カレーとサウナだけの日

いい天気。気温も30℃を超えるらしいし、こんな日は昼間の散歩には適当でないので、サウナの日にします。

まず駒沢大学駅近くのピキヌーに寄って、チキンカリーを。

コロナ後初訪問。カウンター席は一人ずつ透明アクリル板で仕切られている。

卓上の青唐辛子がたっぷり入ったナンプラーをかけると、辛さは増すが爽やかさも増す。夏の風が口中を通りすぎるよう。

東池袋のタイムズ スパ・レスタに。ここもコロナ後初。検温と手指消毒をして入館。

現在沖縄フェア実施中とのことで、簡単なクイズに答えて応募。何が当たるんだっけ。

浴室に入ると、あれ、前からこんなに明るかったかなと思う。換気のためか浴室と外の露天風呂のエリアを仕切るドアが開け放たれているお蔭で、外の明るい光が浴室に射し込んで、開放感があって、以前より余計に南国リゾート気分が増す。

サウナマットは少し間隔を空けて敷かれている。ソーシャルディスタンスへの配慮だろうが、これくらい隣と離れているほうが有難い。コロナ以前の話だけど、レスタは週末のアウフグースの時は、ぎゅうぎゅうになるくらいサウナ室に人が入っていたからね(ちなみに現在はアウフグースは休止中)。

ひたすらサウナと水風呂に入って、デッキチェアでウトウトの繰り返し。

というわけで今日はカレーとサウナだけの日でした。6,255歩。

ARMY

家を出てもうすぐ駅というところで雨粒が落ちてきた。洗濯物をたっぷり干してきたのにこのタイミングで雨かよ、と思うが、しゃーない。

恵比寿の東京都写真美術館に。7月19日までの「写真とファッション 90年代以降の関係性を探る」展に。

当方、ファッションなんて柄じゃないが、まさに90年代はテレビの「ファッション通信」をよく見ていたし、スタジオボイス誌のそれ系の記事も目にしていたから、興味がないわけじゃない。

アンダース・エドストロームのキャプションにあるように、ファッション写真が「印画紙だけではなく、実際に写真が掲載された雑誌の誌面も切り取られてレイアウトされ」るのは、まさにファッションらしいと思う。時代や都市の表層を写し取るのには相応しいやり方だし、ファッションに印刷物が絡んでくると、今度はグラフィック・デザイナーの仕事が浮かび上がってくる。最早ノスタルジーか。

この写真からはひりひりとした痛々しさが伝わってくるようだ。

かつて都市の先端でモードに携わった人が、今は都市から離れた自然豊かな土地に居場所を見つけている例。先端を極めるとそんな境地に至るのか。90年代からだらだらと東京に居続けている自分を顧みるが、今の墨田区暮らしというのも、ある種のレイドバックなのか。

ホンマタカシさんの、ミリタリーウェアを着た若い男女の写真は沖縄で撮られたようだ。ミリタリーウェアを身につけることについて、本土とはどのような意味のズレを孕むのか。

しかし、ミリタリーウェアと言うけれど、要は軍服であって、カタカナやアルファベットにした途端に言葉の生々しさが失われるのはどうしたことか。「ARMY」ではなく「陸軍」と胸に大書きされたTシャツを着てはどうか。

PUGMENTの展示のチャートの中にさらりと埋め込まれた「今もどこかで起こっている戦争は、ミリタリーウェアがかっこいいことと関係があるのでしょうか。」というストレートな問いに、またそれがファッションの当事者から発せられていることに唸る。

Tシャツにプリントされた文字を抜き出す彼らのプロジェクトは、見えているのに見えていない文字を再可視化することで、元々の意味を発見するのだろうか。先程の「ARMY」のように。

夜はLIBRAIRIE6に。展示中の有持有百(ありもち・ありも)さんの制作したアニメーション作品『開かれた遊び、忘れる眼』の上映とトーク。

このタイトルの「開かれた遊び」というのは、シュヴァンクマイエルが出していた雑誌の名前なのだとか。そして「忘れる眼」というのは、まさに作家のドローイングの制作手法を表した言葉で、謎めいていた「甘美な死骸」の過程を垣間見ることができた。

作品集にサインとドローイングを加筆してもらった。6,127歩。

四万六千日(その二)

浅草の夜は木馬亭に。これも毎年七月恒例の浅草雑芸団の公演を見に。私が見に行くようになってからでも、もう何年になるかな。今年もコロナ禍に負けず開催されて幸い。 ちょうど雨が降り出したので、駆け込むように入場と行きたいところだが、ソーシャルディスタンスを取って、検温、手指消毒の後入場。

お土産は梅鉢屋さんを参考に雑芸団で自作されたという野菜の砂糖漬けと、チョコレート(これは何か意味があったのかな?)。

オープニング。自動車ショー歌の替え歌で「ここらでおサラバ、いいコロナ~」
大黒舞。私の肩に小判(紙製)が重なって飛んできた。福は周りの人に分けてあげました
「サイコドン」という明治初めにコレラが流行した時に歌われたという歌。Psycodon?
佐渡の「おまんざい」、何番まであるのか、延々と続くのに客席から次第に笑いが漏れる

いつぞやの旧邸でのパフォーマンスで初めてお会いして、その後の餅パーティーにも何度か参加させてもらった猫村あやさんも出演されていた。

猫村さんの「儀式」
金子ざんさんの演じるインドの観光ガイド。うさん臭さ満点
着ぐるみ姿の上島敏昭さんがつないだ棒の上にアマビエ人形を見事乗っけて曲芸
中西レモンさんと、自粛期間中に描いたという絵画。元絵は北斎晩年の作品で牛島神社に納められていたが関東大震災で焼失した「須佐之男命厄神退治之図」
青森県南部地方の民謡「とらじょさま」と津軽地方「津軽甚句」を、あがささんのギター、鬼澤伊佐さんの三味線、三上敏視さんの太鼓と共に
フラメンコ玉すだれ
塩ビ雨どいでヘルメットを叩いて、「メリーさんのひつじ」「もののけ姫」「きらきら星」などを演奏
ちくわ笛。演奏後はおやつに
おなじみバナナの叩き売りも、フェースシールドを着けて。バナナは房ごとの個包装
客席の手拍子に合わせてフラメンコ・ルンバ「消えろコロナ」の後のフィナーレ
浅草寺。これを見て、そういや今日は四万六千日だったんだと気づいた

というわけで、朝から晩まで浅草に居ずっぱりの四万六千日。ずっと客席に座っていたからお尻が痛くなった。帰りの東武線で一駅乗り過ごして東向島駅から歩いたのはオマケ。7,175歩。

四万六千日(その一)

今日もお休み日。ゆっくり起き出して、ヒガムコでモーニングをいただく。

浅草演芸ホール七月上席昼の部に。 ここに来るのもずいぶん久し振りで、コロナ以前以後どころではない。緊急事態解除以後、いち早く営業再開した、ある意味気骨のある寄席ともいえる。

10日ですから上席の千秋楽になります
ちなみに夜の部の主任はおなじみ柳家喬太郎師

開口一番 金原亭乃ゝ香「桃太郎」
いわゆる美しすぎる落語家。私には父親は年取りすぎ、子供はボケすぎ(クレヨンしんちゃんっぽい?)と思えたが。
落語 金原亭小駒「生徒の作文」
落語 桂三木助「時そば」
そうか当代の三木助さんは馬生門下なんだ。少々早いかと思ったが口跡滑らかだし、噺家の血筋もなるほどと思わせる雰囲気を感じた。
マジック アサダ二世
落語 柳家小はだ「転失気」
落語 隅田川馬石「子ほめ」
この人は高座に現れる姿がいいですね。それでいてどこかコミカルなところもある。自然に引き込まれてしまうのはさすが。
漫才 すず風にゃん子・金魚
日帰りトレーニングバスでのアニマルエクササイズのネタ。
落語 春風亭一之輔「夏どろ」
同じ噺でも演者で変わるんだなという感。一之輔師のシニカルな風味が効いている。「陽気の変わり目にもう一度来てくれ」でサゲ。
落語 桃月庵白酒「権助魚」
先日この人で聞いた「馬の田楽」もそうだったが、この噺の権助のような田舎者キャラを演じさせたら当代屈指か。「こんなものが関東一円で獲れますか」「一円じゃねえ、二円で頼まれたんだ」でサゲ。
紙切り 林家楽一
黒い紙を切り抜いてタブレットに置き、バックライトを当てて客にシルエットを見せる。師匠の正楽さんはOHP(今や絶滅寸前)を使用しているが、これも時代の変化か。切り抜いたのは、まず「夕涼み」。客の求めに応えて「ディズニーランド」、例のネズミ単独ではなく、シンデレラ城を背景にネズミと戯れる子供の姿。「四万六千日」で、今年は見られなかったほおずき市の様子。「船徳」は落語の情景、そうかこの噺も四万六千日が舞台なんだな、粋なリクエストに感心。ちなみに今日が四万六千日に当たるというのは、迂闊にも全然意識していなかった。まあこれもご縁なのでしょう。
落語 入船亭扇遊「たらちね」
落語 鈴々舎馬風
馬風さん久し振りに見た。頭は白くなったけど昔話に時事ネタのゴシップや楽屋話を織り混ぜて現役感十分。
三味線漫談 林家あずみ
「かんちろりん」「きんだいぶし(?)」等。この人は京都出身で上方の高座にも時々上がっているそうだ。桂三歩師の繁昌亭楽屋でのスケベ話を暴露。
落語 古今亭菊春「替り目」
落語 五街道雲助「お菊の皿」

仲入りを二回取って、ドン・キホーテ側の扉を開けて換気をしていた。この眺めは珍しい

落語 金原亭馬治「強情灸」
いかにも江戸っ子らしい短慮ぶりがいい。
漫才 ロケット団
パワハラ、アルハラから、キヨハラ、マキハラへと持っていく。ちょっと尻切れ気味?
落語 三遊亭圓歌「やかん」
襲名以来この人の高座は初めてだけど、いい意味で変わらない安心感。
落語 林家正蔵「一眼国」
まくらで、かつて浅草にあったという「松村座」という見世物小屋で子供の頃ろくろっ首を見たという思い出話を開陳。こういう下町の昔話もこの人ならではだろう。
曲芸 翁家社中
翁家和助・小花のご両人。演目が書かれたカードを客に選ばせる時に、ダンナがやりたがっている演目のカードを思い切り後ろに投げ捨てる。
落語 金原亭馬生「ざるや」
大喜利 茶番「大磯廓通い」
毎年七月上席の浅草での馬生師の番組では、茶番の上演が恒例だそうだが、私は初めて。茶番という言葉は今でも使うけど、もともとの意味は芸能の一種で、「茶番は歌舞伎のパロディーで、幕末から明治にかけて江戸系の太神楽や茶番師がもっぱら演じていました」(文化デジタルライブラリー「太神楽の歴史」)とある。馬生師は太神楽の故翁家和楽師から茶番の演目をいくつも教わったそうだ(東京かわら版2017年6月号)。二月の国立演芸場での鹿芝居しかり、馬生師は昔ながらの寄席の芸事を大切に受け継いでおられる。
「大磯廓通い」は曽我兄弟物の裏芝居ということだが、肝心の本筋に明るくないこちらには筋はよく分からない。ただただ、馬生師と仲間たちが舞台上で和気藹々と演じているのを見るのは楽しい。 和助さんに曽我十郎役を振っておいて、自分は金貸しの金兵衛となり、扇子で和助さんの頭をはたいたり足蹴にしたりする馬生師。和助さんの懇願で役を入れ換えても、結局馬生さんから足蹴にされてしまう。

昼の部がはねて外に出たら、喬太郎さん目当てか、 夜の部開場待ちの行列ができていたのはびっくり

りれきしょ

早朝、台所に立って洗い物をしていたら揺れを感じた。わずかな間だったし、それが地震なのかどうかも判然としない位だった。

駅に着いたら電車がだいぶ遅れているようで、ホームに人が溜まっている。地震の影響だという。そうか今朝のは地震だったんだな、それにしても電車が遅れる程とは思わなかった。

しばらく待って到着した電車に乗り込んだが、案の定満員で、乗り切れない人もいる。コロナ以前でもここまで混むのは珍しい。

目の前で手摺を掴んでいる若い女性の手首に、小さくひらがなで「りれきしょ」と書いてある。どこかに履歴書を出すのを忘れないように書いたんだろうか。まさかタトゥーじゃないよね。

昼は数日前にも行った大衆食堂ふうの店で、ソースカツ丼。ここのカツの揚げ方は、卵とじにするよりソースを絡ませるほうが合っているかも知れない。

夕刻外に出たら、雨の降りが結構強いので、バスで錦糸町に移動。

所用を済ませて帰宅後程なく、Zoomでの読書会に参加。続き物の三回目だが、私が参加するのは初めて。

クレア・ビショップの『人工地獄』の書名がアンドレ・ブルトンの言葉から取られているというのはまったく知らなかった。もともと1921年にパリ・ダダのイベントの事後分析として書かれた文章のタイトルらしいのだが。

読書会の今回の対象の章で、まさにそのパリ・ダダについて触れられているというので、急遽申し込んだ次第。同じ章ではマリネッティの未来派のパフォーマンスや、ロシア革命後のメイエルホリドの演劇についても取り上げられている。

慌ただしく申し込んだので、取り急ぎ送っていただいたその章のコピーも十分読めていないし、本書の全体の構成も把握していないのだけど、そうしたブルトンやマリネッティらによる二十世紀初期の公衆を巻き込んだイベントやパフォーマンスを、現代の参加型アートの嚆矢として位置づけようという意図らしい。

しかし、第一感、現代の「アート」や「アーティスト」という概念で、当時のブルトンらの行ったことを説明するのは適当なんだろうかと思った。また、当時のブルトンは、それを芸術的なパフォーマンスと自覚していたんだろうか。自覚していたとしても、美術の文脈というより、文学的な文脈だったかも知れないし、もっと渾然とした行為だったかも知れない。

つまり、「現代アート」が、「参加型アート」という概念を持ち出すことで、かつてのブルトンらの行為を簒奪、矮小化して、アート・ヒストリーに回収する企てのように感じられたのだった。その手つきが気に入らないと思った。

20世紀は、文化芸術だけでなく、人員も資源もあらゆるものが政治や戦争に動員されていった時代で、それは今に至るまで続いている。意地悪な見方をすれば、「参加型アート」というのは、参加する主体からすればそういった言い方になるのだろうが、視点を反転すれば「動員型アート」ということではないのか。

というわけで、今日は控え目に。6,484歩。

bbbbbbbbbbbbbbb

四月から在宅している時間が長くなったこともあって、自宅のノートPCをなるべく快適に使いたいと思った。外付けのキーボードを使うといいというので、さっそくヨドバシに見に行ったけど、気に入ったのは置いてなかったし、あっても品切れだったのは、考えることは皆同じだったんでしょう。

そこで、とりあえずの繋ぎに、Amazonで安いのを探して買って使っていた。五月の初めくらいからかな。

最初は問題なく使えていたんですが、時々、あれ?ということが起こるようになって、それが昨日おとといくらいから、はっきりと動作が怪しくなった。

キーボードの「B」のキーが、押してもまったく反応しないか、あるいは延々と「bbbbbbbbbbbbbbb…」と入力されっぱなしになるか、そのどちらかという状態。

前者の状態の時を見計らって、なるべく「B」を入力しないように、だましだまし使おうとしたのですが、無理でした。購入からわずか二か月程。安物買いは銭を失うという話。

写真はイメージです

というわけで、久し振りの終日在宅の一日。朝から夕方まで家から一歩も出ずに過ごす。

所用を済ませて、夕暮れの気配が辛うじて空に残るうちに、散歩に出ました。

そして銭湯。

暗くなってから外に出た割には案外捗った。13,726歩。

夏の干物

朝は適当に済ませて外出。本当はもう一、二本前の電車に乗れたらいいんだけど、何か食べたり、出掛けにゴミ出ししたりしているうちに、すぐ時間が経ってしまう。これはコロナのせいにはできないだろうな。

昼は秋刀魚。この時期は、もちろん生の秋刀魚じゃなくて、開きの干物です。運ばれてきたお皿の上でじゅうじゅう言ってる。干物も生も、魚は焼きたてが旨い。肉料理なら作りおきを出されても、まあ食べられますが、魚介類はダメ。口が奢ったようなことを言って恐縮ですが。

PullのPの中に「引」が。芸が細かい

錦糸町で所用の前に、オリナスのスタバで休憩。夏場はどうしてもアイスコーヒーばかり飲んでしまう。今日も朝、昼、夕方と一杯ずつ。コンビニだったり、カフェだったり。

しばらく前からスタバのストローは紙製になっている。ここはむしろ、近頃コンビニで見かけるようになった、飲み口が付いているアイス用の蓋のほうがストロー不要でいいと思うのだけど、すぐには真似できないのかな。

帰宅後、銭湯に行きたくなって自転車で出掛けたけど、時間切れ。以前遅くまでやっていたところも、アフターコロナの短縮営業が続いている。夜のサイクリングをしただけで終わる。9,120歩。

東京小銭入れクラブ

夜中目が覚めると、マスクを着けているような感じがする。もちろん実際にはマスクを着けていない。四六時中、寝る時と風呂に入る時以外はマスクをして過ごしているから、こんな感覚が肌に残るのだろうか。

小銭入れを忘れて外出してしまった。長年私は、東京小銭入れクラブの会員で、お札を入れる財布と小銭入れを分けて持つタイプなのだけど、近年はさらに小銭入れの中に、定期券付きのPASMOや別の電子マネー等も入れているので、小銭入れを忘れて出掛けると不便で仕様がない。

久し振りに他の客と体が当たるくらいの満員電車に乗った気がする。乗った時間帯のせいか、たまたまの巡り合わせか。そんな状況だったのは一駅の間だけど。

朝は家で適当に済ませた。昼も特筆することはなし。いちおう写真は載せておきます。

電車代を払うのが癪だったし、雨も降っていなかったので、帰りは歩きにする。

家に近づくにつれて雨が降り出した。忘れてきた小銭入れにスーパーのポイントカードが入っているので買い物にも寄らず、夜も有り合わせで。無限ナスというのを作って大量に食べる。このまま外に出ず、銭湯もパス。8,728歩。

※ちなみに東京小銭入れクラブは、2000年のシティボーイズライブ「ウルトラシオシオハイミナール」(野宮真貴さんが出てたやつ)にあったコント。もう20年前か!

白鬚鼻眼鏡

早起きというほどではないけど、雨の降らないうちに隅田川沿いを散歩。

桜橋の袂からデッキに降りて、まず白鬚橋まで。橋を渡って荒川区側を汐入公園を横目に歩き、水神大橋で再び墨田区側に入って南下。白鬚橋を今度は反対方向に渡って、台東区側に入り、桜橋まで戻るのが定番の散歩コース。要するに、白鬚橋を軸に8の字を書くような格好になる。または白鬚橋を鼻柱にした鼻眼鏡の形。

朝顔が咲いていた。丹精されているのではなく、野生化というと大げさだけど、放置されたのが勝手に芽を出して伸びたのだろう。

ちなみにこちらの朝顔は造花(どうして家の前に造花の朝顔を飾るのだろう?)。

ヒガムコでモーニングを食べてから、コーヒーを追加して長居。そのうち雨が降り出した。一旦帰宅してZoomミーティングに参加。

雨も上がったようなので再び外出。恵比寿のLIBRAIRIE6に有持有百(ありもちありも)さんという人のドローイングの展示を見に。

風変わりな名前の作家さんだが、もちろんというべきか、本名ではない。今回が初個展とのことだが、実は実験的なアニメーションの分野では知られた方なのだとか。あえて実績のある名前を伏せて、新しい名前でドローイング作家としてデビューされることを望まれたそう。

今回展示されている作品の多くは、シュルレアリスムの「優美な死骸」の方法を応用して制作されたのだとか。程なく強く惹かれてしまった。

恵比寿から帰宅後、今度は夜の散歩。午前とほぼ同じコースを歩いてから、銭湯に。一日二回歩くと歩数も捗る。30,487歩。五月以来の三万歩超え。

いなくてもいなくてもいい

午前中指定で荷物が届くので、それまでの間、雨音も静かになったようだし散歩でもするかと一旦外に出てみたけれど、また雨粒が大きくなってきたので引き返す。

土曜日の朝、誰よりも早起きなのは、集積所から空き缶を集めて回るおじさんだなと思う。

有り合わせで昼飯を済ませたら食い過ぎてしまって、ぼんやりしているうちにいい時間。

鈴本演芸場、七月上席夜の部に。鈴本はコロナ後、この席からの営業再開。

開口一番 春風亭いっ休「桃太郎」
父親も息子も立て板に水という感じで気持ちいい。おばあさんが川に洗濯に行くのは海だと石鹸が泡立たないからなのか。この人、調べると京大落研出で、笑福亭たまさんなどの後輩になるらしい。師匠は一之輔師。
落語 橘家文吾「新聞記事」
本日の主任文蔵門下の二ツ目さん。ちょいと片岡愛之助さんみたいな甘いマスクじゃないですか。口を開くと師匠を彷彿とさせる荒くれっぽい感じもある。「新聞記事」は実は五年前から町内で流行っていたネタだったというアレンジ版。
ジャグリング ストレート松浦
中国コマの糸があわや切れそうに。傘に続いてトラ棒(カラーコーン)を踊らせる。皿回し、お手玉。鈴本は天井が高い分芸もダイナミック。
落語 古今亭文菊「粗忽長屋」
この人、こういうキャラだったんだ(エロ坊主?)。
落語 柳家小さん「たいこ腹」
私事ですが先日鍼治療を生まれて初めて受けたところ。腹に鍼を刺す滅茶苦茶ぶりが腹に落ちる。
漫才 ニックス
落語 柳亭市馬「雑俳」
落語 桃月庵白酒「馬の田楽」
白鳥師・喬太郎師の代演だが、代演で白酒さんというのは嬉しい。

紙切り 林家正楽
まず「線香花火」。客の求めに応えて、「競馬」。「小泉八雲『怪談』」は苦しいかと思われたが、文机に向かうハーンと耳なし芳一の場面を一枚に切り抜いて見せる。「蛍狩り」。「七夕」は、コロナ禍で地方の仕事がなくなったとぼやきながら切るのが可笑しい。
落語 柳家権太楼「家見舞」
枕をふらずにスパッと本題に入る。文蔵さんによれば本日権太楼師は少々ご機嫌斜めだったそうだが。「おっかさん、奴にかめの水一杯持ってきてくんねえ」でサゲ。
粋曲 柳家小菊
「並木駒形」、都々逸を二節、「さのさ」、「金来節」等。
落語 橘家文蔵「転宅」
文蔵さんが高座に現れると、客席から「待ってました!」「三代目!」と声がかかる。私も文蔵さんは贔屓の噺家さんのひとり。昔気質の芸人のように無頼なふうでいて、ちらりと見せる都会人らしい繊細さと男の色気に惹かれる。この「転宅」でも、妾宅に入り込んだ泥棒の虚勢と脆さ、片や男勝りに、そして色仕掛けで泥棒をあしらうお妾さんの機転、その実泥棒を恐れていたことが後から分かるのだが、そうした登場人物それぞれがまるで文蔵さんの分身のようだ。

追記:文蔵さんのこのツイートは、投稿時刻からすると、この日私が見た高座のことのようだが、ご当人が言うほど出来がよくないとは、素人のこちらにはわからなかった。ともあれ、こんなふうに一見無防備に弱さを見せてしまうところも、かっこいいぜ。

小さんさんがまくらで、噺家はいてもいなくてもいい、というよりむしろ、いなくてもいなくてもいい商売だ、というようなことを言っていた。この手の卑下は昔から落語のまくらの定番だが、コロナ以降、お上が不要不急な商売を決めるようになって、噺家の卑下も洒落にならなくなるのではないかと思われた。

しかし、やはりまくらで白酒さんが言っていたように、落語という稼業は、江戸時代に成立してから、現代に至るまで、ほとんど形を変えていない。その間、時代の流れの中で、当時は必要不可欠と見えた商売の多くが形を変え、姿を消していったことを思うと、落語のしぶとさは不要不急のしぶとさというべきか。

言い換えれば、落語や寄席演芸は、高座に上がる芸人たちはもちろん、一時の流行り廃りに関係なく寄席に通い続ける客にとっては、むしろ必要不可欠な商売なのだ。おそらく、他にも多くの種類の、一部の人たちにとって必要不可欠という商売があることだろうと思う。

さすがに今日はあんまり歩かなかったな。6,988歩。