2012年5月26日のこころのまとめ

  • 紫陽花は長持ちするからツマンナイね。でもこの色は今だけの色かも知れぬ。 http://t.co/Nb87IZs0 #
  • ヴィトリーヌ http://t.co/66UnaMbC #
  • 即興稽古前 http://t.co/LnP1YNGG #
  • float にいます。 (墨田区, 東京都) http://t.co/oYs5TvaF #
  • 即興稽古中 http://t.co/Dermbirj #
  • 俺のオザケンもそっちのほうだな #
  • 去年引っ越しを考え始めた頃、吉増剛造さんのgozoCineを見に毎晩のように東中野に行っていたから、一時期は東中野に物件を探していたこともあった。もしそうしていたらどうなっていたかな。 #
  • 西村晃まつりも半分くらい小沢昭一まつり入ってますね #
  • 小沢昭一のちょっとだけ小沢昭一的こころ #タイトルにちょっとだけをつけると謙虚 なんかアイドル番組みたいだぜ #
  • 微妙にぎこちない日本語 http://t.co/lBH98c2q #
  • ポレポレ東中野で「ひとりごとのように」見てきた。多分二回目かな。でも、初めて見るみたいに見たよ。ぼくが忘れっぽいだけかも知れないけど。。 #
  • たまたま今日昼間、某所でダンスの即興の稽古を見てたんだ。これは、大野一雄さんとは関係ない(はず)。そしたら近所の幼児たちが入ってきて、そこに敷いてあった座布団の綿をちぎって遊び出した。その時は可愛いな程度にしか思わなかったのだけど…。 #
  • 「ひとりごとのように」の稽古場の場面、大野慶人さんが研究生ひとりひとりに綿を渡して裂かせる。すると綿と綿の塊の間にやわらかな繊維が糸を引く。固いものの中から柔らかいものが現れるのが舞踏だと言うんだ。昼間見た綿と、偶然と言ってしまえば偶然なんだけど、符合を見たと思った。 #
  • 上映後、大野慶人さんが舞台に上がって、大野一雄人形とともに、ひと舞、ふた舞(これが目当て)。 #
  • そういえば大野一雄の存命中から慶人さんは大野一雄人形と踊っていた。米朝師匠の存命中から米朝ロボが高座に上がるのと似ている(かな) #
  • もうひとつ、稽古場の場面で慶人さんは、舞踏作品の始めから終りまでがずっと舞踏なんじゃなくて、その間に舞踏になる瞬間がある、というようなことを言っていたね。それはきっと、踊り手の手の中で花が咲くことと関係がある…。 #
  • 花の咲く「瞬間」と思わず言ってしまうが、実際には瞬間に咲くわけじゃない。緩慢な動きのうちに人知れず咲かすものだろう―科学番組の早回し映像でもない限り。でも、その「瞬間」というものがあると仮定しよう。そして、それが慶人さんの言う舞踏なのだと。 #
  • だから、慶人さんの言うように、一幕の舞踏作品の始めから終りまでが「舞踏」などということはありえない。あたかも花が、開花の間じゅう、その「瞬間」を絶えず反復するようなものだから。それは、途切れない絶頂だ。 #
  • いや、ある時から大野一雄は、その境地に至っていたのだろうかと。 #
  • ここで3缶目のビールを開けるか #

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  • 紫陽花は長持ちするからツマンナイね。でもこの色は今だけの色かも知れぬ。 http://t.co/Nb87IZs0 #
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  • 即興稽古前 http://t.co/LnP1YNGG #
  • float にいます。 (墨田区, 東京都) http://t.co/oYs5TvaF #
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  • 俺のオザケンもそっちのほうだな #
  • 去年引っ越しを考え始めた頃、吉増剛造さんのgozoCineを見に毎晩のように東中野に行っていたから、一時期は東中野に物件を探していたこともあった。もしそうしていたらどうなっていたかな。 #
  • 西村晃まつりも半分くらい小沢昭一まつり入ってますね #
  • 小沢昭一のちょっとだけ小沢昭一的こころ #タイトルにちょっとだけをつけると謙虚 なんかアイドル番組みたいだぜ #
  • 微妙にぎこちない日本語 http://t.co/lBH98c2q #
  • ポレポレ東中野で「ひとりごとのように」見てきた。多分二回目かな。でも、初めて見るみたいに見たよ。ぼくが忘れっぽいだけかも知れないけど。。 #
  • たまたま今日昼間、某所でダンスの即興の稽古を見てたんだ。これは、大野一雄さんとは関係ない(はず)。そしたら近所の幼児たちが入ってきて、そこに敷いてあった座布団の綿をちぎって遊び出した。その時は可愛いな程度にしか思わなかったのだけど…。 #
  • 「ひとりごとのように」の稽古場の場面、大野慶人さんが研究生ひとりひとりに綿を渡して裂かせる。すると綿と綿の塊の間にやわらかな繊維が糸を引く。固いものの中から柔らかいものが現れるのが舞踏だと言うんだ。昼間見た綿と、偶然と言ってしまえば偶然なんだけど、符合を見たと思った。 #
  • 上映後、大野慶人さんが舞台に上がって、大野一雄人形とともに、ひと舞、ふた舞(これが目当て)。 #
  • そういえば大野一雄の存命中から慶人さんは大野一雄人形と踊っていた。米朝師匠の存命中から米朝ロボが高座に上がるのと似ている(かな) #
  • もうひとつ、稽古場の場面で慶人さんは、舞踏作品の始めから終りまでがずっと舞踏なんじゃなくて、その間に舞踏になる瞬間がある、というようなことを言っていたね。それはきっと、踊り手の手の中で花が咲くことと関係がある…。 #
  • 花の咲く「瞬間」と思わず言ってしまうが、実際には瞬間に咲くわけじゃない。緩慢な動きのうちに人知れず咲かすものだろう―科学番組の早回し映像でもない限り。でも、その「瞬間」というものがあると仮定しよう。そして、それが慶人さんの言う舞踏なのだと。 #
  • だから、慶人さんの言うように、一幕の舞踏作品の始めから終りまでが「舞踏」などということはありえない。あたかも花が、開花の間じゅう、その「瞬間」を絶えず反復するようなものだから。それは、途切れない絶頂だ。 #
  • いや、ある時から大野一雄は、その境地に至っていたのだろうかと。 #
  • ここで3缶目のビールを開けるか #

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