雨通る 焼酎を割り 蛸を食む

すいません、大銀座落語祭での小沢さんの話はちょっとお休みさせていただいて、今週もまた、素人俳句の時間ですよ。
宮坂お父さんのお題は「水産物」ですか。ちょっと広いですよね・・・。
今週の昭一的こころが「タコ、イカ、クラゲについて考える」だから、水産物の中でも、まずはそっち系に絞って考えましょうか。
私、魚はなんでも食べるんですけど、魚以外の水産物は、実は、得意じゃないものも多いんです。
例えば、エビやカニの類。いや、お付き合いの席など、食べないと失礼になるような場では、口にしますよ。しぶしぶながら。だけど、わがままのいえる場では、自分から注文することはまずないし、どうしてもエビやカニの料理がセットになっている場合は、気心の知れた相手との食事だったら、その相手の皿に、自分のをひょいっと乗っけちゃう。

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大銀座小沢昭一的祭 その2

いやはや、こんな調子で思い出しつつ書いていったら、いつまで経っても終わりそうにないですが。だってまだ、小沢さんの話、冒頭も冒頭ですよ。
そもそも、今回の小沢さんの話には、ちゃんとタイトルがついていまして、題して「小沢昭一の吉原へ御案内」。
小沢さんは、今回、春風亭小朝さんから大銀座落語祭への出演を依頼されたとき、江戸の吉原の話をしてほしいと言われたそうです。小沢さんそれを聞いて、いくらなんでもおれはそんなに古くないよ、だって。
落語の廓噺って、今のお客さんにはなかなか理解してもらうのが難しいそうですね。噺の背景も、出てくる言葉も、われわれにはすっかり縁遠いものになってしまった。だから、廓噺をするときは、噺のまくらでしっかり説明しておかないと、お客さんがついてこないのだとか(これは円菊さんが言ってたんだっけな?)。
ともあれ今回の小沢さんは、休憩後に控えた二席の廓噺に向けて、入船亭扇遊さん言うところの、最高のまくらということになった次第です。

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大銀座小沢昭一的祭

会場、銀座ヤマハホール。実はここは初めて。エレベーターで7階に上がると、思っていた以上の広い空間に驚く。銀座のビルの中とは思えない。
開演前から場内に度々お囃子の音が流れる。客入れの音楽のようなものなのか・・・。
さあ、照明が暗くなって、幕が左右に開く。
ステージの上に高座。名ビラは「随談 小沢昭一」。
出囃子は、やはり「明日の心」。が、少し様子がおかしい。三味線の音が途中でつっかえる。小沢さんも立ち止まって少し苦笑か。
いきなり余談だが、この曲は三味線で弾くには難しいのだろうと思う。特に、最後の部分。チャチャッチャーン、チャチャチャチャーン、チャンチャンチャンチャーン、という、チャチャチャチャーン、のあたりは、バチが追いつかないのか、どうしてもそこで調子があやしくなる。去年の末廣亭の高座では、そこのところは上手く曲をアレンジしてかわしていた。チャッチャーッチャ、チャーッチャチャッチャ、チャンチャンチャンチャーン、というふうに(こんな書き方でどこまで伝わるかな)。

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百軒日記帖 その7 水上アートバスの巻

某月某日
ゆうべも飲んだな。部屋飲みだったけど。
お酒を飲んだ翌朝は、近所のスポーツクラブに行って、ぬるい風呂にゆっくりつかり、限りなくボーッとしてから自転車をこぐと、汗がたっぷり出て、酒も抜けていく感じがして、大変によろしい。
その日も、風呂に入って限りなくボーッとしたまではよかった。が、いつもより余計にボーッとしすぎたのか、湯船から降りる階段で足を滑らせてしまい(まさに階段を降りる裸体)、スッテンコロリン、とまではさすがにいかなかったけど、左足のすねと右足のかかとをしたたかぶつけて、そのときはなんともないと思ってたんだけど、気がついたらかかとが切れて血が出ていた。うーむ。
フロントでバンソウコウをもらって、何事もなかったように新聞を読みながら自転車をこぐ。しかし最近そんな話が多いな。

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生ビールちらつく 宿酔さめし午後

しかし「生活習慣」という題は難しい。どうしても川柳になってしまうのです。
生活習慣病の予防のために、スポーツクラブに行こうという人も多いことだと思います。
例えば、そのスポーツクラブのおばさんたちの姿を思い浮かべて。
 体より 口ばかり動く ジム通い
 ジムまでも井戸端にするお母さん
ワールドカップも終わりましたが、にわかサッカーファンの中には、こういう習慣がついてしまった人もいるのではないかと。
 サムライブルー去ってなお4時に目が覚める

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我もサラリーマンとなれりと手酌

唐突ですが、昔の人は、文化的に豊かだったと思うわけです。
そりゃ、その地域とかにもよるんでしょうけどね。
どこかで読んだか聞いたかした話ですが、幕末、街道筋の木の枝に、一羽の鷹が止まった。それを見た西洋人は、さっそくその鷹を銃で撃とうとした。が、周りの日本人たちはというと、ある者は懐紙を取り出して鷹の姿をスケッチし出し、ある者は短冊を取り出して俳句をひねろうとする。その様子を見て西洋人は、自分の無粋さに恥じ入ったという。まあ、実話かどうか分からないですけどね。
とにかく昔は、今と比べて、風流というか、粋というか、万事余裕のある人が多かったというのは、確かだと思います。
小沢さんの「句あれば楽あり」を近所の図書館で借りてきて、ぱらぱらめくってるんですが、どうやら小沢さんのお父さんも、そんな風流人だったらしい。

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百軒日記帖 その6 AAF学校の巻

某月某日
すみだリバーサイドホール・ギャラリーの照屋勇賢展をちらりと覗いてから、アサヒ・アートスクエアでAAF学校に参加。
AAFの会期にあわせて開催されているこの連続講座のことを、実はついこのあいだまで知らなかった。墨田区民なのに。
今日は加藤種男氏による「アートとビールの楽しい関係について」というお話。
ビールの製法やその歴史から始まって、氏が先日訪れたという金剛峰寺やそこで食べた精進料理の話へと。どこでアートに繋がるのかな、と思いつつ聞いていると、沖縄の例をとりつつ、神事=祭事においては、お酒と芸事がつきものであり、神の前で奉納する芸能がアートの発祥であった。したがってお酒とアートは切っても切れない関係にある、というところで繋がった。

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