足尾から

Once Upon A Late Summer Funeral
自分の夏を終わらせようとするのに、とどめを刺せないでいるのだ。
* * *
「わたらせアートプロジェクト2008」を見てきた。
といっても、半日あまり急ぎ足で回った程度では、この広いエリアに点在する作品の、半分も目にすることができただろうか。
とはいえ、今回の展示のうち、通洞・足尾会場と本山会場の作品は、だいたい見ることができたと思う。

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六本木から

昨日の公演では、手前側で行われていることがよく見えなくてフラストレーションがたまった。そこで今日はあえて前のほうに座る。
7時半前くらいに会場に着いたが、黒い衝立が、パフォーマンスが行われる空間を隠しているのは昨日同様。しかし今日はライブ・ペインティングはない(後で、衝立が倒れるときに裏面に昨日のペインティングが残っているのがちらりと見えた)。
そのうちに、まるで人形、人型のように、衝立の中央に女性が運ばれてきたのも同様だが、今日は場所が近いせいか、彼女の息遣いとともに上半身がゆれるのが見てとれる。これは、無生物のようにあえて演じる、という趣向なのだろうと理解する。

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六本木から

またスーパーデラックス。二日間の公演の初日。
個人的には微妙。
音楽はよかった。どこまで音楽は即興なのだろう?
どのパートをどの音楽家が担当しているのかは正直よく分からなかったが、この手の音がパフォーマンスによく合う。また、もし即興的な演奏が多いのだとしたら、よくパフォーマーは音に合わせていたものだとも思う。
が、こうして感想を書こうとすると、音楽に引っ張られてしまうということもいえる。

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ある日、駅で

北関東の、とある駅前のアイリッシュ・パブ。
明らかにぼくが口開けの客である。
「今日はお仕事ですか?」
ぼろぼろのジーンズにサンダル履きの格好で、仕事も何もあったもんじゃない。
カウンターの向こうから話しかけてくるのは、二十歳をいくつも過ぎているか、どうかというくらいの青年。表情には少年の面影をじゅうぶんに残している。

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竹橋から

そうか、青木淳さんは、青森県立美術館を手がけた建築家だったんだ。
いつものごとく予習をしないので、ざっと展示を見終わったあとで、そういうことに感心したりする。
もう2年前になるけれど、青森駅からのバスを降りて、美術館に向かって歩いていくと、地面と白い塊りが緊張感をもって目に飛び込んできた。
今回の展示を通して、建築家の思考そして試行のプロセスを追体験するのは、実に楽しく、知的な興奮を覚えることだ。
建築家は、外部の制約や発注者の要望とキャッチボールするようにしながらモデルに手を入れていく。

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六本木から

いとうせいこうさんは、ぼくの学生時代にはすでに、テレビ番組の司会やCM出演などで、一般にも顔を知られる存在になっていた。
せいこうさんは、80年代東京の古き良きサブカルチャーに実際に携わっていた人たちの中では、若い年代に入るのではないかと思う。
ぼくが大学に入学した1990年には、もうラジカル・ガジベリビンバ・システムとしての活動はすでに行われていなかったと思うが、「根本原理主義者」名義の舞台をラフォーレミュージアム原宿に見に行ったことを覚えている。
90年代初め頃の東京では、80年代文化の残り香をなんとか嗅ぐことができたのだ。

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錦糸町から

当代の神田山陽さんは、もちろん名の知れた講談師で、多彩な活躍ぶりはメディアでも時折拝見するけども、さあ、生の読み物を聞いたことがあるだろうか。
気まぐれに入る寄席で、落語芸術協会の番組をやっているときにでも聞いたことがあるんじゃないかと思うが、それも、はなはだ心もとない。
そもそも、講談という芸能自体、せいぜい芸協の番組に挟まっているのを目にする程度だし、本牧亭の講談定席にも行ったことがない。
たまたま、近所のあられ屋(というと非常に限定されるけど)で買い物をしたら、店先に山陽さんの公演のチラシが置いてあって、会場もすぐ近くのトリフォニーホールだというし、思い立って出かけることにした。

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土曜日の朝、うちにいるとき

どうも、ここ最近出不精になってしまって。
周期があるんですね。動き回る時期は、朝から何ヶ所も時間を惜しむように出歩く。
それが、5月頃から、スローダウンのモードに入ってしまっているようだ。
単に、お疲れ気味ということかも知れないけど。
そういえば、6月は一回もジムに行ってなかった。その分の会費をムダにしたというだけでなく、これは精神衛生上も非常によろしくない。せめて肉体の健康でバランスをとらないと、気分まで鬱屈してしまいそうだ。
というわけで、だらだらと過ごしがちな週末なのです。

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