予感と事件

昨夜は蒸し暑かった。なかなか寝つけず、だらだらとYouTubeを見ていたせいで、寝不足の朝。

朝はドトールの持ち帰り。大豆ミートのサンドイッチというのを初めて。ゆっくり、じっくり味わえば普通の肉との違いも分かるのかも知れないけど、慌てて食べる分には正直どちらでも構わない。

昼は鯖塩焼き。二日連続だが流れでこうなった。食後は河岸を変えてコーヒーを飲みつつ、ストリートピアノのチラシ置き依頼。

アートトレイスギャラリーへ。

展示作家のひとりの岡本羽衣さんは、何年か前、今の文華連邦の場所がドマトココという名前だった頃に、展示を見に行って、言葉も交わしたことがあるはずだが、どんな作品だったか、もう思い出せない(というか、ドマトココの名前も、にわかに思い出せなかった)。

が、今回の稲垣美侑さんという人との二人展は好ましく見た。稲垣さんの作品の中で、塗り重ねられ、あるいは貼り重ねられた色彩や形が語り出して、さらに並べて展示してある岡本さんの作品とも会話が展開しながら、世界が広がっていくようだった。

近くの緑図書館で時間調整してから、アートトレイスギャラリーに戻ったけど、それでもまだ早い。手持ちぶさたにしていると、イベントの準備のためにいくつかの作品が一時的に場所を動かされていた。定位置で展示されていた時とは少し違って見える。なんだか作品が楽屋で休憩しているみたいだ。

永瀬恭一さんによる連続対談「私的占領、絵画の論理」の第三回に。第二回に続いての参加。今回の対談相手は辻可愛さん。辻さんは二年前にTABULAEで個展を拝見したことがあるが、それ以前の作品は、私の目には新しい。

今回の対談は「予感を描くことは可能か」と題されていたが、辻さんの初期の作品の、人体の一部とおぼしき物体を大きく描いた絵画は、確かに「今にも動き出しそう」と感じられるものだった。

一方で、永瀬氏からは「事件現場」という言葉も出ていた。投影された辻さんの作品には、一本の紐が無造作に置かれたさまを描いたものもあり、この状況はすでに起こってしまった事件ということなのだろう。

画面上に配置されたものから生じる気配が、時に予感として感じられたり、事件として感じられたりする。それは時間軸上のゆらぎなのだろうか。

何かが起きようとしていることと、何かが起こったこととの関係を片付けられないでいるうちに、さらに、何かを起こそうとしていること、が現れた。この三つをどう整理すればいいのかと、ぼんやり考えているうちに、対談の時間が終わった。

歩いて錦糸町へ。

1時間だけ、楽天地スパに。

かじめラーメンは一回食べただけで終了。こんなところからも9月の終わりが近づいているのを感じる。

8,240歩。表示上はそうだが、駅に着いたところで電池が切れたから、実際はプラス数百歩か。