ローカル

ゴミ出しをしていたらあまり時間がなくなってしまった。コートは省略。朝はドトールの持ち帰り。

昼はイタリアン。一皿目、何かのムース、スズキのフリットとイクラを乗せて。二皿目は石鯛のカルパッチョ。三皿目、平打ちのパスタにはノドグロを練り込んであるとのこと。カラスミを和えて。四皿目、牛肉と黒豚のグリル。黒豚は宮城の産で、KAZUGOROというブランド豚なのだそうだ。私はこの豚の個体の名前がKAZUGOROかと思ったと言ったら、豚が食べられなくなると言われた。五皿目、かぼちゃのプリン。コーヒー。

夕方、錦糸町に出たら、駅前の街がいぶされたように煙い。一瞬火事を疑うが、焼き鳥のにおいがする。どこかの焼鳥屋が景気よく煙を出しすぎたか。ここまで街に煙が流れるのは、コロナ禍で換気をよくしているせいだろうか。

神保町へ。美学校の「宥学会・遊学塾」に。講師は美術批評家の土屋誠一氏。

講題は「美術における『京都学派』 須田国太郎から考える あるいは、別のモダニズムについて」。この「別のモダニズム」の部分には何とかついていけるかと思われたが(それも怪しいが)、話が京都学派、具体的には西田幾多郎の思想に及ぶと、途端に難解さが極まる。

ともあれ、西洋における「自然」と固有色の関係は興味深く聞いた。ひとことで「リアリズム」といっても、どうやら二つの見方がありそうで、それは突き詰めれば「自然」をどう捉えるかに拠るのではないか、というのが私の辛うじての理解。

しかし固有色って英語でlocal colorって言うのか。日本語の固有色という字面とずいぶん語感が違う。普通、ローカルという外来語から、固有という意味はなかなか出てこないだろう。考え出すと深みにはまりそうだから、このくらいにしておくが。

ない頭を捻って疲れた。夜の散歩は省略。11,009歩。

30分

今シーズン初、コートを着て出かけた。朝は調理パンの店の持ち帰りサンドイッチ。

昼はイタリアン。一皿目、ミニトマトのゼリー寄せ。ツルムラサキの花芽をあしらっている。二皿目、テリーヌいろいろと野菜の盛り合わせ。テリーヌは黒豚、浜田港の魚介、山形のきのこ、後は忘れた。野菜も山形。三皿目、エビのクリームソースのスパゲティー。四皿目、地鶏のグリル、インカのめざめときのこを添えて。五皿目、抹茶のティラミス。コーヒー。

夕刻、バスで錦糸町に移動して所用。

楽天地の入口前に老若男女の行列ができている。何かと思って覗くと、和菓子の製造直売だった。和菓子って人気なんだね。

今日は昼をしっかり食べたが、お腹がふくれた後はその分お腹が減るのは道理である。帰りにミソタンメンなどを食べてしまった。

お腹がこなれるのを待っていたら、ずいぶん遅くなった。夜の散歩に。さすがにパーカーでは寒いので、これも今シーズン初のアウトドアジャケットを着て出かけた。これなら中はTシャツ1枚でも大丈夫である。

いつもの銭湯に。余所見せずに歩いても30分かかることが分かった。閉店時刻が近い。お客の姿も少ない。お店の人が流し場に片付けに入ってきた。外に出ると表の看板の電気が消えていたのは、初めて見た。

歩き出して程なく、日付が変わった。11,121歩。

ゆであずき

サウナの休憩室で居眠りするのはよくあることなのに、サウナから帰宅した夜はなぜか目が冴えてしまう。昨夜も夜中の3時くらいまで寝付かれなかった。

そんなわけで寝が足りないし、あまり早起きはできなかったけど、少しの間でも朝の散歩に。

影が長い。秋から冬に季節が移りつつある。

巣ごもりと所用を終えて、夜の散歩に。Tシャツの上に長袖のTシャツ、その上からパーカー。これだけではもう寒いが、銭湯に入るまでの我慢と思って歩く。

いつもの銭湯。変わり湯はゆず湯。

朝の分と合わせて1万歩になったので始めた。まず生ビールとポテトサラダのサンドイッチ。

二杯目はホットゆであずきハイ。温かいものをとメニューを見ていたら目に留まった。かなり変化球のようだが、千束通りにある喫茶店「デンキヤホール」の名物「ゆであずき」を焼酎で割ったもの。お汁粉をごく薄くしたものにお酒が入っているとでも言おうか。あずきの粒をつまみ代わりにして飲む。

お酒を生ハイボールに替えて、つまみはゆであずきとチーズのカナッペ。こうなったら、とことんゆであずきで行く。

さすがに薄着すぎて驚かれてしまった。足早に帰るうちに酔いも醒める。12,662歩。

おきに

朝は錦糸町に出て、喫茶店のモーニング。もう少しゆったり過ごしたいところだが、慌ただしく片付けて、天気がいいので駅から歩く。

昼は金沢カレーというやつ。その後コーヒー。

夜はパルコのフードコートでカレーラーメンというのを食べたが、昼とカレーが重なってしまった。

楽天地スパに。19時のロウリュに間に合った。それほど混んでいないので有難い。この後21時と23時のロウリュにも参加。

ところで上記の状況を表すのに、ロウリュに「1時間おきに」参加した、と言うのと、「2時間おきに」参加した、と言うのとでは、どちらが適切か。日本語のあいまいなところであるようだ。https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/term/065.html

ともあれ、都合5時間近く滞在していたが、その間特に何かしていたわけでもなく、ひたすらボケっとしていた。世の中あくせく過ごしている人も多いのに、申し訳ない。

サウナ上がりで身体が温まっているうちに、錦糸町から歩いて帰ってもいいかなと思ったけど、冷えそうだし、今日のところは電車で帰る。コートを着てたら歩いたかも。7,231歩。

タワービュー

朝はコンビニのサンドイッチ。昼はきつねそば。

夕刻、錦糸町からタワービュー通りをスカイツリーに向かって歩く。

いつもなら、このあたりを歩いてもスカイツリーを横目に通りすぎるばかりだが、今日はちょっと思うところがあって、ソラマチの中の墨田区の物産品を置いている店を覗く。が、これは、という品物は見当たらず、さんざん眺め回して、冷やかしただけで出る。

曳舟川通り沿いの店に入った。初めてではなく、去年の今時分に、人に連れられて一度来たことがある。年長のご夫婦で切り盛りされている店で、名前にはカフェとついているが、夜はお酒と食事が主でしょう。ポークジンジャーがお勧めらしいので生ビールと併せて注文。二杯目はハイボールにする。

ほろ酔いでぶらぶら歩き、もう少し飲みたい気分を抑えて帰宅。

スーパーに寄ったら、もうクリスマスツリーが出ている。まだ11月前半なのに、ずいぶん気忙しい。10,060歩。

熊手

リンゴと柿を朝飯代わりに。急いで柿を食べないとどんどん柔らかくなってしまう。

外出。ヒガムコでコーヒーとサンドイッチの早昼。コーヒーは、以前はプラージュブレンドにしていたが、最近はもっぱらメールブレンド。サンドイッチの具は地蔵坂のOTISのハム。

半蔵門へ。国立演芸場の11月上席、五代目金馬襲名披露興行に。

当席は11月1日の初日に続いて二度目の訪問。もともと今日行くつもりで予約していたのを忘れて、後から初日も予約してしまったのだった。いかにも迂闊だが、結果的にはそれでよかった。初日に出演していた金翁師が今日は出演がなかった。高齢の金翁師の出演はその日の体調次第だから、初日に姿を拝めたのは幸いだった。

開口一番 柳亭市松「小町」
前座噺のようだが私の耳には新しかった。この噺は、「道灌」の前段として口演されることがあるらしい。小野小町と深草少将の「百夜通い」の物語(小町は少将に百夜通えば恋を叶えると約束したが少将は九十九夜目の雪の夜に行き倒れた)が、尾籠な落ちになる。

柳亭市若「牛ほめ」
声が大きい。ということは前座さんが大人しかった?

三遊亭金也「たいこ腹」
金馬一門の噺家さんは、正直いって、新しい金馬、もとの金時さんくらいしか馴染みがなかった。金也さんは先代金馬、現金翁さんのお弟子さん。童顔のせいか、お坊ちゃんのような雰囲気の人だが、ご当人のブログを見ると、どうして弾けたところもありそうだ。この「たいこ腹」という演目は、若旦那がいくら退屈で仕方がなくても、急に鍼を打とうと思い立つのは唐突だと思わないでもなかった。金也さんの演じ方では、若旦那は、父親が横町の鍼医に行ったのを見て、鍼を打とうと思ったことになっている。なるほど。

マギー隆司
当席初日と同じネタ。すなわち、紅白のハンカチ、カード、三色のロープ。

春風亭小朝「新・袈裟御前」
夫のある袈裟御前に恋慕した遠藤盛遠、後に出家して文覚が、御前とその夫を取り違えて殺してしまうという物語に、小朝師の大河ドラマへの出演や、芸能界のゴシップ、世間の夫婦の浮気率等、下世話な小ネタを絡めていく。傷のあるなめくじを御前の生まれ変わりと飼っていた御前の母親だが、いつの間にか、なめくじが消えてしまった。娘だけに手塩にかけすぎたから、というサゲ。噺の導入で師が奇祭として紹介していた「なめくじ祭」は実在するらしい。
しかし、小朝さんが現代の客に降りていく時の言葉のセンスはどうなのだろう。正直、80年代的というか、今の空気からズレているように思えてならない。

柳亭市馬「がまの油」
市馬師のがまの油の啖呵売の口上が聞きもの。胸がすく。

口上
舞台下手から金也(司会)、小朝、五代目金馬、小さん、市馬の順。小朝師は、自身の師匠である先代柳朝師が倒れた後、金翁師が毎年見舞いを送っていたというエピソードを紹介。今回の金馬の襲名は、ただ金翁師の倅だからではなく、かくも律儀で芸にも真摯な金翁師が認めたのだから間違いないと、近年の木久蔵、三平の襲名を当てこすりつつ挨拶。この小朝師の口上を、やはり実父の名跡を襲った小さん師はどう聞いたか。ある意味、小朝師が小さん師に宛てたネタ振りと言うこともできるのに、小さん師は特に反応せず。

柳家小さん「豆屋」
この噺も私の耳には新しかった。貧乏長屋に入りこんだ豆売りが、「らくだ」に出てくるような粗暴な住人に翻弄される噺。

すず風にゃん子・金魚
柳家小菊さんの代演。おなじみトレーニングバスツアーでのアニマルエクササイズのネタ。金魚さんの頭には酉の市の熊手。

三遊亭金馬「ねずみ穴」
しっかり聞かせた。初日に聞いた「柳田格之進」もよかったが、武士と町人とが交わったために翻弄される人々の悲劇であり、やや肩が凝る。今日のネタは町人の物語だが、兄弟の生きざまの違いが根底にある。兄が弟に商売の元手として貸した額が三文だとか、弟は所帯を構えて幼い娘がいるのに対して、兄は食い扶持がかかるだけだと妻子を持たないというのは、物語上の実話なのだろう。結果的には弟の身代は無事で何よりなのだが、この生きざまの違いは残る。

一旦帰宅して、日が落ちきる前に散歩に。

金美館通りに入って程なく左に折れて、歩いていると、合羽橋通りに出た。日が暮れて、ほとんどの店はすでに店を閉めている。西浅草から六区に。

千束通りまで戻って、喫茶店で休憩。初めて入る店。店先に浅草界隈の食べ歩き地図が置いてあった。この辺りの通人が作ったものなのだろう。この店はオムマキ(卵で焼きそばを巻いたものとか)が旨いらしい。今日のところはコーヒーだけでお許し願う。

脱衣麻雀ゲームが置いてあった。動くんだろうか。

いつもの銭湯へ。変わり湯はゆず湯。

帰り道で雨に降られた。濡れながら歩ける程度の小雨だったけど、寄り道せず帰宅。夜は家にあるもので済ます。18,017歩。

空き缶を出す日。リンゴと柿を朝飯にする。荷物が早めに届いたので、午前のうちに出かける。と言っても、行先はサウナ。土曜日だが、さすがにこの時間は空いている、人気のない朝のサウナはいい、と思っていたら、サウナ室からどんどん人が出てきた。単にロウリュ中でサウナ室に人が集まっていただけだった。

GO TOナントカの類は未だによくわからない。安く旅行に行った、安く飯が食えた、という話をちらほら聞かないでもないのだけど、どうすれば適用されるのか、どこで申し込めばいいのか、等。このGO TOサウナは便乗企画でしょうが。

昼間からビール、ではなくオールフリー。氷なしでコップに注ぐと、ビールと見分けはつかないね。

夜は三軒茶屋へ。シアタートラムで、康本雅子さんの『全自動煩悩ずいずい図』を見る。ダンスの公演(歌舞伎舞踊は別にして)を見るのは、コロナ後初。

シアタートラムでの康本雅子さんの公演は、2012年に『絶交わる子、ポンッ』を見た。もう8年も経つのか。まだ震災が生々しい時期で、原発事故と結び付けて見たことを思い出す。私の見方なので、そういう制作意図だったのかは分からないけれど。

そして、今回の公演は、図らずもコロナ禍の中で行われることになった。まったくの新作ではなく、今年2月の京都での公演のリクリエーション版とのことだが、どうしても現下の状況に引きずられて見てしまう。

出演者は康本さんを含めて8人。もう少し前だったら、この形の公演は難しかったかも知れない。というのも、舞台上では8人が濃厚接触するから。おそらく、練習中や公演中は、関係者以外との接触を避けるよう律しているのだろう。

これも私の見方だが、この出演者たちを家族と見立てた。舞台上は疑似的な家庭ということになる。コロナ禍では家族間以外の濃厚接触は禁じられたが、それを逆に考えて、濃厚接触を行う者同士を家族と言うこともできるんじゃないか。

康本さん含め出演者たちは、ひとりを除いて、寝間着とも体操着とも見えるような衣装を身に着けていた。

コロナ禍ではスポーツも禁じられた。やはり濃厚接触を伴うから。寝間着を着て行われること(セックス)と、体操着を着て行われること(スポーツ)が重なる。

舞台に畳が敷かれていることに最初は気がつかなかった。照明の加減で途中から気づいた。

畳の上ではセックスも行われれば、スポーツも行われる。もちろん食事もする。

性と暴力を内包する関係性としての家族、そしてスポーツ。性や暴力は美名のもとに隠蔽され、時に露呈する。家族の中で関係が重なり、時に関係からはじき出される。そんなことを思いながら見ていた。

フェイスシールドが配られたけど、結局着けなかった(F列=事実上の最前列だけだろうか?)。終演は21時近くになった。大人しくそのまま帰った。5,726歩。

声にならない声

巣ごもり日。最近朝の散歩に出られていない。この季節は日が短いのだから、朝外に出ないと、一日太陽の光に当たらないことになる。気が滅入るのもそのせいだろうか。辛うじてゴミ出しだけする。

朝昼は食事とも言えないもので済ませる。暗くなってから散歩に。Tシャツの上にパーカーだけではさすがに寒そうなので、その間に長袖のTシャツを着た。今シーズン初。

桜橋の上で撮影をしていた。足早に通り過ぎたので何の撮影か、誰かタレントでもいたのかなどはよくわからない。

隅田川を渡って、待乳山あたり。散歩の途中に寄っていける喫茶店等があるといいなと思うけれど、18時台でも、すでに閉めている店が多い。モーニングとランチで商売をしているのだろう。

結局言問通りのほうまで歩いて、初めての喫茶店に入った。遅くまで開けている店らしい。スマホの画面で米大統領選挙の得票グラフを表示させていたら、店員のお兄さんに、ずっとこのグラフ動かないですね、と声をかけられた。食後のコーヒーを飲み終わって、日刊ゲンダイを読みふけっていたら、お兄さんからマスクをつけるように言われた。それをしおに、店を出ることにした。

浅草界隈をぶらぶら歩いて、西浅草あたりまで足を延ばした。

結局いつもの銭湯に。変わり湯はゆず湯。湯舟に浸かって、ふー、とか、あー、とか、ひたすら声にならない声を出す。

散歩道沿いの店先に猫が座っている。

ポテトサラダでビールを飲んでいたら、革細工の体験をさせてくれた。この店のおかみさんのお父さんが革細工の職人さんと聞いたことがある。その関係なのだろう、A-roundに参加しているらしい。トンカチを握って名前のイニシャルを打った。

さすがに週末の夜で、結構客が入っている。カウンター席ならマスターが話し相手になってくれるのだろうが、テーブル席に深く腰を下ろして、生ハイボールの杯を重ねる。店内のテレビでNetflixの世界の食のドキュメンタリーみたいな番組を流していて、ぶつぶつと画面を話し相手にする。こういうおじさんになってきた。

お酒が回るにつれて、少しずつ気持ちがほぐれていくようだ。コロナ以降、ただでさえお酒を飲む機会が減ったうえに、なるべく一人ではお酒を飲まないようにしていた。それも少しずつ解禁してもいいかなという気分。

1万歩歩いたらお酒を飲んでいいことにしよう。12,952歩。

頭がパーになる薬が欲しい

地下鉄の駅を降りて、いつもだったらそこからバスに乗り換えるところ、今日は気が向いて駅から歩くことにした。天気もいいし。

バスに乗ると言っても次の次の停留所までだし、それほど時間を節約できるわけじゃないんだけど、夏場なるべく外を歩きたくなくてバスに乗る習慣になったのが、惰性で続いていた。

途中の自家製サンドイッチの店に立ち寄って朝飯を買う。ここに寄るのは久し振り。

昼はラーメン。その後、河岸を変えてコーヒー。

夕方、月に一度の診察。もう一種類薬を飲まなければいけないことになった。予想外のことにショック。年を取るというのは薬が増えることなのか。このまま死ぬまで薬の種類が減ることはないのかと思うと、気が重くて、すてばちになりたくなる。

薬局に寄って薬をもらって、そのまま歩いて帰る。ひたすら気が重い。医者にさえ行かなければこんな気分にならなかったのに、むしろこういうのが健康によくないのではないか。頭がパーになる薬が欲しい。

いっそ猫でも飼って毎日写真を撮ってSNSに上げるか。

まっすぐ帰りたくなくて、途中初めての喫茶店に寄り道。先客は老婦人がひとり、今時珍しいテーブルゲームに興じていた。明るい店内に似つかわしくない電子音に交じって、時折硬貨がコトリと落ちる音がする。

コーヒーとタマゴサンドを頼んだ。いわゆるサンドイッチの形ではなく、オープンサンドをオーブンで焼いたようなものが出てきた。

ゲームに飽きた先客が帰って程なく、私も帰った。

10,159歩。割合捗ったので、帰宅後の夜の散歩はパス。

カレンダー

巣ごもり日。前日よく歩いたし、早起きもできなかったので朝の散歩はパス。朝も昼も有り合わせで済ます。午後は大家さんの屋根の修理と宅配便の受け取り。修理に出していたプロジェクターが戻った。

夜の散歩に。桜橋から山谷堀公園、千束通りといういつものコース。今日は国際通りに出て浅草近くまで行ってみる。

何気ないタバコ屋の店先の看板だが、カレンダーの日付と曜日の対応から推察するに、おそらく1985年のものと思う。写真のフォーミュラーカーは星野一義の操る1984年の全日本F2選手権出場車両ではないか(といって、モータースポーツにはさして明るくないので、違っていたら失礼)。35年前のカレンダーを堂々と掲げているのも浅草的な大らかさか。

ひさご通りから千束通りに入って、いつもの銭湯に。

湯上りは散歩道から少し入ったバーに寄った。コールスローサラダのサンドイッチとビール、その後生ハイボールを2杯。サンドイッチのパンは田原町のペリカン。コールスローサラダもどこぞのものだというが忘れた。

先週顔を出した時に居合わせた若い客が、バイトの店員になっていた。確か、俳優志望で浅草の人力車を曳いているということだった。通称、生ハイのかずき。まだ二十歳だって。夢があっていいね。

彼から好きな映画を聞かれたが、まさかテレクラキャノンボールと答えるわけにもいかず、適当にお茶を濁して、強引に話題を落語や歌舞伎のほうに持っていったら、マスターのおかみさんのほうが、さすが浅草出身だからか、落語ファンではないようだけど時々聞く機会もあるようで、三遊亭円歌さん(多分当代)や柳亭芝楽さんの名前を挙げておられたのには驚いた。

遅くならないうちに、ほろ酔いで隅田川を渡って帰る。9,416歩。