長くなったので稿を改めます。
いったん話はそれるが、今回の末広亭への小沢さんの出演は、小沢さんと旧知の仲である、柳家小三冶師匠の勧めによるそう。
この末広亭6月下席夜の部の主任は、その小三冶さん。番組表を見ると、小沢さんはトリの二人前。例の「小沢昭一的こころ」で、確かこの順番のことを「尻三」という言い方があったと、小沢さん、言っていたっけ。
ところがこの日、実は小三冶師匠はお休みで、トリは柳家権太楼師匠が代演となっている。寄席に代演、休演は珍しくないことで、致し方なければ即ちやむを得ないのだけど、せっかくなので、小沢さんと小三冶さんの絡みなんてのも、期待したかったところかな。


小沢さん曰く、小三冶さんはどうしてお休みなのか。今日はその理由を徹底的に追求したい、というわけで、鬼のいぬ間のなんとやら、まずは小三冶さんについてのあれこれを。
小三冶さんは東京の大久保出身。お父さんは学校の先生で、ご自宅で書道を教えていたこともあるそうだけど、なんと小沢さんの奥さんも大久保に住んだことがあって、小三冶さんのお父さんに書道を習ったことがあるという奇縁。
それから、小三冶さんの結婚の際の意外なお噂もありましたが、まあ、これはここに書くのは控えておきましょう。案外、今風だったという、そういうことですが。
さて、小沢さんが若い頃の落語界の名人といえば、先代の桂文楽、そして古今亭志ん生。小沢さんは、舞台で文楽師匠の役を演じたこともあるそうで、実は持参の風呂敷包みの中身は、その時の桂文楽に扮した小沢さんの写真パネル。
小沢さんが文楽師を演じたのは、本人が亡くなった後だそうで、さっきの小三冶さんについてのお噂同様、やっぱり当人の前ではやりにくいということか。
持参の風呂敷包みをほどくのに、小沢さん、舞台袖のお囃子さんに言って、当時の文楽師匠の出囃子を弾いてもらう。登場のタイミングに合わせてご開陳。パネルを机の前に立てかけた。
小沢さんも小三冶師や入船亭船橋師達と句会を開いているが、当時、文楽、志ん生といった大看板がこぞって参加する川柳の会があったそうだ。
文楽師の死後、川柳のお師匠さんだった方(上野のお寺の住職と言っていたか)が、文楽師の句だけを集めた小さな句集を私家版で発行したのを、小沢さん今日は持参されていて、これは宝物なのだそう。
その句集から、文楽師匠の川柳をいくつか紹介。どういうわけか、やたらお妾さんの句が多い。そして最後に、正しい文言は定かじゃないけど、「鈴本の出番をお金儲けのためにこっそり抜いた」というような内容の句を紹介した。
鈴本は上野の鈴本演芸場、抜く、というのは、寄席の出番を休演すること。
つまり、今日、小三冶さんがお休みの理由は、今の句の中にヒントがある、というところでお時間。
小三冶さんから、小沢さんが出演するのならハーモニカを吹かなきゃと言われて、昨日、おとといはハーモニカをじっくり演奏したけど、今日は小三冶さんがいないから、ハーモニカはお休みにします。明日またたっぷりとお聞かせする、なんてことを小沢さんが言うと、会場から、えー、という残念そうな声。
それを聞いた小沢さん、ふところから小さなハーモニカを取り出し、「むすんでひらいて」を吹き始めた。
最後はハーモニカを演奏しながらの退場だったから、「また明日のこころだァー!」というようなセリフはなかったのでありますね。
いやー、小沢さんの出番、終わっちゃった。でもまだ番組は残っている。
ぼくも含めて、今日は小沢さん目当てで来ているお客さんも多いし、そんな人は、小沢さんが現れたところでクライマックスに達しているようなものだから、その後の人は、やりずらいんじゃないだろうか。さすがに途中で帰る人は、目に付かなかったように思うのだけど。
小沢さんのすぐ後は、俗曲の柳家紫文さんの出番。色物だから、まだよかったのかな。
続いてトリは、さっきも書いたけど、小三冶師匠の代演の柳家権太楼さん。
小三冶師匠は、今日は風邪をひいてお休みです、なんてトボケている。
最近行ってきたという大西洋クルーズの話、それから日韓関係の話などをまくらに、ネタは「代書屋」。
以上、駆け足になったところもあるけれど、小沢さん登場の末広亭レポートを終わります。この日は代演や出演順の変更もあったし、これは、もう一度出直しかな。

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