新野新著「大阪廻り舞台」(東方出版)を一読した。
帯に「私的芸能ものがたり」とある。本書は、大阪で放送作家として活躍する著者が、昭和30年代初頭から現在までに手がけた種々の仕事や身辺に起こった出来事を中心に、当時の芸能やスターにまつわる追想を交えて書き記したものだ。
いわば著者の半生記といってさしつかえないだろう。
3年前に出版された同じ著者による「雲の別れ〜面影のミヤコ蝶々」(たる出版)も同様の趣があった。こちらは2000年10月に急逝したミヤコ蝶々と公私共に付き合いのあった著者が、長年にわたる蝶々との思い出を綴ったものだが、ミヤコ蝶々の伝記というよりは、むしろ蝶々というスクリーンを通して著者自身の姿が浮かび上がってくるように思えたものだ。
その点では、今回の「大阪廻り舞台」は、著者の自分史のかたちをとりつつも抑制された筆で記されており、また当時の芸能や放送についての客観的な記述も多い。これは、前著がミヤコ蝶々の死に際して書き下ろされたのに対して、本書は新聞連載を基にまとめられたということにもよるだろう。
大阪キタの北野劇場の演出助手から大阪の芸能界でのキャリアをスタートした著者は、民間テレビ放送の興隆期にコメディーやドラマの台本作家として活躍し、さらにバラエティー番組の構成やラジオのパーソナリティー、テレビタレントと活動の幅を広げながらも、常に大阪の芸能、放送の現場で仕事をしてきた。
著者になじみのない関西圏以外の読者も、本書によって戦後の大阪の芸能史をひとつの視点から俯瞰することができるはずだ。
また、本書の記述から伝わってくるのは、著者の一貫したショウビジネス、舞台芸能に対する愛着であり、失われゆく大阪の芸能文化、放送文化への愛惜の念である。
と、偉そうなことを書き連ねたが、ぼくの大阪の芸能や放送に関する知識は、ほとんどが著者のエッセイや芸能評論によるものなのだ。
改めて残念に感じたことだが、本書の中には、著者が台本や構成を手がけ、あるいは自ら出演したテレビ番組の名前がちりばめられているのだが、そうした大阪制作のテレビ番組のほとんどを、ぼくは見たことがない。
つまり、いわゆる大阪ローカルのテレビ番組は、関西圏以外の地域では、東京だろうとその他の地方だろうと、視聴することがまったく困難なのだ。
番組制作の機能が東京のキー局に集中するようになり、長い不況もあって大阪制作の番組が衰退していく状況を著者は嘆く。
が、一方で著者が落語家の笑福亭鶴瓶と共に続けているインターネットラジオの試みは、放送エリアの限定やキー局、ローカル局といった旧来の放送システムの枠組みを変えていく可能性を秘めている(いまだ可能性に留まっているのが悲しいが)。
願わくは、本書からも垣間見える著者の魔力、いや魅力が、大阪ローカルという枠を超えて全国、全世界に届かんことを祈る。
ところで今日、2月23日は著者の69回目の誕生日。いつまでもお元気でいてください。