フューチャー・シネマ補遺

ICCの「FUTURE CINEMA」展を改めて見てきたので、もう少し書く。
まず思ったのは、フューチャー・シネマ=インタラクティヴ・シネマなのだろうか?ということ。
出展作品のかなりの数をインタラクティヴな作品が占めていたわけだけど、デジタル技術が観客とのインタラクティヴィティの達成を容易にしているとはいえ、必ずしもコンピュータがなければインタラクティヴ・シネマがありえないというわけでもない。
ICC4階のロビーにあまり目立たなく上映されていた作品「チェコスロバキアのインタラクティヴ映画のパイオニア」で見ることができるように、コンピュータの応用以前からさまざまな形で映像と見るものとのインタラクティヴィティは試みられてきた。が、現代に至る映画の作法が整備されていくにつれて、映画というのはあくまで観客が直線的に受け入れるもの、ということになってしまった。
コンピュータはその観念の桎梏から開放してくれるツールかもしれないが、必ずしもコンピュータが唯一のツールではないはずだ。
おそらく映画の歴史をさかのぼれは、そのヒントはいくつも見つけることができるのだろう。
例えば、いまふと思ったのだけど、インタラクティヴ映画に、昔の無声映画のような弁士が再登場して、映像のナヴィゲーターとして観客とコミュニケートしながら進行していくというのもありなのではないか。もちろん、それが生身の人間である必要もないのかもしれないが。
逆にいえば、インタラクティヴ・シネマとされているものの多くが、実は映像アーカイブで、面白さのポイントは個々の映像に至るまでの演出と、データベースにアクセスするためのデバイスの問題なのではないか、という感もある。
デバイスというのは、マウスだったりゲームパッドだったりタッチパネルだったりするわけだが−−−そういう意味では、ヴァーチャル・リアリティというものも、結局はインタラクティヴ・シネマにアクセスするための演出とデバイスの問題に言い換えられるのではないかと思えるが−−−今後、果たしてどのようなデバイスが、未来のインタラクティヴ・シネマの標準デバイスになっていくのだろう?
映画が登場したとき、観客は演劇という従来のメディアの様式を準用して鑑賞することになったわけだけれど、今のところ、デジタル化されたインタラクティヴ・シネマにおいても、PCやゲーム機、ATMのような既存のデジタル機器の作法にのっとって映像にアクセスしている。
が、インタラクティヴ・シネマが決してコンピュータの産物でないのなら、映像の歴史をさらにさかのぼることで見えてくるヒントもあるはずだろうと思う。
上に述べたことにも関係するが、実はぼくが惹かれた作品のいくつかは、必ずしも観る者とのインタラクティヴィティーを意図しないものだった。
たとえば、ジェニファー+ケヴィン・マッコイの「戦慄の追跡」のように、一定のアルゴリズムに基づいて映像を繰り返したり、逆回転する、そして無限に映像が続いていく−−−これこそコンピュータなしには実現しないといえるが−−−その映像がまた、いつか見た悪夢のように、いつ終わるとも知れない追跡劇なのだ。
また、マーチー・ヴィジネフスキーの「瞬間の場」では、コンピュータによってシミュレートされたタカとネズミが、コンピュータ・ネットワークの上に実現された場を生きている。タカとネズミの世界に交渉が生じるとき−−−すなわちネズミがタカに捕食される瞬間−−−ぼくは思わず、あっ、と声を上げてしまった。
が、よく考えれば、ぼくはゲームセンターで仲間がプレイしている、例えばハウス・オブ・ザ・デッドを横で見ていて−−−ぼく自身はまずゲームはしないが−−−、やっぱり、あっ、と声を上げてしまう。
話がそれるが、自分以外の者がプレイしているゲームの画面を見ている、という状況は、自分がプレイしながら画面を見ているというのとは、どこか別種の映像体験のように思えるのだが、どうだろう?
もうひとつ、シェリー・エシュカーとポール・カイザーの「歩行者」では、やはりコンピュータでシミュレートされた歩行者の映像がギャラリーの床に映し出される。
自分が今まさに立っている底面と、映し出された映像、そしてそこを歩き回り、立ち止まり、倒れこむ人影。あるいは映像の街角が、静止しているぼくの感覚に逆らってスライドしていく。この感覚は、自分が乗った電車が停車しているときに、向かいの電車が発車したときの居心地の悪さに近い。
なんと言うのだろう、自分の安住している場に、不意に映像が闖入してくるような、そしてその映像が、ぼく自身の過去の記憶や肉体的な感覚をかき乱すことによって、ぼくの既存の現実感と、映像のリアリティーが融合して、その二つのどれとも違う、別の現実感が生成すると言おうか・・・。
そのような体験が、ぼくの予期せぬ場、演出、デバイスでなされるということに、(陳腐な表現だが)新鮮な驚きがあるということなのだろう。
先に述べたICCでのシンポジウムで、パネラーの加藤幹郎氏は、藤幡正樹と川嶋岳史の作品「フィールド・ワーク@アルザス」を印象に残った作品のひとつに挙げ、その理由としてスクリーンが観客に入り込んでくる、という点を述べていた。
実は、それは今回の藤幡作品というよりは、ICCに設置されているCAVEシステムによって実現されているわけだが、いずれにせよ、これまでの映画では、観客とスクリーンとの距離はスタティックだ。それが、スクリーンのほうが観客の体内に飛び込んでくる、という体験は、デジタル技術なくしてはありえないことだろう。
逆に、観客がスクリーンに向かって突入していく、という映画があってもいいか。あるいは過去にはあったのだろうか。ふと、村上三郎の紙破りのパフォーマンスを思い出してしまった。

確かな光

高野寛さんの新譜が出ているのをすっかり忘れていた。
先月ラジオでかかっているのを偶然聞いたときは、すぐに買いに行かなきゃと思っていたのに。やっぱり、たまにはレコード屋もぶらつかないといけない。
今年1月に発売されたアルバム「確かな光」は、99年の前作「Tide」から5年ぶり10枚目のオリジナル・ソロ・アルバム。
5年ぶりねえ。
その間、ナタリーワイズでの活動もあったし、何組かのアーティストのプロデュースを手がけているということは聞いていたけれど、高野さんはこれまで大体年1枚のペースでソロ・アルバムを発表してきたから、改めて5年ぶりと聞くと、えー、もう5年も経ったのと思う。
我が事ながら、これまで過ごした5年を思うと、あっという間に過ぎてしまった気がするが、逆に、これから先の5年というと、途方もない先のような気がする。
ところが、あと1年、というふうに言われると、なんだか急に心が焦りだす。
まあこれはぼく自身の感慨だけど、ミュージシャンでも、1年ごとのアルバム制作を習慣のようにこなしている状況と、特にノルマや締め切りもなく、自然に曲を書きためているという状況とでは、作品に現れる心象もかなり違ってくるのではないか。
今回のアルバムを聴いて、高野さんからの近況報告というか、ああ高野さんも元気でおだやかな日々を送っているんだなあという私信を読んでいるような気がした。
そして、全体に肩の力が抜けた大人のアルバムという感がある。
というのは、高野さんにはどこか実験精神というか、新しもの好きの感覚があって、音楽からもそういう部分がダイレクトに伝わってくることがあった。例えば、ギターを原形を留めないくらい改造したり、テルミンを演奏したり、ライブでホースをぐるぐる回して変な音を出したり(確かそんなこともあった気がする)。
また、高野さんがラブソングやメッセージソングふうの歌を歌っても、なんだか優等生が不良ぶってるようなところがあって、どこか身の丈に合わないところを背伸びしているように感じることがあった。
もちろん、高野さんのそういう万年少年的な青さが大きな魅力だったりするのだが、今回のアルバムに限っては、気負いのない、等身大の高野さんが伝わってくるように思える。 
高野さんは去年結婚されたという話をどこかで読んだけれど、あるいはそういうことも関係しているのかも。
あと些細なことだけれど、7曲目の「Sunshine Superman」を聞いて、お、高野さんが英語の詞を歌っている、と思った。
これはドノヴァンの曲のカバーということだけど、高野さんが全篇英詞の曲を歌うというのは、これまであまりなかったのではないか?
思いつくところ、ファースト・アルバムに入っている「September Dream」くらいか。
その昔、シングル「目覚めの三月」のカップリングでロジャー・ニコルズの「Drifter」をカバーした時も、高野さんは日本語に訳して歌っていたし。
まあこれはぼくの考えすぎかな。トッド・ラングレンのトリビュートとかではやっぱり英語で歌っているのかも知れないし(実は未聴)。
そういえば、今回のアルバム名「確かな光」というのも、高野さんのソロ・アルバムで日本語のタイトルというのは、今回が初めてですね。
そのあたりにも、微妙な心境の変化を感じ取ってしまう。

大阪廻り舞台

新野新著「大阪廻り舞台」(東方出版)を一読した。
帯に「私的芸能ものがたり」とある。本書は、大阪で放送作家として活躍する著者が、昭和30年代初頭から現在までに手がけた種々の仕事や身辺に起こった出来事を中心に、当時の芸能やスターにまつわる追想を交えて書き記したものだ。
いわば著者の半生記といってさしつかえないだろう。
3年前に出版された同じ著者による「雲の別れ〜面影のミヤコ蝶々」(たる出版)も同様の趣があった。こちらは2000年10月に急逝したミヤコ蝶々と公私共に付き合いのあった著者が、長年にわたる蝶々との思い出を綴ったものだが、ミヤコ蝶々の伝記というよりは、むしろ蝶々というスクリーンを通して著者自身の姿が浮かび上がってくるように思えたものだ。
その点では、今回の「大阪廻り舞台」は、著者の自分史のかたちをとりつつも抑制された筆で記されており、また当時の芸能や放送についての客観的な記述も多い。これは、前著がミヤコ蝶々の死に際して書き下ろされたのに対して、本書は新聞連載を基にまとめられたということにもよるだろう。
大阪キタの北野劇場の演出助手から大阪の芸能界でのキャリアをスタートした著者は、民間テレビ放送の興隆期にコメディーやドラマの台本作家として活躍し、さらにバラエティー番組の構成やラジオのパーソナリティー、テレビタレントと活動の幅を広げながらも、常に大阪の芸能、放送の現場で仕事をしてきた。
著者になじみのない関西圏以外の読者も、本書によって戦後の大阪の芸能史をひとつの視点から俯瞰することができるはずだ。
また、本書の記述から伝わってくるのは、著者の一貫したショウビジネス、舞台芸能に対する愛着であり、失われゆく大阪の芸能文化、放送文化への愛惜の念である。
と、偉そうなことを書き連ねたが、ぼくの大阪の芸能や放送に関する知識は、ほとんどが著者のエッセイや芸能評論によるものなのだ。
改めて残念に感じたことだが、本書の中には、著者が台本や構成を手がけ、あるいは自ら出演したテレビ番組の名前がちりばめられているのだが、そうした大阪制作のテレビ番組のほとんどを、ぼくは見たことがない。
つまり、いわゆる大阪ローカルのテレビ番組は、関西圏以外の地域では、東京だろうとその他の地方だろうと、視聴することがまったく困難なのだ。
番組制作の機能が東京のキー局に集中するようになり、長い不況もあって大阪制作の番組が衰退していく状況を著者は嘆く。
が、一方で著者が落語家の笑福亭鶴瓶と共に続けているインターネットラジオの試みは、放送エリアの限定やキー局、ローカル局といった旧来の放送システムの枠組みを変えていく可能性を秘めている(いまだ可能性に留まっているのが悲しいが)。
願わくは、本書からも垣間見える著者の魔力、いや魅力が、大阪ローカルという枠を超えて全国、全世界に届かんことを祈る。
ところで今日、2月23日は著者の69回目の誕生日。いつまでもお元気でいてください。

意識と感覚のプロジェクション

初台のICCで「意識と感覚のプロジェクション−映像表現の諸相」と題されたシンポジウムを聴いてきた。
もっとも、このシンポジウムの本体?たる「FUTURE CINEMA」展は、シンポジウム開始前にその一部をざっと見たのみで、会期はもう1週間ほどしかないが、再度訪れなければなるまい。
ICCの5階展示室を入ったすぐ脇の作品、カスパー・シュトラッケの魅惑的な作品「z2[zuzeの帯]」。これはいくつもの穴をうがたれた映画フィルムが投影され、観客が手回しでフィルムを動かすことができるようになっているものだ。1930年代にドイツのツーゼという技術者が使い古しのフィルムを記録メディアとしたコンピュータを製作していたという。本当だろうか?一般的なコンピュータ史では、ENIACが世界初のコンピュータとされている。もちろん、チャールズ・バベッジの階差機関などを考慮に入れなければ、だが。ENIACの完成は第二次大戦が終わるか終わらないかの頃だったと記憶しているが、それより10年近い前に外部記憶装置をもったコンピュータが開発されていたのだろうか?
ともあれ、パンチカードのように無数の穴が開いたフィルム、そのフィルムにプリントされたイメージは人間の目がクローズアップされたものだ。フィルムの一方の切れ端が展示室の床に丸まっているのを見たぼくは、思わずフィルムを手にとって間近でそれを見たいと思った。が、すぐに係員の女性に作品に手を触れないようにと止められてしまった。
しかし、そのフィルム自体が美しい造形だと思った。例えば、キャンバスに穴をあけ、ナイフで切り刻んだルチオ・フォンタナの作品のように。
あるいは日本の実験工房の作家たちは、1950年代に映画フィルムに直接傷をつけた映像作品を製作している。それは瀧口修造によってキネカリグラフィと名づけられた。
今回のシュトラッケの作品も、実際に映写機にかけられたら、どのように見えたことだろう?
余談が長くなった。今回のシンポジウムのパネラーは、文化人類学者の今福龍太氏、映画学が専門の加藤幹郎氏、そして本展の出展作家の一人でもある藤幡正樹氏の三人。
加藤氏は出展作品のひとつであるジム・キャンベルの「照射される平均値#1」を取り上げ、この作品はヒッチコックの映画「サイコ」の全コマをスキャンし、一枚の画像に重ねあわせたものだが、作品の意義を認めつつも、原作でヒッチコックが意図的に消し去った観客の視線についての考察が欠けていることを指摘する。そしてこの点は、本作とは逆に原作の「サイコ」を24時間に引き伸ばして上映したダグラス・ゴードンの作品「24時間サイコ」にも共通する問題だとする。
(実はぼくは「サイコ」を未見なのだが)つまり、現代のハリウッド映画に通ずる映画文法では、観客が映画の登場人物の誰かに感情移入することによって、観客の視線がスクリーンに映し出される映像と同調する。しかし、「サイコ」では、観客が一度感情移入した主人公のマリオンが、映画開始後30分(だったかな)で殺されてしまい、観客は突然感情移入の対象を失ってしまう。加藤氏はこれを観客の視線がブラックホールに消失するという言い方をしている。
また、同様に加藤氏は、近年のハリウッド映画で多用されるようになったCGI(Computer Generated Image)では、撮影者の視線が欠如しているという点も指摘している。
つまり、ハリウッド的な古典的な映画においては、観客の視線と撮影者の視線というものをバーチャルに設けることで映画文法が成立したわけだが、これは映画が発明された当初は、必ずしもそうではなかった。観る側においても、撮る側においても、さまざまな試みがなされていたわけで、加藤氏がゴダールのことを「リュミエール兄弟より前に映画を発明したかった人」と述べたのは、そういうことなのだろう。
一方、今回の「FUTURE CINEMA」展に出展されているようなコンピュータを使用した映像表現では、あたかも映画が発明されたばかりの時期のような試みがなされており、それを氏は「へその緒で繋がった」という表現をしている。氏があえてジム・キャンベルの作品を取り上げたのは、手法のポテンシャルに対して食い足りなさを感じたということかもしれない。
一方、今福氏は、氏自身の映像プロジェクト、例えば文化人類学者のクロード・レヴィ−ストロースが1930年代にサンパウロで撮影した写真を、今福氏が現代のサンパウロの同じ場所で撮影した写真と併置する作品を紹介した。
残念ながら加藤氏と今福氏の議論があまりかみ合っていないように感じられたのだが、それは今福氏自らが撮影者の視線に大きく傾いているということと無関係ではないように思える。
氏が写真作品の展示手法が回廊的であること、つまり美術館のように回廊の周囲に小部屋の展示室が位置し、写真作品が展示されていることを語るが、まさに今福氏自身が、コロニアル都市の回廊の中を歩きながら写真を撮影し、あるいは写真に切り取られた視線を追体験しているようにも見える。
しかし加藤氏の議論を聞いた後では、撮影者の視線とカメラのレンズの方向の差異がどうしても気になってしまう。つまり、写真作品を見るとき、ぼくたちはフォトグラファーの視線を追体験しているような感覚に陥るわけだが、そのバーチャリティの問題は、写真と同様に、その文法を援用した映画にも付きまとうことだろうからだ。
これは、写真(あるいは映画)そのものと、その物語性の問題と言い換えることができるかも知れない。
鼎談の最後で、加藤氏が引用した映画批評家山田宏一氏の言葉、無人島に一本だけフィルムを持っていくとしたらどの映画か、という質問に、氏は、どの映画というよりも、誰か一緒に観る人が欲しい、と答えたそうだ。
つまり、複数者で観るということが映画の要件になっているようなのだ。視線はあくまで一対一のようでありながら。
それに対して、今回の「FUTURE CINEMA」展では規模が大きすぎて巡回できなかったというジェフリー・ショーのEVE(Extended Virtual Environment)という作品では、ドーム状のスクリーンの中に観客が一人だけ入り、観客の視線の方向に映像が映し出される。このあたりにも、未来の映画の変容の可能性があるのだろう。

花粉症疑惑

2、3週間程前は風邪をひいてずっと喉の調子が悪く、治りかけては飲みに行ってこじらすという繰り返しだったのは前にも書いた。
先週はようやく風邪っ気も抜けてよかったと思っていたのに、昨日、おとといくらいから、今度は鼻の具合がおかしい。
ズー、どうも鼻が詰まるのです。ズー。と言いつつズボンからハンカチを取り出し鼻の下をぬぐう。あるいはトイレに行って鼻をかむ。
あるいはこれはひょっとして花粉症ではないのか?という疑念もあるのだが、できればそれは考えないようにしたい。
私は特にアレルギー体質ではないし、これまで花粉症になったこともない。
が、あれはおとといの夜だったか、ベッドに横になっていて、なぜかやたら目がショボショボして、鼻の具合がおかしい。
こう書くといかにも花粉症っぽいが、実はひとつ心当たりがあった。
ここのところ風邪気味だったし、夜寝ていて首の周りが冷える感じがするものだから、しばらくタオルケットを首に掛けて寝ていた。
おとといの朝、タオルケットを洗濯して外に干し、帰宅して取り込んで、また首の辺りに置いて寝た。
さあ、そこからだ。目や鼻の具合がおかしいのは。
だから、このタオルケットが犯人、あるいはそこまで行かなくても重要参考人クラスではないかと考えている。
目に異物感があったのはおとといの夜だけで、それ以降は症状はもっぱら鼻のほうだけだけど、今朝も鼻水は止まらないし、ときどきくしゃみは出るしで、気分の悪いことこのうえない。
会社の診療所に午後から先生が来るから、もう少ししたら、これが果たして風邪なのか花粉症なのか、はっきりさせてもらいたい。

柳昇物語

久しぶりに新宿の末広亭に行ってきた。
2月中席の夜の部の主任は春風亭小柳枝師、その他春風亭柳橋、昔昔亭桃太郎、笑福亭鶴光の各師などが出演している。
小柳枝師と桃太郎師といえば、去年の11月号の東京かわら版に、両師の師匠である春風亭柳昇師を偲ぶ対談が掲載されていた。
去年の6月に春風亭柳昇師が亡くなって半年余り経つ。
といっても、ぼくは生前の柳昇さんは寄席で2回ほど目にしたかどうか、というくらいで、偉そうなことはいえた義理じゃない。
世間的には春風亭柳昇といえば、ひょうひょうとして軽い人のように思われていたし、ぼくがたまたま見た高座でも、おなじみの「カラオケ病院」をやっているうちにわけがわかんなくなって、途中をやり直したことがあったのだけど、またそれが自然な感じで、お客さんも微笑ましく見ているという雰囲気があった。
こわもての人だと、なかなかああはいかないものだろう。
が、先のかわら版の対談で興味深かったのは、そういう軽さの面と共に、青年期を過ごした時代のせいもあるだろうし、ご本人の従軍体験のためでもあるのだろうが、結構おおっぴらに戦争を賛美する発言をしたりする、いわばタカ派的な、こわもての一面もあったということだ。
また、それがひょうひょうとした軽みと矛盾なく合わさっていたという。
さて、末広亭で桃太郎師は柳昇さんのまた違う一面を紹介していた。
柳昇さんは女好きで、自分が年を取っても相手は25くらいまでの若い子が好きだった。
例えばこんなことがあったそうだ。
春風亭昇太さんが楽屋に自分のつきあっている女の子を連れてきて、師匠の柳昇さんに紹介したことがあった。
それからしばらくして、昇太さんが楽屋にいると柳昇さんが入ってきて、おれの女だと紹介した女の子は、前に昇太さんがつきあっていた女の子だったという。
他にも、会う女の子女の子に電話番号を聞いて、デートの約束をしてもすっぽかされてばかりだから、3人まとめて同じ時間と場所で待ち合わせをしたら、誰か一人くらいは来るだろうと思っていたら、結局誰も来なかったという話。
桃太郎さんは、師匠の青春時代は戦争で女の子どころじゃなかったから、それでいつまでも若い女の子が好きなんだろう、なんて言っていたけど、そしたら今80歳くらいの人はみんなそういうことになっちゃうんじゃないの。いや案外そうだったりして。
まあ、桃太郎さんの話も、当然デフォルメして言ってるんだと思いますが(あるいはそうでもないのか)、とにかく柳昇さんが女好きだったのは確かなんだろう。
そういえば、柳昇さんには女性のお弟子さんが何人かいるけれど、それもそういうことなのかなあ。

生きる喜び

品川の原美術館で「生きる喜び−アフリカの二人展」という写真展を見てきた。
たまたま品川で時間があって、思い立って少し足を伸ばすことにしたので、展示内容や作家について前知識はなかった。
取り上げられている作家はいずれもアフリカの写真家で、二人とも白黒の写真というところは共通しているけれど、一見して作風はまったく異なる。
マリック・シディベの作品は若者の肖像写真や、ダンスや水浴びなどに興ずる様子の一場面を切り取ったもの。
これが印象的だった。
黒人の若い男女の、伸びやかで均整が取れた肢体の美しさ。
そして男女のカップルも友人同士も、みんな屈託のない表情と身のこなしを見せる。
最初、ぼくは彼らの写真を全然撮影年代を気にしないで見ていたのだが、みんな白黒写真なのに、どういうわけだか、どの写真も最近撮られたものなのだろうと思い込んでしまっていた。
が、急に気になってキャプションの撮影年を見ると、多くの作品が1960年代から70年代に撮られている。
彼らは当時どのくらいのクラスに位置していたのだろう。また、数十年経った今でも若者はあんなふうなのかな。そんなことも気になる。
彼らの写真を見ていて、自分のたるんだ体と屈託だらけの精神が、だんだん後ろめたくなってきた。
ぼくだけじゃない、今の日本に暮らしている少なくともぼくと同世代なら、みんな同じようなことだろうけど。
60年代のアフリカと現代の日本という物理的な距離以上に、彼らとぼくらの距離が、悲しいくらい隔たってしまっていることに気づく。
彼らはきっと、自分の肉体や身のこなしの美しさには、全然無自覚、無頓着なんだろう。
それでいて、自分の肉体の機能を屈託なく発揮しているように見える。
つまりそれは、踊ったり、泳いだり、カメラの前でポーズをとったり、あるいは男の子と女の子がくっついて、妊娠して子供を作ってとか、そういうの全部。
かたや、何かと頓着しすぎのわれわれは、スポーツジムに行って体を絞って、結果的に同じような体になったとしても、それは一回転倒して元に戻ったというか、もう肉体が元の肉体じゃなくて、洋服の一部みたいになっちゃってるわけでしょう。
例えば、今回の作品の中にも「アフリカのヘラクレス」と題された写真で、やたらムキムキに鍛えた男が写ってるのがあるけれども、そういうわざとらしいのは、どうも醜く見えてしまう。
でも、ぼくらは、一回意識してしまった以上、もう写真の中の彼らみたいにはなれないんだろうなあと思う。
むしろ、三島由紀夫がボディービルで体を鍛えていたというような話のほうにシンパシーを感じてしまう。
写真家の目には、彼らの肉体や身のこなしは、どのように見えていたのかな。
さて、もうひとりの出展作家J.D’オハイ・オジェイケレの作品は、人体をとらえた白黒写真という点では同じだけど、体といっても、もっぱら女性の後頭部だけを被写体にしている。
どういうことかというと、ナイジェリアの女性のさまざまな髪形を撮影した写真なのだ。
しかし、髪型という言葉から、これらの作品をヘアカタログに掲載されている写真のように思ってはいけない。
もとは髪の毛でできていたんだろうとおぼしき物体が、頭から生えている。
彼女達の髪は、それほど、ちょっと想像がつかないくらい奇妙な形に結われ、ねじられ、まとめ上げられている。これは、黒人特有の髪質による部分もあるのかもしれないけれど、むしろそれを十分に活かして結い上げられているともいえる。
写真家の言葉を引用する。
「ヘアアーティストが髪を結い上げるジェスチャーは、まるで彫刻家が彫刻をつくるように魅力的だ。ヘアースタイルはアート。アートは人生」
これは、写真家が被写体をアートだと認識している言葉なのかな。それとも、髪を結った人にもアーティストとしての自覚があるのかな。
あと、さきほどのマリック・シディベの写真の中では、若者たちは自分の体の美しさということにはあまり頓着していないように見えたけども、こちらの作品では、被写体の女性たちは過剰なくらい自分の髪を意識していることが面白い。

六本木クロッシング

森美術館で開催されている「クサマトリックス」展と「六本木クロッシング」展を見てきた。
昨年、六本木森タワーの52、53階に森美術館がオープンしてから、つい先月まで開館記念の「ハピネス」展をやっていたけど、結局行きそびれてしまって、美術館自体に行くのも初めて。というか、六本木ヒルズに行ったのも初めてだったけど。
美術館に行くには、森タワーの脇にある入口から入るのだけど、この入口は美術館と同じフロアにある展望台「東京シティビュー」と共用になっていて、美術館に行く人も行かない人もみんな一緒にエレベーターで上がる。
感心したのは美術館の入館料の設定で、美術館のチケットは二つの展示共通で、しかも展望台の入館料込みで1500円、ところが展望台に行くだけでも1500円。
これなら、普段は美術に関心のない人でも、どうせ同じお金を払うんだったら、美術館のチケットのほうを買っとこうと思う。
実際、会場には美術館なんて初めてみたいな顔をしたお上りさん風の人も多かった。
特に草間展は観客が体感できる作品が多かったから、テーマパークみたいな感じで観客の歓声が聞こえる。
鏡張りの暗室の天井からたくさんのLED(あるいは光ファイバーかな?)をぶら下げて明滅させている作品は、横浜トリエンナーレで見たミラーボールの作品を思い出した。
そんな感じで草間展はさらっと流したのだが(正直言うと、もう少し見ごたえが欲しかったか)、もうひとつの「六本木クロッシング」のほうは、いやというくらい堪能した。
何しろ出展作家の数が57組、若手から大ベテランまで、それぞれが一点ずつ作品を展示している。それも映像作品や大掛かりなインスタレーションも多いから、ちゃんと見ていくとものすごく時間もかかるし足も疲れる。
せっかく滅多に来ない六本木くんだりまで出てきたんだから(つまりぼくもお上りさんの一人なわけだが)、ひとつひとつきちんと作品を見ていこうと思っていたのだけど、うっかり見過ごしたり、流してしまったりした作品もあったんじゃないかな。
でもこれは、絶対もう一回は見に来る価値があると思った。会期もまだ長いし。
作品の種類やコンセプトとかはみんなそれぞれで、キュレーターも複数いるらしいが、とにかくこれだけの数の作家を集めて、これだけの規模の展示を行うという、そのボリュームにまず圧倒された。
しかもそれを、いち民間企業の所有する美術館が開催するとは・・・。
そんなことを同行者に言ったら、いや、民間だからできるんだ、公立の美術館では絶対にできないだろう、と言う。なるほどそうかも知れない。
あと、この美術館のエライのは夜遅くまで開館していることで、週末など夜の12時まで営業している。確かにこれも公立の美術館にはできないだろう。
日がすっかり暮れる頃になっても、お上りさんも美術ファンも入り乱れて、館内にはお客さんが途切れない。
展示に疲れて窓から夜空を見上げると、赤黄色い満月が浮かんでいて、そのうちに、なんだか月まで作品の一部みたいに見えてくる。借景だね。

ここ10日くらい

実はここ10日くらい、ずっと調子が悪い。
有体に言えば風邪なのだが、もっとも会社を休んだりするくらいツライわけではない。
先週は、仕事が終わったら寄り道もせずウチに帰って、部屋の中には加湿器をガンカンかけて、じっとおとなしくしていた。
で、だいたいもう大丈夫かな、というところでお酒を飲みに行って、結局またこじらせてしまうという繰り返し。
先々週の金曜日、ふと思い立って朝まで飲んで、お店のカウンターでうたた寝したり、帰りの電車でうとうとしたり、多分、そういうのがいけなかったのだと思う。
明けて土曜日は、ちょっと喉がヘンかなという以外は案外体はラクで、午後も適度に体を動かしたりしていた。
ただ、日曜になっても月曜になっても喉の感じがおかしい。治りつつあるような気はするのだけど、いまひとつすっきりしない。
先週の月曜が、また寒い日だった。確か日中はずっと雨が降っていて、夕方頃になって上がってきたのではなかったか。
それなのに、その晩は北千住まで出かけて二軒はしごした。
平日だったし、お酒の量自体は大したことはなかったと思うけど。
結局、治りかけの風邪がまたぶり返したようで、火曜日水曜日は、仕事をしていても気分が重かった。
しかし、それからは毎晩おとなしく過ごしていたこともあって、週末にはだいぶラクになってきた。
それで、土曜日は麻布十番でしこたま飲んだ。が、なんとか終電までには帰ってきた。
日曜はずっとおとなしくしていたのだが、今度こそ風邪っ気も抜けたかなと思い、夜になって久しぶりに近所の銭湯に行った。
そうしたら、夜中になってなんだか頭が痛い。
今度の風邪は、ずっと喉の奥がヘンな感じで、そのほかには特に熱も鼻水もなかったのに、ここに来て頭が痛くなるというのは、イヤーな気がした。
頭痛薬を飲んで寝たのに、月曜の朝になっても、頭の痛みが取れない。
さらに仕事をしているうちに、だんだん熱っぽくなってきた。
前に、会社の診療所の人から、風邪をひいて体力が落ちているときにインフルエンザにかかることもあるから気をつけなさいと言われたことを思い出した。
1週間以上すっきりしない日が続いて、この期に及んでインフルエンザだったらどうしよう。
ここ何ヶ月は、飲みに行くとき以外は夕食は軽く済ませることが多いのだが、昨日の夜は、薬食いとばかりに、牛肉だの卵だのを買ってきて、自分ちで一人スキヤキをして食べた。
そしてきょうは、だいぶいいようです。
そういや、世間的には牛肉とか卵とかって、敬遠されてる食品ですね。
今晩お酒を飲みに行くかどうかというのは、非常に難しいところです。