2011年11月19日のこころのまとめ

  • 病室から永六輔来た! #
  • 外は雨ですね。ぼくは部屋で待ち人。といってもケーブルテレビの工事の人。ぼくはケーブルには加入してないんだけど工事が必要なんだってさ。この散らかり具合の部屋に知らない人を上げるのは実に恥ずかしい。知っている人ならもっと恥ずかしい。 #
  • ケーブルの工事が終わったので一念発起して三鷹に行くことにします。 #
  • 三鷹天命反転住宅で映画「死なない子供、荒川修作」を見た。 #
  • 反転という言葉の意味が、歩きながら、重なり、問われ直され、再定義される。その繰り返し。何かが解ったような、道がつながったような一瞬が来て、しかと掴みきれないうちに靄のなかに消えるような…。夢を書き残そうとする時の感覚に似ている。 #
  • もっぱら反転という言葉の意味を、直線的な、時間軸上のひっくり返しのように思い込んでいたんだ。「死なない」とか「天命反転」といった言葉遣いからは、そう思ったとしてもおかしくないでしょう。でも、それだけじゃないんだな…。空間の反転というのがある。それもいくつかの段階で。 #
  • 時をおいて再見したからか、他ならぬこの場所で見たせいか、わからないけど。空間の反転の、ひとつは細胞レベルの反転。この住宅のひと部屋をひとつの細胞と考えよう。部屋に入る体験は細胞の中に入る体験なんだ。ぼくらは自分が細胞を包み込んでいると思い込んでいるけど、それを反転させてみる。 #
  • ふと、赤瀬川原平さんの「宇宙の缶詰」を思い出した。カニ缶を開けて、中味を出して、ラベルを缶の内側に貼り直したやつ。あれと同じことを自分の身体でやったらどうなるんだろう? ちなみに荒川修作と赤瀬川原平は高校の同級生という蘊蓄。 #
  • もうひとつはランドスケープ上の反転とでも言うか…。今日のゲストの建築家の筒井さんのお話を聞いてて思った。この住宅は周囲の一般的な住宅に対するいわば批評的な言及として、ありうべき外部の空間を反転的に内部に取り込んでいるんだな…。この反転によって室内が森にもなりうるんだ。 #
  • と、ひとり合点していたら、ここで「反転」の意味の問い直しを迫られることになる。必ずしも内と外の領域は没交渉じゃなく、いくつもの通路で結ばれているんだ。端的にはそれは窓を開け放つことで実現する。むしろそれを誘うようにできていると。反転というのはそこで断絶するものではないんだな…。 #
  • この映画は、山岡監督から荒川修作に宛てた、天命反転住宅住人としてのレポートでもあったんだな…。たまたま荒川修作が亡くなったから、この映画を荒川本人についてのドキュメンタリーと見ることもできるが、もし最初から荒川のドキュメンタリーとして撮ることになったら監督はどうするだろう? #
  • というのは、初期の荒川修作といえば「棺桶」でしょう。映画の後半に出てきた、おばあちゃんの入った棺桶と、荒川の「棺桶」が重なって見えてしまったんです。ということは、荒川の生涯を、棺桶を使って、それも円環を描くように、象徴的に描くやり方もあったのか、いや、それはいかにもあざといか…。 #
  • そういや大浦信行氏はニューヨークの荒川修作の下で7年間助手を務めていたそうなのだけど。なんだか今の建築畑の人たちに囲まれた荒川修作のイメージとはにわかにつながらないね。 #
  • サラリーマン・結婚・持ち家という三点セットがいけないんだろうな。少なくとも結婚さえしなければ郊外に家など買わなくても済むし、出世のプレッシャーもないからさっさと仕事を上がって芝居でも映画でも見に行けるぜ。 #
  • 111119 "CHILDREN WHO WON'T DIE – A Documentary Movie on Shusaku Arakawa" Showing and Talk http://t.co/puKUFCyq #
  • もうひとつの反転。内在論からの反転。先程の話の住宅の内と外のように、内在するものと外延するものがいくつもの回路で結ばれているようなイメージか。 #
  • 今さら気付いたけど、今夜のラジオ深夜便に田中泯さんが出てるみたいよ http://t.co/yxABVHpc #

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