大阪へ行きたしと思へども 大阪はあまりに遠し
福岡だって遠いけどさ。
要するに先立つものが足りないからね。
漠然と、ひじょうに漠然と、今週末は関西方面になど行ってみたいなあと思っていた。
今週末は、大阪ドームでホークスとバファローズの3連戦がある。
もしかすると、この両チームが大阪ドームで対戦するのも、これが最後かも知れない。
日曜日は、御堂筋で球団合併反対のデモ行進があるらしい。
できればぼくも、ホークスアロハなど着て参加してみたい。
さらに、土日には、谷町の生國魂神社で彦八まつりがある。
これは上方落語協会主催のお祭りで、落語家による出店やら奉納落語会やら、盛りだくさんのイベントがあるらしい。
東京でいうと円朝まつりみたいなものか。って、なんだかわからない人にはなんだかわからないと思いますが。
どうせ大阪に行くのなら、明治屋やながほりや白雪温酒場という居酒屋にも行ってみたい。
ジャンジャン横丁で串揚げを食べながら生ビールなど飲んでみたい(揚げ物禁止してるんじゃなかったのかよ)。
大阪まで行ったのなら、ついでに京都に足をのばして、赤垣屋とか伏見とか静とかにも行って見たい。
それだったら神戸に寄って・・・、こんなことを言い出すと切りがないのでやめる。
だいたいぼくは計画性のかけらもないので、前もって安いチケットを取っておくとか、そういうことを絶対しない人なのである。
のぞみで正規料金で行くと、いくらでしょうか。1万3、4千円くらい片道でかかるんでしょうか。
で、一泊して、飲み歩いて、それから忘れてた、大阪ドームで野球を見て。それも土日ともね。すると、いくらくらいになるかなあ。
そういうことを考えると、どうしても躊躇しちゃうのは、ぼくのよくないところだ。
そこでばーんと行っちゃえれば、また人生も違ってたんだろうなあ。
後先のことを考えればね、また秋冬のスーツも買わないといけないし(去年のがすっかり着れなくなったから)。
最近、PCのハードディスクの調子が悪くて、いつクラッシュするかとびくびくしているし。もう5年くらい使ってるからね。
なーんだかおカネの出てくことばっかり思い浮かぶ。
そういいつつ、まあデジカメ買っちゃったんだけどね。
どうしたもんかなあ。
・・・そんなことを考えながら、うちに帰ってポストを見たら、3万円の請求書が届いてた。
大阪へ行きたしと思へども 大阪はあまりに遠し
せめては新しきカメラを持ちて きままなる旅にいでてみん
結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ
もう10年以上も前だが、大阪の「売名行為」という劇団の芝居を見に行ったことがある。会場は、確か、新宿のシアタートップスではなかったか。
劇団といっても固定メンバーは3人だけだから、演劇ユニットとでもいうのだろうか。3人というのは、立原啓裕、牧野エミと升毅。あとは公演のたびに関西の他の劇団から助演が入っていたようだ。
別に演劇ファンでもなく、大阪にゆかりもないぼくが、わざわざ彼らの舞台を見に行ったのは、当時よみうりテレビで放送していた「ムイミダス」をTVKだか千葉テレビだかで見ていたからで、ムイミダスには売名行為の3人をはじめ、当時の関西の小劇団の人たちがレギュラーで出演していた。例えば、古田新太や生瀬勝久、山西惇といった人たち。もっとも、生瀬勝久は槍魔栗三助という芸名だったが。
その時、ぼくが見たのは「こどもの一生」という中島らもの脚本による芝居で、どんな内容だったかと言われても、今となってはとてもよかったという印象しか残っていない。この芝居は売名行為としてだけじゃなくて、違うキャストでも上演されているみたいだし、小説にもなっているようだけど、いずれもぼくは知らない。
公演のパンフレットを買ったら、推薦文というのか、何人かのタレントや関係者の文章が掲載されていたのだけど、その中に、シティボーイズの大竹まことも一文を寄せていた。
その、大竹さんの文章がよかった。
昔見た唐十郎やすまけいの舞台の鮮烈な印象と、その頃の芝居仲間や大竹さん自身の今。
そのパンフレットは実家に持っていったので、実物はぼくの手元にはないが、なんだか大竹さんの根っこにある役者の業のようなものを感じながら読んだ記憶がある。
シティボーイズの3人はみんなそうだけれど、例えば大竹さんのことを言うのに、役者って言っていいのか、それとも芸人と言ったほうがいいのか。シティボーイズライブは、あれはお笑いなのか、あるいは芝居なのか。まあ、あえてそれを分ける必要もないのかもしれないけど、どう言葉を選んでよいか躊躇するときがある。
むろん、大竹さんはじめシティボーイズの3人は、劇団の出身である。
が、劇団出身だろうが何だろうが、芸能界で生き残っていこうと思えば、芸人の顔をしてやっていくしかない。
役者と芸人との距離は、ひょっとすると、客のぼくらが思うよりずっと遠いのだろうか。
おそらく、当時の売名行為の3人もそんな立場だったのだろうと思う。まして大阪のタレントは笑いを求められることが多いから、その意味では東京よりも厳しいのかも知れない。
そういう彼らが、性懲りもなく芝居を打つ。始めたらそんな簡単にやめられないぞ、いや、やめたっていいけどね。いくぶん感傷的になってしまった文章に自分で照れるような、そんな言い回しで、彼らを静かに励ましていた。
それから、売名行為は解散したけれど、シティボーイズはずっと続いている。
しばらく前に買ってそのままにしていた、大竹さんの「結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ」を改めて読んで、そんなことをつらつらと思った。
タレント仲間との日常や、若い頃の追憶、芸人の死、そんな折々の大竹さんの心の揺れが伝わってくる。
大竹さんの文章はいい。いいのは分かっているから、あんまりそれを見せちゃうと、芸人としてはダメ芸人になっちゃいそうだから、欲を出してエッセイ集を次々出したりしないで、10年に一度くらい、ふと、文章のよさを気づかせてくれるくらいがいいです。
その間は、料理本みたいなタレント本でお茶を濁すくらいでいいですから。
出来心
団子坂下のおせんべい屋さんで柿の種とおせんべいを買ってきた。
この前書いた、タワーレコードのキャンペーンでスケッチ・ショウの二人と坂本龍一が店先でおせんべいやお団子を食べていた店です。
タワーレコードのポスターを見るまでは、何の気なしに店の前を通り過ぎていたのに、さっそくせんべいを買いに行って、ほお、この店かあ、などと感心しているのだから、われながらミーハーだなと思う。
といっても、さすがにせんべいを買うためだけに千駄木まで出かけてきたわけではありません。
おせんべい屋の近所にある谷中カフェに行って、また立川こしらさんの落語会を見てきた。われながら物好きだなあと思う。
取り急ぎ当日のネタの覚え書きをしておく。
まずAVにこしらさんが出演した(そうだ)ときの話をまくらにして、「出来心」。このへんにちょうちん屋ぶら左衛門さんはいらっしゃいますか。ぶら左衛門はおれの親父だよ。って、なんだかよくわかりませんが。そして二本目は、ひたちなかに営業に行ったときの話をまくらにして「寿限無」。
それから今度、吉本興業所属のヨイショなんとかという芸人(誰だ?)と、こしらさんと秋葉監督(誰だ?と思うだろうが)の三人が組んで、コントだか何だかをやるんだかどうだか、という微妙な前説が落語の間にあり。
さて、このサイトを見ると落語に行ってきたという話が多いが、落語のどこが面白いかというと、まあ、言ってしまえば、それほど面白いわけじゃない。
が、これは落語だけじゃなくて、どうも最近、年を取ったせいか、滅多なことでは大笑いしない人になってしまった。
高校生の頃や、大学に入ってすぐの頃は、決してそういうことはなかった。
お笑いの人たちの舞台を見に行って、腹をよじるようにして笑っていた。
まあこのへんの分析はさて措くが、とにかく面白いから、あるいは大笑いするから、といった理由で落語を見に行っているというわけではない。
ではなぜ落語に行くのか。
落語のいいところをひとつ挙げると、寄席や落語会に行って、混んでいて座れないという思いをしたことが滅多にない。
ふらっと出かけても、たいてい席が空いている。チケットを取るのに、何ヶ月前から苦労して予約したりする必要がない。
ではなぜいつも空いているのか。
やっぱり面白くないからですかね。
こんな結論でいいのだろうか。いや、こしらさんの落語は面白いよ(と言っておく)。
紺屋高尾
池袋演芸場の下席昼の部に行ってきた。目当てはトリの林家錦平さんである。
錦平さんといえば、去年の11月にも鈴本でトリを取っていたのだけど、ぼくが見に行く前に鈴本が火事になって休業してしまった。
これまで錦平さんの落語は、鈴本の独演会で1回、ねぎし三平堂で1回、そして黒門亭で2回聞いているけれど、定席のトリというのは、実は初めてだ。
今回の錦平さんのネタは「紺屋高尾」。
絶世の花魁、高尾太夫に一目惚れした紺屋の職人久蔵は、高尾との一夜のために給金を3年がかりで貯めた15両を持って吉原へ向かうが・・・というお話。
いいですねえ。うまいですねえ。
錦平さん、こういう花魁とか、女の人が出てくる噺がいいですねえ。
廓噺といえば、前に錦平さんの「五人廻し」を聞いたことがあるけど、これもよかった。
ただ、五人廻しのときは、客の5人のキャラの演じ分けの驚きというか、上手いなあっていう感じが先に来たけれど、今回の紺屋高尾は、もっと自然に引き込まれていく感じだった。
そういや、微妙に師匠の三平さんのモノマネを入れてましたな。
錦平さん、今度は6月にやはり池袋演芸場で独演会をやるらしいし、5月には黒門亭にも出るみたいだし(きのう届いた東京かわら版に出ていた)、すごく楽しみだ。
錦平さんのプロフィール、インタビュー
http://www02.so-net.ne.jp/~cozyhall/gallery/event/yose/Kinnpei1.html
初天神
新宿末広亭の深夜寄席を覗いてきた。
今回の深夜寄席は落語協会の順番で、出演した噺家さんは、出番の順に三遊亭歌彦、柳家小太郎、桂才紫、そして三遊亭天どんの4人。
まず三遊亭円歌門下、歌彦さんの演目は「阿武松」。
能登の国から出てきたお相撲さんが、飯を食いすぎるということで破門になり、川に身を投げようとして・・・、という人情噺。
この噺は、もう1年ほど前になるけども、ねぎし三平堂で林家錦平さんの演じるのを聞いて、ほろっとするところと笑わせるところと、古典的な感覚と現代的な感覚とが絶妙なバランスで、落語初心者のぼくは、いやあ落語って面白いもんだなあとすっかり感じ入ってしまったことがある。
たぶん難しいだろうこの噺を、歌彦さんは無難にこなしていたように思う。
次は柳家さん喬門下、小太郎さん。演目は「愛宕山」。
なんといっても幇間の表情がいい。独特の雰囲気のある人。
桂才賀門下、才紫さんは「雛鍔」。とてもいい声をしている人。
さて、「阿武松」、「愛宕山」と大ネタが続いていることからも察しのように、三人目の才紫さんのネタが終わったところで、時刻はすでに10時50分。
この深夜寄席はいつも11時で終わりなので、あれ、今日はこの三人でおしまいなのかな、と思うと、さにあらず。最後は三遊亭円丈門下、天どんさん。
普通だったら寄席のトリを取るのはとてもうれしいことなのだけど、深夜寄席に限っては、始めのほうの人が大ネタをやってしまうと時間がどんどん押してしまうので、あんまりありがたくないそうです。出番もアミダで決めるようなことを言っていたけど、本当なのかな。
天どんさんのネタは「初天神」。
前の才紫さんが「雛鍔」という子供の出てくる噺をやった後で、また子供の出てくる噺をするのは普通は恥ずかしいそうなのだけど、ご本人曰く、そこをあえてやってしまうということ。
どうなるのかと思ったら、まず時間がないということを逆手にとって、話が横道にそれては戻り、戻ってはそれ。また「雛鍔」だけでなく、その前のネタもどんどん引用して、臨機応変に噺を変形していく。最後に出てきて一番笑いを取っていた。
円丈さんの弟子が古典をやると、ああいう感じになるのかな。なるほど。いや、でも面白かった。
ということで、終演は予定を若干押して、11時10分。
ところで落語といえば、このあいだ谷中カフェで立川こしらさんの落語を聞いてきた話を書いたけれど、いまタワーレコードの「NO MUSIC, NO LIFE.」キャンペーンで、スケッチ・ショウとドラゴンの3人が店先に並んでせんべいを食っているせんべい屋さん、あそこって谷中カフェのお向かいあたりにある店ですな。今度行ったとき食べてみよう。
NO MUSIC, NO LIFE.
http://www.bounce.com/article/article.php/1228/
Cafe la Cugo
立川こしらの落語会「Cafe la Cugo」に行ってきた。
この会は、谷中にある喫茶店「谷中カフェ」で毎月1回開催されているもので、これで8回目だそうだが、ぼくは今回が初めてだ。
立川こしらは、立川志らく門下の二つ目で、ということは談志の孫弟子になるわけだが、東京かわら版の「寄席演芸年鑑」によると、1975年生まれ。本人が噺のまくらで言っていたが、6年間の弟子修行を経て、二つ目に昇進して2年になるという。
立川流の噺家さんは、落語協会や芸術協会の人と違って、末広亭や浅草演芸ホールといった寄席には出てこないから(出られないから?)、ぼくはあまり見たことがない。この立川こしらという人も、どんな人だか全然知らなかったが、まあ世評高い志らくさんの弟子なら大丈夫だろうというつもりで出かけた(と書いたが、実は志らくさんの噺も聞いたことがない)。
さて、こしらさんを見るのが初めてなら、会場の谷中カフェというところも初めてで、行ってみると、これがなんとまあかわいい喫茶店なのだ。
かわいい、というのは、キュート、というのも少しあるけれど、とにかく小さい店で、通り沿いにあっても注意して歩かないと見逃してしまいそうなくらい間口も狭い。1階には小さな木のテーブルが三つほどあるだけで、全部で7、8人くらいしか座れないんじゃないかな。
最初、店に入って、こんな小さな店のどこで落語会などやるんだろうかと思った。
店の人に聞くと、2階が会場だという。そうか、それなら安心した。
1階でしばらくコーヒーなど飲んで時間をつぶし(余談だが、ここでコーヒーを注文すると、ミルクが普通の牛乳と豆乳のどちらがいいか聞かれる。勢いで豆乳を頼んだけど、うーん、次回は普通のミルクがいいかも)、開演20分ほど前になったので2階に上がった。
すると、まあ、2階は2階でやはり狭い。そうねえ、せいぜい6畳くらいなものか。
それでも、板敷きに座布団に座って見るから、ちゃんと詰めれば15、6人程度は座れそう。
正面に木箱を二つくらい並べたくらいの演台がしつらえてあって、こしらさんはそこに座って落語をするようだ。
開演が近づくにつれて、意外にも、と言ったら失礼だけど、客席はほぼ埋まってくる。まあ、満員といっても、さっき言ったように15、6人くらいのものだけど。
他のお客さんの会話をちょっと聞くと、お互い顔見知りの人も何人かいて、この会の常連さんも結構いるようだ。
自家製のピクルスをつまみながらビールを飲んで開演を待つ。
午後6時に開演。最初、事務所の人?の前説があって、その後でこしらさんが赤い着物姿で登場。着物を着ているほかは、いま風の若い人という感じだ。インターネットオークションや自分のこれまでのバイトの話などをまくらにして、落語に入る。演目は「あくび指南」。
まずここで、ちゃんと古典をやっているということに感心する。途中、ちょっと危なげなところもないではなかったけど、何よりも面白い。客いじりも適度、かつツボをついていて好ましい。
ここで休憩。今度は黒糖焼酎をロックで頼む。誰かの差し入れのどら焼きが配られる。
さて、休憩後の演目は「宮戸川」。この人はガンダム好きらしいのだけど、そういう細かいネタを挟み込んだりしつつ笑いを取っていく。
そして終演。期待していたより全然よかった。会場の雰囲気もいいし、こしらさんがちゃんと古典落語をやって、その上で自分の笑いを取っているのがいい。それに、お酒も飲めるしね。
今回改めて感じたのだが、二つ目さんくらいだと、まず古典落語を中心にして、その中に自分流の笑いを入れ込んでいくというほうが、聞いていて快い。例えば、新宿末広亭の深夜寄席でも二つ目さんの噺を聞く機会があるが、時折、自作の新作が余りにひとりよがりに聞こえることがあって、笑うよりも先に、落語というのは果たしてこういうものだったかと客席で考えさせられてしまうことさえあるのだ。
ともあれ、場所にしても噺家さんにしても、新しい魅力を発見した一日だった。
不定期ライブマン・コミック君!! テレビくん登場の巻
少し前の話になるけれど、小堺一機と柳沢慎吾の二人舞台「不定期ライブマン・コミック君!! テレビくん登場の巻」を見てきた。
会場のクラブeXは、品川プリンスホテルの中にあるのだが、いわゆる普通の劇場ではない。
品プリのホームページには、「ユニークな円形のエンターテインメントバー」とある。
フロアの真ん中に円形の舞台があって、それを丸テーブルと椅子が取り囲んでいる。
ぼくたちのチケットには、C−21テーブル、とあった。
おそらく、一階のフロアがA、B、Cの三つくらいのエリアに分かれていて、それぞれにテーブルが20いくつかあるのだろう。ひとつのテーブルには椅子が4つあるから、それだけで大体300人くらいは入っているか。
テーブル席のほかに個室状になっているバルコニー席もあるし、二階にも個室があるようだ。
普段はステージではバンド演奏やダンスショウなどを上演することが多いようで、そういうのを客席でお酒や食事を取りながら楽しむ場ということらしい。
要するに、キャバレーなのだ。ただ、キャバレーというと誤解があるかもしれないけれど、なんていうか、そういう日本的な誤解のないキャバレー。
別の言い方をすると、店の女の子が付かないキャバクラとでもいおうか(よけい誤解を招くかな)。
ともあれ、あまりこういうお笑いのライブ(と言っていいのかな)では使わない場所だ。
何より、大劇場での公演と違って、舞台と客席との距離がとても近い。
それに、場所が場所だけにといおうか、今回の公演もワンドリンク付きになっていて、入口でチケットを見せると黒いトークンを一枚くれる。それを会場内のバーカウンターに持っていって好きな飲み物と交換してもらうという寸法。
さて、ぼくたちが見に行ったのは、6日間8公演のうち最終日の昼の公演。
まず、とにかく感心したのは柳沢慎吾の芸達者ぶりだ。
ぼくはこれまで柳沢慎吾といっても、ああそういうタレントもいるな程度の認識だったので、実のところあまり期待しないで出かけたのだけど、それがいいほうに裏切られた。
今回の舞台は、タイトルにあるように、テレビがひとつのキーワードになっている。
その中で、柳沢慎吾は、スポーツ中継やドキュメント番組の一場面を、登場人物、実況、ナレーション含めて全部自分だけでやってしまうという一人芸を見せる。
例えば、正月恒例の箱根駅伝。
母校の襷を胸に東海道を走る選手。中継所ではその襷を受け継ぐべく後続の走者が待つ。繰り上げスタートまで残された時間はごくわずかだ。襷を次につなぐことだけを考えて力走を続ける選手。そこで非情にも繰り上げスタートのピストルが鳴る。が、走者はまだそのことに気づいていない。いよいよ最後のカーブを折れて中継地点が見えてきた。が、そこには襷を渡すべき仲間の姿はない。脱力して倒れこむ走者。
数ヵ月後、スーパーテレビでの箱根駅伝の特集。無念にも襷をつなぐことができなかった選手が、当時を回想する。
「あのときの俺は・・・」
そこまで全部、柳沢慎吾ひとりでやってしまう。
まあ、こう文字にしてしまうと、よくありがちなネタのように思われるかもしれないが、柳沢慎吾の場合は、とにかく芸が細かい。
もうひとつ例を挙げると、高校野球中継。
準決勝、横浜高校対智弁和歌山。リードを許している横浜高校、9回裏、最後の攻撃かという場面。
マウンドでは投手が今まさにモーションに入ろうとするところ。テレビカメラはキャッチャーのサインを確認する投手の姿をとらえる。そして画面はバットを構えた打者のバストショットに変る。
このピッチャーからバッターに画面が変る瞬間の柳沢慎吾の動きが、また絶妙なのだ。
そしてこの後、午前11時45分から、高校野球中継は引き続き教育テレビで放送します。
NHKだから、緊迫した場面にこういうアナウンスも挿入される。
とにかく細かなカメラの動きや、ありがちな演出や決まり言葉を観察して芸にしている。
大げさな言い方をすると、ひとつのテレビ批評になっている。
警視庁24時と題した、暴走族とそれを取り締まる警察のドキュメント番組を、やはりひとりでやってしまうのは、テレビでも時折披露しているようだ。
小堺一機も、田中邦衛や田村正和のモノマネで対抗していたけれど、普段テレビで見られない柳沢慎吾の芸を見せられた後では新鮮さに欠ける。むしろ小堺さん自身のネタはなくてもよかったな。
問題は、柳沢慎吾はどうも一人では自分の芸をコントロールできないところで、だから誰か場を仕切る人は必要なのだが、そういうのは小堺さんは適役だから、もう一歩引いて柳沢慎吾の引き立て役に徹するという構成でもよかったのでは。
そんな感じで、ドキュメンタリーやドラマといったさまざまなテレビ番組の一場面を、テレビ好きを自称する小堺・柳沢の二人が、ラーメン屋の主人と客というシチュエーションから、次々に再現していくというのが第一部。
さて休憩をはさんで第二部は、二人がそれぞれ大物芸能人とのエピソードをフリートーク風に話すというもの。
例えば、柳沢慎吾がトンカツ屋で舘ひろしに会ったとか、ロケバスで渡哲也と二人きりで弁当を食べたとか、時代劇の撮影のときに若山富三郎のことをよく知らなくて適当に挨拶したら後で大変な目にあったとか、そういう話。
どのエピソードもそれなりに面白いのだが、フリートーク風の「風」という部分が問題で、当たり前なのだけど、二人が本当にフリーで話しているわけではない。あらかじめ練られた構成があるわけで、お互いの話の内容は事前に十分確認しているのだろう。むろん多少の脱線はある。
さて、そのフリートーク風のコーナーが終わると二人は一旦舞台裏に引っ込み、今度は先ほどまでのトークのネタを盛り込んだ替え歌をレビュー風に続けて歌っていく。大体、時間として2、30分くらいか。
で、その歌のコーナーの締めが、おはロックの「おはー」という箇所を「チョメー」に替えて歌うというものなのだが、最後の最後まで強引にチョメで引っ張ってしまうのはいかがなものか。
というのも、その元ネタは先ほどのトークのコーナーで、山城新伍がADさんに洋服の下からピンマイクを付けてもらうときに、なかなかうまく付けられないで、何度もADさんの手がアッパーカットみたいに顎に当たって山城新伍が怒り出したという話から来ているのだが、チョメというのも、その昔テレビの「アイアイゲーム」で、司会の山城新伍が出題の時にチョメチョメと言っていたという、単にその程度のことなのである。
あんまりチョメを連発するものだから、ぼくはてっきり「アイアイゲーム」以前から山城新伍はチョメチョメという言い回しをしていて、それについて何か面白いエピソードでもあったか、あるいはウラの意味でもあるのか、それで今回の舞台でも、山城新伍ネタということで、しつこくチョメを連呼しているのかと思って見ていた。
ところが舞台が終わってから、同行者に、
「なんでチョメって言ってたか知ってる?」
と聞かれて、
「いやー、アイアイゲームで言ってたのくらいしか知りませんけどねー」
と答えたら、そう、それだよ、ということになった。
なんだ結局その程度の話なのかよ。
だから、正直言ってこの歌のコーナーも要らなかった。
歌でオチをつけて締める構成にしたかったのだろうが、そこまでの流れがミエミエといおうか、結局そういうことになるのね、という感じで、ネタに使われたフリートークふうの部分まで、だんだん色あせて感じられてくる。
最初に言ったように柳沢慎吾はいいんだから、これは構成の問題だろう。
もうひとつ構成に難をつければ、クラブeXというせっかくの場所を生かしていない。
だいたい、あの場に300人以上も客を詰め込むというのはどうか。
できればあの三分の一くらいの客入りにして、もう少しゆったりと楽しみたいものだ。
それからショウの終わり方も、はいこれでもう終わり、という感じで、いかにも客に帰りをせかすような演出なのもつまらない。
この後にまた夕方から最後の公演があるのを思えば仕方もないが、せっかくお酒が飲める環境なのだから、終演後も軽く一杯やりながら舞台の余韻に浸るのもいいのに、いやおうなくお客はぞろぞろと出て行くし、その場に残ってもう一杯、という雰囲気ではない。
そういう意味では、昼の公演というのが、まずふさわしくない。
例えば、こういうのはどうか。
会場は夜7時、8時くらいから開いている。
どこか別の場所でゆっくり食事を済ませてから来てもいいし、仕事を終えて会社帰りに寄っても十分時間の余裕がある。
着席。軽くお酒を飲みながら開演を待つ。
夜9時開演。内容は今回の公演の前半部分、柳沢慎吾の芸達者なところを小堺一機の司会で見せるというのだけでいい。
10時半終演。観客は舞台の余韻を楽しみながら、さらにグラスを重ねる。
ここで電車の時間がある人は帰る。
深夜12時から、今夜二回目の公演が始まる。
こうやって、朝まで時間を気にせずお酒とショウが楽しめる。
ショウの合間には、お店の女の子が客に付いてもいい。そうなるとまるでキャバクラか。
大阪廻り舞台
新野新著「大阪廻り舞台」(東方出版)を一読した。
帯に「私的芸能ものがたり」とある。本書は、大阪で放送作家として活躍する著者が、昭和30年代初頭から現在までに手がけた種々の仕事や身辺に起こった出来事を中心に、当時の芸能やスターにまつわる追想を交えて書き記したものだ。
いわば著者の半生記といってさしつかえないだろう。
3年前に出版された同じ著者による「雲の別れ〜面影のミヤコ蝶々」(たる出版)も同様の趣があった。こちらは2000年10月に急逝したミヤコ蝶々と公私共に付き合いのあった著者が、長年にわたる蝶々との思い出を綴ったものだが、ミヤコ蝶々の伝記というよりは、むしろ蝶々というスクリーンを通して著者自身の姿が浮かび上がってくるように思えたものだ。
その点では、今回の「大阪廻り舞台」は、著者の自分史のかたちをとりつつも抑制された筆で記されており、また当時の芸能や放送についての客観的な記述も多い。これは、前著がミヤコ蝶々の死に際して書き下ろされたのに対して、本書は新聞連載を基にまとめられたということにもよるだろう。
大阪キタの北野劇場の演出助手から大阪の芸能界でのキャリアをスタートした著者は、民間テレビ放送の興隆期にコメディーやドラマの台本作家として活躍し、さらにバラエティー番組の構成やラジオのパーソナリティー、テレビタレントと活動の幅を広げながらも、常に大阪の芸能、放送の現場で仕事をしてきた。
著者になじみのない関西圏以外の読者も、本書によって戦後の大阪の芸能史をひとつの視点から俯瞰することができるはずだ。
また、本書の記述から伝わってくるのは、著者の一貫したショウビジネス、舞台芸能に対する愛着であり、失われゆく大阪の芸能文化、放送文化への愛惜の念である。
と、偉そうなことを書き連ねたが、ぼくの大阪の芸能や放送に関する知識は、ほとんどが著者のエッセイや芸能評論によるものなのだ。
改めて残念に感じたことだが、本書の中には、著者が台本や構成を手がけ、あるいは自ら出演したテレビ番組の名前がちりばめられているのだが、そうした大阪制作のテレビ番組のほとんどを、ぼくは見たことがない。
つまり、いわゆる大阪ローカルのテレビ番組は、関西圏以外の地域では、東京だろうとその他の地方だろうと、視聴することがまったく困難なのだ。
番組制作の機能が東京のキー局に集中するようになり、長い不況もあって大阪制作の番組が衰退していく状況を著者は嘆く。
が、一方で著者が落語家の笑福亭鶴瓶と共に続けているインターネットラジオの試みは、放送エリアの限定やキー局、ローカル局といった旧来の放送システムの枠組みを変えていく可能性を秘めている(いまだ可能性に留まっているのが悲しいが)。
願わくは、本書からも垣間見える著者の魔力、いや魅力が、大阪ローカルという枠を超えて全国、全世界に届かんことを祈る。
ところで今日、2月23日は著者の69回目の誕生日。いつまでもお元気でいてください。
柳昇物語
久しぶりに新宿の末広亭に行ってきた。
2月中席の夜の部の主任は春風亭小柳枝師、その他春風亭柳橋、昔昔亭桃太郎、笑福亭鶴光の各師などが出演している。
小柳枝師と桃太郎師といえば、去年の11月号の東京かわら版に、両師の師匠である春風亭柳昇師を偲ぶ対談が掲載されていた。
去年の6月に春風亭柳昇師が亡くなって半年余り経つ。
といっても、ぼくは生前の柳昇さんは寄席で2回ほど目にしたかどうか、というくらいで、偉そうなことはいえた義理じゃない。
世間的には春風亭柳昇といえば、ひょうひょうとして軽い人のように思われていたし、ぼくがたまたま見た高座でも、おなじみの「カラオケ病院」をやっているうちにわけがわかんなくなって、途中をやり直したことがあったのだけど、またそれが自然な感じで、お客さんも微笑ましく見ているという雰囲気があった。
こわもての人だと、なかなかああはいかないものだろう。
が、先のかわら版の対談で興味深かったのは、そういう軽さの面と共に、青年期を過ごした時代のせいもあるだろうし、ご本人の従軍体験のためでもあるのだろうが、結構おおっぴらに戦争を賛美する発言をしたりする、いわばタカ派的な、こわもての一面もあったということだ。
また、それがひょうひょうとした軽みと矛盾なく合わさっていたという。
さて、末広亭で桃太郎師は柳昇さんのまた違う一面を紹介していた。
柳昇さんは女好きで、自分が年を取っても相手は25くらいまでの若い子が好きだった。
例えばこんなことがあったそうだ。
春風亭昇太さんが楽屋に自分のつきあっている女の子を連れてきて、師匠の柳昇さんに紹介したことがあった。
それからしばらくして、昇太さんが楽屋にいると柳昇さんが入ってきて、おれの女だと紹介した女の子は、前に昇太さんがつきあっていた女の子だったという。
他にも、会う女の子女の子に電話番号を聞いて、デートの約束をしてもすっぽかされてばかりだから、3人まとめて同じ時間と場所で待ち合わせをしたら、誰か一人くらいは来るだろうと思っていたら、結局誰も来なかったという話。
桃太郎さんは、師匠の青春時代は戦争で女の子どころじゃなかったから、それでいつまでも若い女の子が好きなんだろう、なんて言っていたけど、そしたら今80歳くらいの人はみんなそういうことになっちゃうんじゃないの。いや案外そうだったりして。
まあ、桃太郎さんの話も、当然デフォルメして言ってるんだと思いますが(あるいはそうでもないのか)、とにかく柳昇さんが女好きだったのは確かなんだろう。
そういえば、柳昇さんには女性のお弟子さんが何人かいるけれど、それもそういうことなのかなあ。