この多幸感は何なんだと思う。
何回目の吾妻橋ダンスクロッシングか忘れたが、今回もまったく期待を超えていた。
最後に出てきた「おやつテーブル」という人たちなんて、想像を絶するよ。
よくもまあ、次から次に新しい手が出てくるものだと思う。
康本雅子とボクデスはもうおなじみだが、あとの出演者は、多分ぼくは初めて見る人ばかりだ。なじみの名前で食いつかせておいて、初出演のパフォーマーたちも好き嫌いなく食わせる。うまい配分だと思う。
吉田町から
ここだったのか、吉田町というのは。野毛の街から橋を一本渡ったところじゃないか。黄金町から歩いて、だいぶ遠回りしてしまった。
時間を潰すのに入った蕎麦屋のお姉さんが、ちょっとびっくりするくらい綺麗な人だった。しかも店内では彼女一人が孤軍奮闘という状況だ。てんてこまいという言葉は彼女のためにあるようなものだ。あるいは、そういうふうに見せてしまうキャラなのかもしれない。しかし、取り急ぎそのことはこれから書こうとしている本題とはまったく関係がない。
黄金町から
黄金町は、かつては特殊飲食店街として知られた街である。
数年前、この街から裏風俗が一掃されたという話はどこかで読んで知っていた。
ぼく自身は、ちょんの間が猖獗をきわめていた頃の黄金町は知らない。前回のトリエンナーレの頃から、横浜を訪れる度に野毛町の界隈に立ち寄って一杯やっていくのが習慣になったが、さすがに黄金町までは足が向かなかった。今思えば、その雰囲気だけでも見ておけばよかったか。そんな一見客の覗き見をこの街は許してくれただろうか。
桜木町から
桜木町の創造空間9001で三田村光土里展を見た。
廃止になった東横線桜木町駅の、もとは券売機が並んでいた、その裏側で映像を見る。
これは、ちょっとない体験だ。
コインが詰まったか何かで、券売機の呼び出しボタンを押すと、機械の脇の小窓から駅員が顔を出して、「どうかしました?」などと聞いてきたりする。
その駅員のいる部屋が、ここなのだ。
初台から
トレースって、物体のトレースと時間のトレースと両方あるんじゃないかなと思った。物の形をなぞるのと、時の流れをたどるのと。
最初は、もっぱら前者のいわばエロティックな触感に気を取られていたんだけど、古屋誠一の展示を見ていて、ようやく自分の迂濶さに気がついた。そして、そのような見方は他の作家にも当てはまるように思った。
うまく言えそうにないけど、写真というものを、今まで自分が考えていたのと違うやり方で総合できそうな気がしてきた。
有楽町から
東向島から
吉行淳之介ではないけれど、向島は「原色の街」だと思った。
向島の街を歩いていると、不意に原色が目に飛び込んでくる。
それは、たわわに実った橙のオレンジ色であり、あるいは枝先からこぼれそうな南天の赤であり、ときには路地園芸の花の色である。
くすんだ家並みの、朽ちかけたトタンや板塀の合間から、鮮烈な原色がちらりと顔を出して、ぼくの足を止める。
横浜から
気が付けば、横浜トリエンナーレが始まっている。
前回のトリエンナーレから、もう3年過ぎたなんて、にわかに信じられない。
本当に、あの時は毎週のように横浜に通っていたような気がする。平日の夜、仕事を終えてから急いで山下埠頭に向かったことだって何度かあったはずだ。
それにしても、前回のトリエンナーレをとりまいていた、あの奇妙な高揚感はいったい何だったのだろうかと思う。いつでも、何かがそこで起きそうな気がしていたし、実際、何かを目撃していた。
竹橋から
浦山から
浦山のお寺でライブがあるというので出かけた。
・・・こう書き出しても、読む人には浦山が分からないか。要するに、黒部の市街地から車や電車で宇奈月温泉方面に向かうと、途中にそういう名前の村があるのですよ。行政の区分では、旧宇奈月町のとばくちあたりになる。
かく言うぼくだって、黒部市に生を受けて30ウン年になりますが、まあ、その後半は故郷に不義理を重ねてばかりでありますが、ともあれ、生まれてこのかた、浦山のあたりは通り過ぎるばかりで、一度も立ち寄ったことがなかった。まあ、普通そうですよね。あのへんに家がある人でもなければ。