新宿のコニカミノルタプラザで開催している大野一雄の写真展の企画で、ご子息である大野慶人氏が出演されるというので見に出かけた。
舞踏について、大野一雄について、そして土方巽について、ぽつりぽつりと語っては舞い、舞っては語るという感じだった。
言葉の端々から、ほのかにユーモアが漂う。慶人氏の語りを聞いたのは初めてだったけど、ちょっと意外な思い。でも、やっぱり、勝手にぼくがしかつめらしく考えていたんだな。
舞踏について、土方巽と大野一雄が、漢字の「人」という字のように支えていた(どちらが支えるほうだったとは言いにくい)というようなことを言われていた。
四谷から
四谷にある近畿大学のGALLERY OBJECTIVE CORRELATIVEで「記録の方法−大浦信行の抱え込んだ日本」という企画を見た。
いやー、あんなにたっぷりした企画だとは思わなかった。
大浦氏の版画連作「遠近を抱えて」を見て、7時から同名の自作映画の上映、続いてやはり大浦氏による映画「日本心中 針生一郎・日本を丸ごと抱え込んでしまった男」の上映、さらに大浦氏本人が自作を語るという構成で、大浦氏のトークが終わったときは、11時を余裕で回っていた。
谷中から
浅草橋の画廊で「大野一雄 生誕100年祭」という展示を見る。
人形の吉徳の裏あたり。初めて来た。こんなところにこんな場所があったのか。
「舞踏デッサン 私のお母さん」に心を動かされる。
舞踏デッサン、とあるが、コレオグラフィーや舞台の配置図のようなものではなく、舞踏公演のためのシノプシスをあらかじめ言葉でつづったものだ。が、これは詩だ。氏の手書きの文字を追いかけているうちに、そんなことを思う。
北品川から
原美術館に 「アート・スコープ2005/2006」を見に行ってきた。
60〜70年代生まれの日独のアーティスト4名による展覧会。
以下覚え書き。
有楽町から
そういや竹橋に行ったときも毎日新聞社の前に牛がいて、なんだ?って思ったんだ。
近くに見に行ってもよかったんだが、あそこって、角におまわりさんが立っていて、用もないのに新聞社の玄関に近づくと注意されそうで、ま、いいや、って行かなかった(小心者)。
Cow Paradeってのをやってるんだね。ふーん。
最近見に行ったもののメモ
ここのところ微妙に調子が悪かったのだが、ストレッチして自転車を1時間漕いだらウソみたいにスッキリした。久しぶりのジム。なんと3週間ぶり。やっぱり普段の生活が運動不足なのだな。
越後妻有では松代の城山とかキョロロのまわりとかをさんざん歩いて、ほとんどオリエンテーリングとかワンダーフォーゲルみたいなもんだなと思ったものだが、1週間もたつと効き目も切れてしまうのかもしれない。
最近見に行ったもののメモ。
・「magical art life」東京ワンダーサイト渋谷
展示室の照明がチカチカとせわしなく壁面を照らし出すのに最初戸惑ったけど、だんだん慣れてきた。こちらがウロウロと動き回らずに、どっしりと構えていればいいんだ。
私の越後妻有アートトリエンナーレ雑録 その5
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私の越後妻有アートトリエンナーレ雑録 その4
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私の越後妻有アートトリエンナーレ雑録 その3
特急と各駅停車とでは、景色の見え方がだいぶ違うものだと思う。
越後湯沢でほくほく線の各駅停車に乗り換えて、六日町あたりをトロトロ走っていると、特に築が浅い家屋は、みんな上げ底したみたいに床下が高くなっているのが目に付く。雪が深いと、玄関が高いところにあるほうが出入りの時に都合がいいんだろう。
一方、松代の商店街は古い家が多いから、上げ底の家はそれほど目立たないけれど、やはり新しい家は床下が高い。
今、この文章を書いていて思い至ったのだけど、あるいは、六日町のあたりは先年の地震の被害でどの家も新しく建て直さざるをえなかった、だから、あれだけ上げ底の家が目に付くようになったということなのか・・・。
私の越後妻有アートトリエンナーレ雑録 その2
能書きは後にして、いくつか写真を上げていくことにする。
松代の商店街でこの「アート設置場所」というのぼりを見たとき、最初は一種の冗談じゃないかと思った。が、これがまた商店街のあちこちに立っている。
このシャッターに描かれた絵などは、今回のトリエンナーレの作品ナンバーがついていない、商店街独自でやっている企画のようだ。悪いけど、絵そのものより、こののぼりのほうが面白いや。これを脇に立てれば、なんでもアートになっちゃうんじゃないの?