンタはエライ!という気になってきた。詩人が自分に向き合うというのは、このくらい突き詰めることなのかも知れんな。 #
  • こんな忍耐系映画の割に場内は満席で、熱心な客も多いものだと思っていると、終映後明かりの戻った場内に、さっきまでスクリーンに出ずっぱりだった鈴木真理氏が34、5年後の姿で登場。どうやら映像学校のワークショップが始まるらしく、客の大部分は生徒の様子。そういうのは別枠でやってくれよ! #
  • しかし「まちに開かれたアートな拠点づくりとは?」ってスゴイお題目だな。ひらがなで書く「まち」と、「アート」という、私の使いたくない言葉ベスト10に入る単語が堂々と並んでいる。 RT @bokutomachimise: まち見世塾第一回が始まりました。是非、ご覧下さい! #
  • そうそう、今日見た鈴木志郎康さんの古い映画の中に大辻清司さんが出ていたのに驚いた。二人の交流があったんだな…。志郎康さんは代々木上原の大辻さんの新居を訪問していて、映像の大辻宅にはまだ足場が残っていた。大辻清司は1923年生というから詩人のひとまわり年長。存命なら今年88歳か。 #
  • おや?Wikipediaでは大辻清司の生年が1921年になっているな。ぼくの手許の「写真ノート」や図録類ではすべて1923年となっているから、1923年で合っているのでしょう。Wikipediaは必ずしも正しからずという好例。為念。 #
  • そういえば昨日見た鈴木志郎康さんの映画「15日間」の自画撮りの中に不意に挟み込まれていたネジや留め具などの映像には、大辻清司さんの写真的なモノそのもの感があったな。 #
  • 鈴木志郎康さんの「15日間」の中で、若い女性向けの雑誌から依頼された原稿に川上宗薫のことを書いて編集者から書き直しを命じられた、というくだりが可笑しかったな。文章を鬻いで口を糊するのはかくも大変なことか!私は誰からの指示も受けず好き勝手にツイートする。この甘ったるい清々しさ! #
  • 「トリック・オア・トリート」と言おうとして「トリック・アート」と言ってしまい、トロンプ・ルイユの絵が出てきた、というネタはどうかね。 #

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2011年10月29日のこころのまとめ

  • 内田百閒は実体験に即して書かれたであろう随筆でも登場人物に決して実名は使わず、仮名で通した(甘木君だの何樫君だのの類)。さて、百閒本人についてはどうだったか。旅先で自分の名前を呼ばれる場面などなかっただろうか?あるいはもっぱら「先生」でかわしていたのか? #
  • 自分の実体験のことを語るのに、固有名詞に実名を使うと、急に話が面白くなる。だから実名は使わないほうがいい。そうでないと、話から自分が逃げられなくなる。 #
  • 今日はこれから二度目の写真教室。持ち物は
    ・チップスターの空き箱
    ・カッターナイフ
    ・定規
    ・ペン
    いよいよ佳境に入ってきた #
  • 「小沢昭一の小沢昭一的こころ」に登場する自称詩人のタローちゃんは「スナックれい子」のれい子ママのヒモ亭主。一篇の詩も書かず、仕事もせず、お金が入ればパチンコや競馬に消え、日夜ひたすられい子さんのご機嫌とりに精を出すという、これぞ理想の詩人として私は最大限の敬意を払っているのです。 #
  • 捩子ぴじん「モチベーション代行」見た。これは出色の公演!体じゅうが油くさい…。でもこの揚げ油くささがリアルだ。演劇とダンスを同じ舞台に置いたうえで、そのどちらも見ない人を見据えたのは「家電のように解り合えない」と重なるのかも知れない。でも、こちらのほうが痛烈だし、痛切だ。 #
  • イメージフォーラムで鈴木志郎康「15日間」を見た。上映前のゲストトークは石田尚志氏。石田氏のテンション高い熱弁に気圧された、のは氏の真ん前で話を聞いていたからで、ぼくは映画は基本的に最前列で見るから。鈴木氏本人も来館していた。 #

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2011年10月28日のこころのまとめ

  • 昨夜は初対面の方を相手にヘンタイ話に興じてしまった。心の栓をポンと抜かれて、われ知らずヘンタイ話がダダ漏れになってしまったようだ。 #
  • これから地唄舞の公演を見に行く。まずまず間に合いそう。初めてなので楽しみだ。 #
  • 日本舞踊はむろん踊ったこともなければ見るほうも素人同然だが、今日の会に出演する知人からチケットをいただいたので見に来た。ぼくには合っていると思った。落語の聞き方が厚くなるし、現代演劇やダンスを見るのにもこの視点はいい目安になると思う。 #
  • 菊地成孔の粋な夜電波、金曜日に移ったのか。柳家喬太郎のキンキラ金曜日と被るな。 #

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2011年10月27日のこころのまとめ

  • しかしここ数日で急に寒くなった。月曜日の夜は外でお茶を飲むのがちょうどいい気候だったのに、火曜になると肌寒さを感じ、昨日の夜などしばらく外にいるだけでマフラーがほしいと思った。オープンカフェの季節は短いんだな…。 #
  • 余談だが私がもし将来喫茶店を出したらオープンカフェという店名で行こうか。 #

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2011年10月26日のこころのまとめ

  • 暑からず寒からずいい気候になった。錦糸町丸井のスタバが店外にテーブルを出しているので、待ち合わせのカップルや水商売風の女性をコーヒー片手にぼんやり眺めているのも悪くない気分だ。しかし外の席は8時半で終わりだって。どこか遅くまで開いていて気持ちのいいオープンカフェはないかな。 #
  • 地震発生直後に片想いの女性宛に「地震大丈夫?」ってメール送った男ウザイ!というご指摘はなかなか耳が痛いな。 #
  • しかしあの頃はわれながら気持ちが浮ついていた。おかげで私はいい迷惑だ。逆にいえば、もし今でもあのまま大きな余震が続いていたとしたら、私は誰彼構わず恋しくなってしまい、今以上に社会に多大なご迷惑をおかけしていたかも知れぬ。 #
  • つまりYou got me shakin' and quakin' My world is turning upside downってやつだ。恋を地震にたとえるのは不謹慎なことじゃなくて、恋愛というのがそれほど危険で社会に害悪をまきちらすものだってことだな。 #
  • ・・・という認識のもとに、私は社会にさらなる迷惑をかけて生きていくことをここに誓います。 #

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2011年10月24日のこころのまとめ

  • 地下鉄のザジ。始めはザジ自身が飛び回って大人たちを翻弄しているけど、後になるとザジが居眠りしている間にむしろ周りの大人が勝手にドタバタを演じているんだな…。さらに言えば、ザジの夢の中のドタバタと現実に起きているドタバタが、どちらともつかず、互いに入り込んでいる感さえある。 #
  • 翻って「トータル・リビング 1986-2011」のザジはどうだろう?南の島などには行っていなかったドキュメンタリー作家も含めて、すべては冒頭に一瞬現れて消えた1986年のザジの夢語りということはないのか。実はこの世界全体が彼女に包み込まれていたという思いにとらわれつつある。 #
  • Ustreamの「twilm」にチェックイン! http://t.co/wg4RYhTD #
  • さっきからカワイイ女の子2人がえんえんとカラオケしてるustを見てて寝れない #
  • これ聞いたら寝ます http://t.co/N74bUtdt #

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2011年10月23日のこころのまとめ

  • 瑛九展もうひとつの会場、うらわ美術館に。瀧口修造の詩画集「スフィンクス」の実物、もしかしたら初めて見たかもしれないな。版画を寄せている六人のうちのひとりが瑛九だったんだ。 #
  • 瑛九は生涯にわたって油彩画を描きつづけ、かつ、生前評価されなかったのも油彩画というけれど、そういうものかも知れないと思うなあ。まず遠近法的なイリュージョンはこの画家にはそぐわないような気がする。目に映る色や形を実直に実験し冒険するところに本分があった人なのだろうと思う。 #
  • 先日観劇した「家電のように解り合えない」と「トータル・リビング 1986-2011」の戯曲が載ってる「悲劇喜劇」誌を買ってしまった。これ読んでどうするってんだよ。ただでさえ真っ当なサラリーマンか怪しいってのに、これで演劇ファンになったら廃人同様じゃないの。 #
  • そんな演劇シロートの「トータル・リビング 1986-2011」の感想。劇中でタイガー・リリーが言うように、シェークスピアの「ハムレット」だからといって、それが演劇である必要はない。それなら、この舞台だって、果たして「演劇」なのかどうか怪しいものだ。 #
  • 確かに俳優の台詞も所作も演劇的で、何よりここは演劇祭の会場、演出家は演劇界で定評があり、演劇について造詣も深い。口を開けば演劇好きそうな言葉。しかし、そうなのか?ぼくはこの演出家から「演劇」に対する少なからぬ悪意を感じずにはいられなかったのだが。神学界に乗り込んだ異教徒のように。 #
  • 早稲田松竹で死刑台のエレベーターと地下鉄のザジを見た。日曜なのに駅前で学生が騒いでるな。今日は何かあったか? #
  • しかし昔の映画は面白いな #
  • 「トータル・リビング 1986-2011」の冒頭で飛び降りる女は後からザジとして出てくる女なんだよな。。彼女はどうしてザジなんだろう。ザジなんて名前の女、地下鉄のザジしか知らないよ、と思ったところで、ちょうど地下鉄のザジをかけているというので見に来た次第なのだが。 #
  • まる二日間、公道を自転車で走る一般参加のレース(雰囲気的には百ハイの自転車版のようなもの)に参加した夢。確か長野のほうまで行ったのか?何故か途中ずっとママチャリに乗る飴屋法水氏と抜きつ抜かれつ並走していた。二日目はあまりに眠く疲れて何度も途中のコインパーキングで休もうと思った。 #

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2011年10月22日のこころのまとめ

  • 先日参加したあるワークショップの講師の所作がずっと気になっている。そのテクニックで氏がどんなことをしてきたのかよく知らないが、氏の身振りを見ていてなぜか魅了されるものがある。男性の私にしてこうなのだから、女性はいかばかりか。これは芸術、いや、むしろ芸というべきかとさえ思う。 #
  • すげー久しぶりにwahの二人に会った #
  • 錦糸町→曵舟→牛田・関屋→千住大橋という経路で正しかったのだろうか。東武の牛田駅の真ん前に京成の関屋駅があるというのも理解しがたい。なんとか話し合いで一本に収めることはできなかったのだろうか。 #
  • 夕方千住市場で撮った足立智美さんのコンサートの写真を見返してるんだけど、なんかファッショっぽいんだよなあ。。一列に並んだ同じ色の服を着た人たちが号令に合わせて一斉に演奏するとか。大勢で音楽をやろうとするとどうしてもそうなってしまうものなのか。ま、わざとやってるのかも知らんが。 #

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