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横浜のBankARTに「食と現代美術 Part2」という展示を見に行ってきた。
サブタイトルで「美食同源」なんてシャレてもいる。
そもそもぼくは、食べることも飲むことも大好きだが、食べることや飲むことについて書かれた文章を読むのも大好きである。
では、食べることや飲むことについて描かれた美術作品を見ることについてはどうか。
ま、あんまり考えたこともなかったけれど・・・。


BankArt1929の地下の、誰もいない展示室で、「絵画に現れる食のイコン」という映像をぼんやりと見ていると、そうか、この作品も、あの作品も、食というキーワードで引っ張ってこられるのか、という新鮮な思いがあった。
今回の一連の展示の中で、あの映像がぼくにとっては一番示唆的だった。批評的といおうか・・・。
何かを飲み食いして美味しい、というのと、何かを見て美しい、というのとは、確かに共通するものがあるのだろう。感覚的な部分と思弁的な部分とを行ったり来たりしながら、ひとつの感興、ひとつの記憶に結びついていくような、そういうプロセスがあるのではないかと思う。
一方で、食べることや飲むことについて書いた文章を読んで面白い、というのは、また少し違う話のようにも思う。地下の展示室で感じたものは、どちらかというとこっちの面白さに近いようにも思う。
それ以外の、今回の展示のために制作された作品の多くは、どういえばいいのだろう、あえて「食と現代美術」というテーマでくくるほどの「食」に対する切実さを、正直なところあまり感じなかった。
(とはいえ、BankArt Studio NYKの折元立身氏のインスタレーションは、とにかくこれだけ大量のパンを見たことなんてなかったし、もう少しぼくの頭がさえていれば、そこに何かの強烈なオブセッションを感じることもできたのかもしれない。鬼頭健吾氏のインスタレーションの前では、酒瓶からパイプを通って循環する色水の動きを見ながら、ぼんやりと立ち尽くしてしまった。そもそもぼくは、こういう作品が好きなのだ。また、BankArt1929の1階ホールのbook pick orchestraの企画は、「食について書かれた本」を使って、ひとひねりしてあって、ちょっと面白かった)
むしろ、これまで「食」というテーマでくくられていなかったものを、あえて「食」にくくりつける行為のほうに、ある種の壮快さを感じた。
それを逆転させれば、これまで「美術」にくくられていなかった「食」を、強引に「美術」にくくりつけてしまうということになるのだろうか。
実際に、今回の展示でも、横浜の実在の飲食店がBankArt1929の1階ホールに出展していて、ぼくも会場内でシンハーを飲みながらグリーンカレーやパッタイを食べたり、泡盛を一杯やったりした。また、「横濱芸術のれん街」と題して、市内の飲食店の店内に作品を展示するコラボレーションの企画もあり、こちらのほうはあまり見られなかったけど、野毛の「三陽」の中の風船とパンツのインスタレーションは見た。
まあでも、そうした、言葉は悪いけど、ある意味では中途半端な企画よりも、例えば三陽などは、店の存在自体が強烈な力を放っている。
だから、そのような「異形」の「食」を切り出して、そのまま「美術」として提示する、という方法のほうが、ストレートな力強さを感じることができるのでは、とも思う。
その点では、BankArt1929に展示されていた林のり子さんの仕事は興味深かった。
また、増山麗奈氏の自分の母乳を使ったパフォーマンス。ぼくは残念ながらその実演を見ていないので、それ自体についてどうこう言えないのだけど、母乳を使ったお菓子と聞くと、どうしても「探偵!ナイトスクープ」の名企画「母乳でケーキ」を思い出してしまう。
ていうか、ナイトスクープでの林繁和先生の一連の企画は、あれはもう現代美術ですよ。ABCのサイトには掲載されていないけど、女の子が自分の等身大のバレンタインチョコレートを作ってほしいという依頼もあったなあ。あれなんか、ちょっとジョージ・シーガルじゃん。
話はそれたけど、「食と現代美術」というなら、ぼくは、生々しい「食」の現場にもっと立ち会いたい。だから、BankArt1929を出て、野毛町に入り、立ち飲みで辛いソースのフライを食べ、理容室を改造したバーで一杯やり、ラスカルズの流れるおでん屋で焼酎を飲んだ後、「三陽」でネギトリを食べた。
さて、食と現代美術について考えていて・・・。
本当は、美術と食の話をするのなら、美術と性の話だってしなければいけないとも思う。
「食」を「性」と読みかえて、「絵画に現れる性のイコン」なんて企画をしたら、いくらでも作品が挙げられることだろう。
とはいえ、どうしても、セックスの話は恥かしいのだが、だったらどうして食の話は恥かしくないのか。いや、もともと恥かしい話だったのが、飲み食いについての情報がアホほど流通するようになって、そのへんの感覚がすっかり麻痺してしまったのか。まあよくわからないが、芸術とセックスは、その深いところで通底しているはずのものだ。
芸術と芸能との重なりあい、そして芸能とセックスの不即不離なこと、実は、小沢昭一さんの本から多くの示唆を受けたし、まだまだ知るべきことが多い(だから要するに、ぼくにとって、思いが至ったのは、しょせんここ1年くらいの話だ)。
このへんは、ぼくが多言を費やすより、小沢さんの「私は河原乞食・考」や「私のための芸能野史」を手に取っていただければ・・・と思う。
ぼくも、今夜もう一回読みかえそう。
BankART 1929
http://www.bankart1929.com
探偵!ナイトスクープ(朝日放送)
http://www.asahi.co.jp/knight-scoop/

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