スターにはかなわない?

東京かわら版の6月号のインタビューは柳家喜多八師。
ついこのあいだ、ねぎし三平堂の落語会に行ったら、トリが喜多八師だったので、そのときの姿がほうふつとする。
実は、そのとき初めて師の落語を聞いたのだけど。
喜多八師の出番は仲入り後すぐ、というか、それがトリね。
まず、師の登場に先立って、座布団返しに現れたのは、なんと林家正蔵師だあ!
不意の登場に場内びっくり、そして拍手。
続いて現れた喜多八師、正蔵師が返した座布団をもう一回返し直す。
そして、スターにはかなわないね、とひとこと。
このひとこと。かわら版のインタビューに出てくる、そのままだね。
でもね、そういうぼやき口調で始まった師の落語に、いつのまにか引き込まれてしまった。

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昭一ジジイ

相変わらず小沢昭一のことばかり考えている。
てゆうか、こんな書き出しはマズイだろ、いくらなんでも。
そう思いつつも、実際、それに近い状態なので、どうしようもない。
新宿駅のホームで電車を待っていたら、不意に、
「小沢昭一の小沢昭一的ロココ」
というフレーズが頭の中に浮かんできた。
うーむ、このネタ使えるぞ(って、一体どこに使うんだよ)。
うちに帰ってから、念のため、先に考えついている人がいないか検索してみると、なーんだ、2ちゃんねるの何かのスレッドらしいページがヒットするぞ。
残念。まあいいか。

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演博から

少し前の話になるけれど、恵比寿の写真美術館でやっていた「恋よりどきどき」展は、結構ショックだった。
というのは、そこに出展していたコンテンポラリー・ダンスの集団のことを、ぼくはまったく知らなかったから。
いや、単に、今、自分が知らないということなら、これから知っていけばいいわけで、それ自体は別にショックでもなんでもない。
むしろ、ぼくが知らない人たちが、ものすごい集客力を持ってすでに何年も活動していた、という事実が、かなりショックだった。
まあ、もともとバレエやダンスなど、まともに見たこともないし、ろくろく知らないんだけど。
ただ、そういった、ろくろく知らないけどなんだか面白そうだ、ということを見つけるアンテナや、見つけたことに関心を持って追いかけていくエネルギーが、今の自分には薄れてしまったのかなあ、という悲しさがあった。もしこれが、学生のころの自分だったら、どうだったかと思う。

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商売と演技 その2

この話の続き。
前回書いたようなことは、程度の差こそあれ、多くの人が経験しているのではないか、と思う。
ただし、ぼくの場合、その女の人のキャラクターのせいもあって、その人が電話に出る前と出た後の口振りの差が、余計に大きく見えた、いうことはある。
そしてもうひとつ、今にして思えば、当時のぼくは、商売で売り手の側に立ったことがなかったので、その人の態度の変化を、ただ奇異なものとしか認識できなかったのだろうと思う。
コンビニやファーストフードなどで、客商売のアルバイトの経験のある人なら、目の前の客に媚を売ったり、美辞麗句を弄したりということは、日常茶飯だろう。
そうであるなら、客とそうでない人とで、こちらの態度をガラリと変えることなど、さほど驚くことではない、と考える人も多いのかも知れない。

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「富山」が「世界」で「世界」が「富山」で

腰が痛い。
たとえば、床とか低いところにある物を取ろうとするでしょう。
かがむと腰が痛い。だから、しゃがんで取る。
この感覚がわかるようになったら、おじさんの仲間入りではないかと。
連休に、実家の畑で耕運機を動かしたんだけど、いや、耕運機といっても家庭菜園用のごく小さなものですよ。自走式でもない。
ということは、前に進む速さを調節したり、耕す向きを変えたり、そういう動きひとつひとつに、ヘンな力をかけないといけない。
そんなことを繰り返しているうちに、腰をおかしくしてしまったようなのです。
いやはや。なんだかもう年ですかね。

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商売と演技

学校を出て最初に勤めた職場で、ぼくの上司になったのが、まあ、これがなんともアクの強い、クセのある女性であった。もう10何年も前のことだ。
この人も、今にして思えば、今のぼくと同じくらいの年だったのではないか。
そう考えてみると、また少し違った思いが沸いてこなくもないが、少なくとも当時、その人とぼくは、ソリが合わないというのか、なんというのか、まず、一緒に仕事をしていて、楽しいとか気が休まるとか、そんなことは一切なかった。

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