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『島袋道浩「美術の星の人へ」 』
会場: ワタリウム美術館
スケジュール: 2008年12月12日 ~ 2009年03月15日
12月31日 (水)-1月3日 (土)は休館
住所: 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前3-7-6
電話: 03-3402-3001 ファックス: 03-3405-7714
ひらきつうしん
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『島袋道浩「美術の星の人へ」 』
会場: ワタリウム美術館
スケジュール: 2008年12月12日 ~ 2009年03月15日
12月31日 (水)-1月3日 (土)は休館
住所: 〒150-0001 東京都渋谷区神宮前3-7-6
電話: 03-3402-3001 ファックス: 03-3405-7714
沖縄の風俗街で働く女の子、に化ける作家。
作家は相手の衣装をつけることで変身する。そして変身した姿を写真に撮らせる。
カメラのシャッターが降りる瞬間、作家が作家でなく、相手の女の子であるとしたら、ボタンを押す女の子はいったい誰なんだろう?
少女は作家に笑顔を見せていたという。でも写真の中の作家は無表情だ。もしかしたら、それが彼女たちの本当の表情なのかも知れないね。もちろん、そうじゃないかも知れないね。そうやってまた虚実皮膜の隙間に落ち込む。
観客は会場のひとつ上のフロアから入って、ここで荷物とコートを置いていくように指示される。そして、特別の白い衣装を着せられる。
こういうふうに書くと、なんだか「注文の多い料理店」みたいだ。
この場では、演じる者も、見る者同士も、外見上の有意な差は消滅することになる。
全員にまったく同じ衣装を着せることで、観客と演者との境界を徹底して攪乱させるつもりなのだろう。
高梨豊氏は大辻清司の直接の弟子筋だったのか・・・。寡聞にして知らなかった。
どうりで瀧口修造を撮った写真に、時折氏のキャプションを見つけるわけだ。
オリーブの茂る枝の下で、視線を上方に漂わせて腰をかがめ気味に佇む詩人の写真は、高梨氏のものだ。
カタログに収められている写真家の文章の中に、初めての個展の際に寄せられたという瀧口の文章の一節が引かれている。全文を読みたいと「コレクション瀧口修造」の何巻かを取り出して開くが、ちょっと見つからない。時を置いて探すか。
鈴本演芸場 3月上席夜の部
落語 柳家喬之進「出来心」
紙切り 林家正楽
落語 柳亭左龍「初天神」
落語 柳亭燕路「粗忽長屋」
漫才 大空遊平・大空かほり
落語 古今亭志ん五「新聞記事」
落語 五街道雲助「ずっこけ」
仲入り
三味線漫談 柳家紫文
落語 柳家はん治「鯛」
太神楽曲芸 翁家和楽社中
落語 柳家さん喬「井戸の茶碗」
大きなキャンバスいっぱいに描かれた寿司桶に、まず息を呑んだ。
寿司桶の中には、海老、イクラ、白身。ひとつが人の頭ほどもありそうな江戸前の握りが並ぶ。
画家は、セザンヌやマチスの絵が好きなのだと言う。
そんな泰西名画のタッチで、お寿司。
どこか、可笑しい。そして、画家もその可笑しさを意識しているのだろう、キャンバスの隣に、鮪の握りがひとつ。宙に浮かぶように、白い壁に写真を貼り付けている。
しかし、どうしてこの絵が可笑しいのだろうか。
併せて掲げられている、リンゴの静物画は、別段可笑しくない。
両国は回向院にある、鼠小僧次郎吉の墓について調べるよう指示があった。
なにやら、鼠小僧の墓石を削って持ち帰ると、受験のお守りになるのだという。
鼠小僧次郎吉といえば、世間では義賊として名高い大泥棒だが、その墓石がどうして受験のお守りになるのだろうか?
そして、墓石というのはそんな簡単に削り取れるものなのか?
さっそく回向院のホームページを見ると、鼠小僧次郎吉の墓について、次のような記述がある。
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『「ライト・[イン]サイト -拡張する光、変容する知覚」展』
会場: NTTインターコミュニケーション・センター
スケジュール: 2008年12月06日 ~ 2009年02月28日
休館 12/29~1/5
住所: 〒163-1404 東京都新宿区西新宿3-20-2 東京オペラシティタワー4階
電話: 0120-144199
何より、一座の名前が気に入った。
いや、正しくはこの名前は「開座」と書いて「かいざ」で、ぼくは「ひらき」。でも、細かいことはいいじゃないですか。
おかげで座員にはぼくの名前はすぐに覚えられてしまった。
写真に撮った看板は、最近作ったばかりなのだそうだ。この場所に来たのは、昨年12月末の公演が初めてだったのだけど、そのときはまだなかった。
今回、寒風すさぶ中、座員の女性がこの大きな看板を掲げているのを見つけて、まずびっくりしたあと、ちょっと照れくさいような気分になった。
森下の大通りから外れた、ほとんど人通りのない一角である。
促されて、ワンルームマンションの一室にいそいそと上がりこむ。
それでなくても、どこか秘儀めいた一味に加わろうとしているようである。
言うまでもなく国際政治も外交史も一介の門外漢にすぎないのだが、韓国からの発表者の二人が、国際関係を表現するのに、共に「ネットワーク」という言葉を使っているのを興味深く思った。
これは、この二人が学問的な背景や環境を共有しているからなのか、それとも韓国人一般がこのような見方をしているのか、それは知らない。
しかし、まるで国際関係をコンピュータ・ネットワークのメタファーで語るようで、そういう見方もあるのかと思う。