気まぐれに末廣亭に行った。
7月下席は落語芸術協会の番組。寄席も久しぶりだが、芸協の人たちの落語を聞くのは、もっと久しぶりという気がする。
夜の部の開演時間に少し遅れて木戸をくぐると、宮田陽・昇の出番の途中。
休日や休憩時間を積み上げていくと、サラリーマンは実は忙しくない、というネタ。
両国から
東向島のユートリアで、映画「セクション1-2-3」を見た。
今後の上映会に予定が合うか不安だったので、一番手っ取り早い機会に取りあえず出かけたのだが、どうやらこれが、この映画の初上映だったらしい。
映画が終わって、司会の曽我さんからマイクを向けられた監督の品川亮氏が、いきなり映像と音響の悪さを残念がっているのに苦笑した。
大手町から
参議院選挙直前トークイベント「政権交代は起きるか」というのを聞いてきた。
スピーカーは、外交ジャーナリストの手嶋龍一氏、そして、イベントの主催者である雑誌「FACTA」編集長の阿部重夫氏。
選挙がらみの話は、あんまり具体的に書くと差し障りがあるのだろうからよすが、印象的だったことのみ、簡潔に覚え書きをしておく。
竹橋から
高田馬場から
米原から
昨日は揺れたね(17日の夜に書いている)。
わが家では、ミシミシ、ギシギシ、という小刻みな揺れがしばらく続いたように思う。
一方、東京にいた、ある人の言うには、ぐらーり、ぐらり、という感じの、ゆっくりとした揺れだったとか。震源からの距離のせいか、あるいは家の構造のせいなのか、ところ変われば揺れ方も違うのだろうか。
が、そのとき外に出ていた家人は、地震があったことも知らなかった。まあ、うちのほうではその程度の揺れなのだ。
今年は3月に能登半島の地震があって、今度は新潟ということだが、間の富山県が抜けている。いつかドカンと来るんじゃないか。
富山から
銀座から
ここ何年も、テレビの連続ドラマの類をまともに見ていない。
おかげで、若い俳優の名前と顔が一致しない。一致しないだけならまだマシで、そもそも名前自体を知らない。
私も35歳になった。これをオジサン化と呼びたければ呼べ。
銀座に行ったついでに、シネスイッチ銀座で「サイドカーに犬」を見た。
前知識はほとんどない。長嶋有の小説が原作であること、主役が竹内結子であること、その程度である。むろん、原作は読んでいない。
吾妻橋から
クリアケースにはりついたナフタリンの結晶が、小さな翼のように見える。
靴と見えたのは仮の宿りか。少し目をそらすと、いっせいに無数の翼に分解して、飛び去ってしまう。そうはさせじと箱の中に閉じ込めているが、いつまでこうして押さえ込んでいられるのやら。
散り散りになった翼は、空に溶け去り、すでにその輪郭も不分明だが、いずれまた次の宿りに羽を休めるのだろう。ちょうど隅田川から塩の結晶を取り出すように。
木場から
マルレーネ・デュマス展のチラシを見ている。
「いま私たちの怒りや悲しみ、死や愛といった感情をリアルに表現してくれるのは写真や映画になってしまった。かつては絵画が担っていたそのテーマをもういちど絵画の中に取り戻したい」(デュマス)
リアルな感情。少なくとも今のぼくの中に、リアルな感情などあるのだろうか。
グルメガイドで見た情報を確かめにお店に行くみたいに、映画やテレビで見た情景をなぞっているのではないか、と。