某月某日
AAFすみだ川びっくりアートツアーに参加。
向島界隈から錦糸町までぶらぶら歩く。時折小雨は降るが、大降りにもカンカン照りにもならなかったのは幸い。
ツアー終了後、何人かの方が打ち上げにビールでも飲んでいくというので、私もノコノコ付いていく。錦糸町北口のビル地下の居酒屋に入った。
店に腰を落ち着けたところで、よくよく話を聞くと、打ち上げに参加した私以外の方すべてが今回のイベント関係者、あるいは過去に関わったことのある方ばかりで、いやはや、今考えても、冷や汗の出る思い。


しかし、酒が入ると私も気が大きくなってくるもので、いろいろお話を伺う中で浮かび上がってきた思い、すなわち、場所もない、カネもない、だけど美術が好きで、若い作家さんたちを支援したい。そんな人に、何かできることはあるのか?という疑問をぶつけてみる。
ひとつの答え。自分の見たものを言葉にして、それをできるだけたくさんの人に伝えること。
もうひとつの答え。安いものでもいいから、彼らの作品を買ってあげること。そこから広がる関係がある。
さらに、別の人の答え。私も場所はない、だけど、自分の場所がなくても、クラブをハコ借りして、アートイベントを企画する。そして、知っているアーティストに声をかけて、そのアーティストの知り合いを呼んでもらう。
なるほど。それだとリスクはハコ借りの代金だけで、あとは客が来れば来るだけ、そのチャージはアーティストたちのために回すことができる。
しかし、それは若くて人望のある人の場合だよ。今のぼくには、その両方ともない。
せいぜい、今のぼくにできるのは、なるべく多くの若い人たちの作品を見ることくらいだ。実にナサケナイ限りだが、それでも、見ないよりはマシだという一念で足を運ぶ。
もっとも、それには時間的な制約がある。なぜ、ほとんどのギャラリーは、日曜は休み、平日も夜7時くらいで閉めてしまうのか。公立の美術館も同じ。もし美術館が平日8時、9時まで開いていれば、仕事帰りの会社員も気軽に見に行けるのに。
今回の一連のイベントでも、学生など若い人たちが献身的にボランティアとして活動に従事していることには心から敬服する。しかし、なぜ学生ばかりなのか。30代、40代の社会人が、現代美術、あるいは広く文化的な活動から遮断されてしまうような構造的な問題がある。そこには多くの潜在的な美術好きが眠っているかもしれないのだ。
おっと、居酒屋の話はどこかへ行ってしまった。が、若い人たちの熱気にあてられて、ぼくもおかしくなってしまったようだ。こういうことだから、いけないんだな。もう少し自分の年を省みないといけないのだろうが、まあいいや。このまま狂っていきましょう。
某月某日
ゆうべ、近所の焼鳥屋に行った帰り、自転車に乗っていたら歩道の植木にぶつかって、したたか体を地面に打ち付けてしまった。まあ、肘をすりむいたくらいで、大したことはないですけどね。
しかし、朝になってみると自転車のチェーンが外れていたので、少し歩いたところにある自転車屋で直してもらう。修理代、100円。
茗荷谷でひとつ用を済まし、それから新宿に出て買い物。初台に行って帰って、高田馬場に出て、また別の用を済ます。
いったん早稲田通り沿いの鳥やすに入ろうと思ったが、なんだかぼくの気が乗らなくて、すぐに店を出る。それで、さかえ通り沿いの鳥やすに入り直す。
瓶ビール、お酒、それからお酒をもう一杯。焼き鳥4本と、松前和え(鶏肉のわさび和え)。
ルミネのブックファーストで買った、小沢さんの「小沢昭一的新宿末廣亭十夜」を読みながら。
高田馬場の駅頭は、何があったか知らないが(あるいは何もなかったのかも知れないが)若い人だらけ。またも、熱気にあてられる。

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