オール讀物2月号484ページ単独完全読破挫折
今週は、小沢昭一的こころのストリーミング放送の更新がなくて寂しい一週間ですが。
実は最近、毎朝歯を磨いたり髭を剃ったりしてる間じゅう、BGM代わりに昭一的こころを流しっぱなしにしておく習慣がついてしまったもので、余計にそう思う。
おかげで、ちょうどいいタイミングだったというか、先週届いた「唄う小沢昭一的こころ」を流しっぱなしでありますよ。
小沢昭一的マニア的近況
イーブックオフのサイトを覗いてみたら、小沢さんのCD「唄う小沢昭一的こころ」が出ていたので、即買いしてしまった。
このCD、例のラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の平成4年の年末から翌平成5年のお正月まで3週間分の放送をそのまま収録したもので、今となってはもう13年前の放送だから、中古で買っても許していただけるのではないかと、勝手に思っている次第なのですが。
馬車道から
東府中から
「私は官憲などというものは、いっさい信用していないのですよ」
今朝の「愛の流刑地」もいいねえ。末尾の一文を引用する。
「いまの菊治には、哀しいけど自慰することだけが、尊大な法に逆らう唯一の手段である」
こんな文章初めて見た。そうか、人間(あるいは男だけか)にとって、自慰こそが極限状況下における国家権力への最後の抵抗手段となるのであったか。うーむ。
堀江社長にも、ぜひ実践していただきたいものだと思う。
ま、そんなことはともかくとしてですな。
「愛の流刑地」とライブドア
日経の「愛の流刑地」を流し読みしながら、ぼんやりとそんなことを考えているときに、例のライブドアへの強制捜査が報道された。
ライブドアの関係者が、実際にどんなことをしていたのか、それは知らない。
が、それはそれとして、前回書いたように、どんな事件であっても、検察の見方はあくまでひとつの見方にすぎないのだから、常に相対化して見る視点が必要だ、とは常に思っている。
だが・・・。
「愛の流刑地」
日経の朝刊に、渡辺淳一が「愛の流刑地」という小説を連載している。
いつから連載が始まったのか。普段、新聞に目を通しても新聞小説はまず読まないし、もともと小説好きとはいえないぼくは、実はこれまで、この作家の作品をまともに通読したこともない。
だいたい今だって、この文章を書いていて、渡辺淳一といえば、数年前に映像化されて話題になったあのベストセラーのタイトル、あれ何だっけ?
「楽天地」?そりゃ錦糸町だろ。なんてことを思っていた次第なのだ。
だから、日経を開いても、ああ今は渡辺淳一が連載してるのね、くらいにしか思っていなかった。
ただ、時折、朝刊に似つかわしくないような性描写が出てくるのは目に留まった。
いわゆるおでん屋のこと
野毛でお酒を飲んで帰ろうと思い立ったときの話。
あるおでん屋に入ったのだけど、常連さんの雰囲気に気おされるような感じで、程なく店を出た。まだビール1本しか飲んでいない。
物足りない気分で、野毛の町をあてずっぽうに歩いていたら、不意に、また「おでん」という看板が目に留まった。
ごあいさつ
今度はイヌ年ですから、うちの犬の写真でも貼っておきましょうか。
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2006年にご覧になる方は、本年も宜しくお願い申し上げます。