だから、これから痩せたい、痩せよう、という人は、まずはスポーツクラブなどで自分の基礎代謝量を測って、その数字を意識するといいと思う。
極端な話、常に摂取カロリー量が基礎代謝量以内に収まっていれば、どんなに運動不足の人でも、必ず体重は減っていくのだから。
むろん、前に書いたように、基礎代謝量は生きていくうえでの最小限のカロリー消費量だから、普通に生活するだけでも、実際はそれ以上のカロリーが必要になる。例えば、デスクワークの男性の一日の所要量が2000とか2500キロカロリーとかといった数字も目にする。
が、現在標準体重だという人ならともかく、これから痩せようという人が、そっちのほうの数字ばかり目安にするのはどうかなと思う。
というのも、毎日必ず同じカロリーの飲食をしているのならともかく、時にはお付き合いなどで飲みすぎ、食べすぎのこともあるでしょう。
だから、ダイエットをするなら、普段は摂取カロリーをある程度低めに心がけて、たまにはハメを外すときもある、というくらいにしておかないと、体重を減らすのは難しい。
改めて思うのは、現代の普通の都市生活では、太らないようにするだけでも大変で、そこからさらに痩せようと思うと、二倍、三倍の努力が必要だということだ。
仕事内容がデスクワーク中心で、日常的に体を動かす機会のない人が、おいしいものを好きなだけ飲んだり食べたりしていては、太らないわけがない。せめて、食べ物に気をつけるか、運動を心がけるかのどちらか一方でもしないと、今の体重を維持することもおぼつかない。
食事について、実際にぼくが心がけていたのは、こういうことだ。
まず、なるべく油物を口にしないようにする。揚げ物は食べない。炒め物も控える。サラダにマヨネーズはかけない。油ギトギトラーメンは食べない。
次に、肉を控える。なるべく肉よりも魚にする。肉を食べるときは、牛よりも豚、豚よりも鶏を食べる。鶏を食べる時はできるだけ皮を取る。
これで、大体、守れている。人付き合いの席で出されたようなときは仕方がないが、それでもカツやフライの類は、この1年間、月に一度食べたかどうか、という程度だと思う。
炭水化物については、それほど意識しなかったけれど、前より食べる量は少なくなっているかもしれない。
アメリカでは炭水化物を極力食べないようにするダイエット法を実践する人が多いそうだが、アメリカ人に比べて肉より炭水化物の摂取の多い日本人には合わないという話もあるし、単純にカロリーの値だけをみれば油のほうがずっと高いのだから、むしろ油の摂取に気を使ったほうがよいのではないかと思う。
油の種類によっても違うのだろうが、脂肪は1グラム当たり9キロカロリーあるらしい。
だいたい、10分間走るか、一生懸命自転車をこぐかで、100キロカロリー使うかどうかだ。
ということは、油物を10グラム控えれば、それだけで自転車10分分の価値があることになる。
お酒はそこそこ飲んでいる。よく、アルコールはエンプティカロリーだから、お酒のカロリーは気にしなくてもよいという話を聞く。その説が本当なら、ビールや日本酒といった醸造酒よりも、焼酎やウイスキーといった蒸留酒のほうが太らないということになる。
その説の真偽はともかく、確かに、ぼくの感じでも、お酒自体はあまりダイエットに関係ないように思う。むろん、酒のつまみとしても揚げ物や肉を控えるのは当然だが。
また、お酒を飲んだらご飯は食べない、ラーメン屋には寄らない、というのが鉄則だ。
鉄則なのだけど、飲んだ後のラーメンの誘惑には逆らいがたい。普段は意志を強く持っていても、お酒を飲むとどうしても冷静な判断力を失ってしまう。
まあいいや、今日ぐらい、ということになってしまいがちなのだけど、これはもう、うまいラーメン屋のある通りは避けるとか、ラーメンが食べたくならないくらい酔っ払うとか、その程度しか対策は思いつかない。
一軒目は外で飲んでも、二軒目はうちに帰って飲み直す、というのもひとつの手だろう。
ちょっと飲みすぎたな、という日の翌朝は、ジムに行って少しきつめに自転車をこぐ。すると、いつもより余計に汗が出るような気がする。ペダルも心なしか普段よりも軽い。酒で溜まったエネルギーを使うからだろうか。
痩せ話 その3
では、どうすれば痩せられるのか。
これは簡単な話で、摂取カロリーより消費カロリーが多ければ痩せられる。
つまり、算数の問題だ。自分の一日あたりの摂取カロリー量と消費カロリー量を認識して、入ってくるほうを減らすか出ていくほうを増やすかすれば、必ず体重は減る。
言葉にすれば簡単だけど、言うは易く、行うは難い、といった類の話だろう。
が、それ以外に方法がないのも事実だ。
手始めに、自分の摂取カロリー量を認識するのが一番簡単かもしれない。
毎日の食事を外食やコンビニ弁当ばかりで済ませている人も多いと思うが、ファミレスのメニューにはカロリーが記載されていることが多いし、コンビニで売っているおにぎりや弁当のラベルにも大抵カロリーが印字されている。その数字を足しこんでいけばいいのだから、むしろ外食のほうが摂取カロリー量の管理は簡単と言えないこともない(ここで不満なのは、ファストフードのメニューにはカロリーが書いていないことが多いことだ)。
ともかく、そうやって、自分の一日の摂取カロリーが分かったとする。
次に、消費カロリーのほうはどうか。
基礎代謝量という数値があって、これは横になってじっとしていても内蔵の働きや何かで消費される、最小限のエネルギー消費量なのだという。
ぼくは去年の6月から近所のスポーツクラブに通っていて、このことは後で気が向いたら改めて書こうと思うけれど、最初、そのクラブの一日体験企画に参加したとき、たまたまその時期にインボディ測定会というのをやっていて、ぼくもよく分からないままに測定してもらうことになった。
インボディというのは、体内に微弱な電流を流して、体脂肪量や筋肉量などを測定する機械らしい。測定が終了すると、いろんな数値が印字された紙が出てくるが、その中で自分の基礎代謝量も分かる。
ぼくの一日あたりの基礎代謝量は、その時点で1800キロカロリーという程度ではなかったか。今では多少筋肉量が落ちているから、1700を切るくらいか。つまり、基礎代謝量というのは、筋肉量に左右される部分が大きい。太ると脂肪ばかりが増えるわけではなく、重くなった体を動かすためにはその分筋肉も必要になるから、ある程度は基礎代謝量も大きくなる。
この1800キロカロリーという基礎代謝量は、決して少ないほうではないが、要は、最初に書いたように、摂取するほうとのバランスの問題だ。
その頃のぼくは、休みの日になると、お昼にコンビニ弁当を買って、それだけじゃ物足りないからサンドイッチも買って、ついでにジュースも買って、ということも度々だったのだけど、弁当の種類によっては、これだけで一日の基礎代謝量にほぼ匹敵するくらいのカロリー量に達してしまう。
初めて基礎代謝量という数字を突きつけられて、普段の食生活を考え合わせると、正直かなり焦った。
痩せ話 その2
どうして痩せようなんて思ったんだ、さてはコレだろ(小指を立てながら)、と言った人もいたが、残念ながらそういう色っぽい話ではない。
実際は、もっと現実的な話で、要するに、去年の洋服が入らなくなったのだ。
ぼくは割とスーツを着るのが好きで、だいたい毎シーズンに1、2着は買っている。
今の職場も、ほんとうはカジュアルな格好でもいいみたいだし、また基本的に内勤だから、外部の人と会う機会もそんなにないのだけど、それでも毎日スーツを着て出社している。
スーツを着ると、いかにも自分がサラリーマンだ、という感じがしていい。
ちょっと倒錯したような言い方だけど、まあ、ぼくの頭のどこかに、給与生活者としての自分を突き放して見ているところがあるのだろう。また、今の仕事内容が、およそ世間一般のサラリーマンらしくないということもある。
何よりも、スーツは制服みたいなところがあるから、着るものにあまり頭を使わなくて済むのがいい。スーツ、シャツ、タイ、靴とベルト、このへんの組み合わせをちょっとずつ変えていけば、それなりの格好はつく。これが私服だったら、何を着ていこうか毎朝悩んで出社が30分以上遅れることだろう。
それにぼくは、サラリーマンのカジュアルスタイルというのがどうも嫌いだ。まわりを見ていると、休みの日におじさんがゴルフに行くような格好をしている人が多い。
いくらカジュアルといっても、例えば襟付きのシャツを着たり、ちゃんとベルトを締めてシャツをパンツの中に入れたり、といった程度のコードは(不文律にせよ)ある。Tシャツに短パンにサンダルという格好ではよろしくないわけだ。
でもぼくは、どうせカジュアルというなら、そこまですればいいのに、と思う。それができないのなら、むしろ、きちっとスーツにネクタイ姿、というのがいい。スーツならスーツ、カジュアルならカジュアル、ちゅーとはんぱやな、ということだ。
話がだいぶ脇道にそれてしまった。
シーズンごとにスーツを買っていると書いたけれど、それは別におしゃれとかそういうことよりも、去年買ったスーツがきつくなっているからだ。毎回、衣替えの季節になると、そういう事実に直面する。
ぼくは新宿の伊勢丹でスーツを買うことが多くて、10年近く顔なじみの店員さんもいる。
別に高級ブランド品やオーダーメイドのスーツを買うわけでもなく、ぼくの手の届く範囲などたかが知れているが、それでも、いつもの売場に顔を出すと、すぐにお奨めの品物を出してサイズを合わせてくれる。ネームの刺繍やパンツの裾の折り方といった細かい希望も、全部承知の上だから、余計な手間がかからない。
今思うと、それも良くなかったのかも知れない。量販店に行って既成のサイズからいちいち選んでいくとなると、おのずと自分の体型の変化を意識せざるを得ないのではないか。
ひらきさんは量販店でスーツ買っちゃいけませんよ、なんて言われていたけれど、それはもちろん営業トークもあるだろうけど、実際問題として、量販店の既製服のサイズには収まりきらない体型になっていたのだ。
だんだん露悪的な話になってきたぞ。
痩せ話
世の中、思うようにならないことが多い。
まずは仕事がそうだろう。
計画数字を作って、それに日々追いまくられるように仕事をして、下げたくない頭を下げて、それでも計画通りにお客さんが取れるとは限らないから、締まってみれば実績は未達で、あれは元の計画の立て方が悪いの、どうの。
遡れば、就職活動からして、自分の思うようにならないことだ。みんな思うような就職ができていないからこそ、雇用のミスマッチなんてことが言われるのだろう。
地道に努力を重ねれば、必ずしかるべき成果が上がって、それがみんなに評価される。もしそうであれば、仕事にまつわるやり場のない不平不満など起こるまい。
もっと身近なことで、思うようにならないことの代表といえば、やはり恋愛だろう。
しかし、努力すれば必ず報われて、それによって達成感も得られる、ということだって、少ないけれどもいくつかあるのだ。
そのひとつが、ダイエットである。
話がいきなり唐突なようだが、これはぼくの実感として言っている。
最初に具体的な数字を出してしまうと、実はこの1年間で、ぼくは20キロ痩せた。
こう言うとスゴイ話のようだが、なに、もとが太りすぎていただけのことだ。
今の体重だって、世間の標準からみれば、まだ太り気味のほうだろう。
が、ぼくは、自分でいうのもなんだが、骨格ががっしりしていてガタイがいいから、多少体重があっても、まあいいだろうという気もある。
とはいえ、そういう慢心(?)がこれまで災いしてきたのだろうから、できればもう5、6キロほど落とすつもりで続けたいと考えている。
ダイエットのいいところは、やればやっただけ成果が上がる。成果が上がらなければ、それは自分の努力不足以外のなにものでもない。そして、その成果は、数字や外見として客観的に表れる。成果が客観的に表れれば、その過程がつらかったとしても、あるいはつらかっただけに、達成感も大きい。
今まで自分のダイエット絡みの話は、ここに書いたことがなかった。
この話は、言ってみれば、ぼくにとってここ1年間の一番の関心事だったわけで、むしろ今まで書いていないことが不自然なくらいだが、要は、まあ、あえて避けてきたのだ。
中途半端な時期に書いて、そのあとリバウンドしたらどうしよう、という気持ちもあった。
たまたま先週末に前の会社の先輩の送別会があって、1年以上顔を合わせていなかった人たちと久し振りに会う機会があったのだけど、いろいろな人から痩せたと言われたし、調子に乗って自分でも痩せ話をさんざん吹かせてもらった。
そんなこともあって、ここでもそろそろ書いてもいいだろうというつもりだ。
寒い、凍えてしまう
今朝、出社したら部屋に冷房が入っていないじゃないの。
速攻で管理室に電話をして大至急冷房を入れるよう依頼した。
しかし管理の人も忘れてちゃいかんよ。
まあ、普段は暑い暑いとはいいつつ、基本的には内勤だし、うちと会社までの徒歩5分程度を我慢すれば外気に晒されることのない生活なのだけど、こんなことがあると、改めて冷房に守られた生活なのだなあと実感する。
ここのところ、夜中もエアコンを掛けっぱなしにするようになってしまった。自分の体にも、環境にもよくはないのだろうと思うけど、エアコンを切って寝ても、夜中に眼が覚めてリモコンのスイッチを入れてしまう。
この三連休に蓼科に行ってきたという人がいた。
なにやら気温が10度近くて、上着がないと寒くて仕方なかったという。
下界はこの暑さなのに、やっぱり高いところに行くと気温も下がるのかなあ。
が、かく言うぼくも、高いところにあって、やたら寒いところに行ってきたぞ。
六本木ヒルズの森美術館に、MoMA展とカバコフ展を見に行ってきた。
カバコフ展の会場はそうでもなかったけど、MoMA展の会場の中が寒くて寒くて仕方がない。作品保護のためにあえて温度を低く設定しているらしいが、本当に、あれなら上着があったほうがいいや。ノースリーブの女性なんかはかわいそう。
せっかくなので受付でiPodを借りて、マジメに解説を聞きつつじっくりと時間をかけて見たんですが、あんまり寒いので、一回会場の外に出て、ホットミルクで体を温めてからもう一度入り直したくらい。
肝腎のMoMA展の中身ですが、しっかり見たわりに、実はあまりピンとこなかった。
最初の展示室の、象徴主義の作品などは、それなりに面白く見たものもあるんですが、後になるにしたがって、だんだんピンとこなくなっちゃった。
展示の構成というか、作品の分け方が違ったら、また違う印象なんだろうけど。
作品の形式というか、形態で分けてるわけですよね、意味内容よりも、むしろ。
あと、シュルレアリスムの作品がMutationのセクションに入れられていたのも不満で、なんていうか、シュルレアリスムに対する愛を感じなかったな。
あと、今ベルリンでもMoMA展やってるそうじゃないですか。雑誌の記事を読むと、ものすごくお客さん入っているらしいけど。
そっちのほうにいい作品が行ってるってことはないですよね。
六本木のMoMA展
http://www.mori.art.museum/contents/moma/index.html
ベルリンのMoMA展
http://www.das-moma-in-berlin.de/home/
ぼくの伯父さん
更新が滞っておりますね。はい。
理由はいくつかありますが、少なくともきのうに限ってはちょっと飲みすぎたなー。
高田馬場でひとりビールを飲み、錦糸町でひとりビールやバーボンなどを飲んでいた。
いずれもひとりというのが切ないですけど。
錦糸町のバーで飲んでいたら、ぼくくらいの年恰好の人(あるいはもう少し上かな)が、小さな男の子とダーツに興じていた。
てっきり親子なのかなと思っていたら、そうではなく、甥っ子なのだという。
なんでもその人の弟が、アテネに撮影に行って長期間日本を離れているので(どういう仕事なのだろうか)、その間子供を預かっているのだそうだ。
おじさんはビール、甥っ子はオレンジジュースを飲みながらダーツの矢を投げている。いい光景だ。
その子はまだ背が小さいから、まっすぐ投げても的に当たらないんですな。斜め上45度くらいの角度で投げないといけないから、なかなか矢が刺さらない。
小学校1年生なんだって。これがもう少し大きくなると、憎らしさが先に立つようになるのかもしれないけど、まだそこまでは行かない。
しかし父親じゃなくて、おじさんというのがいいじゃないですか。話のわかるおじさんがいるというのが、今さらながらうらやましい。
ぼくにもおじさんはいるけども、離れたところに住んでいたり、まあいろいろあって、あんまり打ち解けた関係にはならなかった。
それにぼくは一人っ子だから、ぼく自身、自分の兄弟の子供と遊んであげることは不可能なわけだし。まあ、奥さんの兄弟の子供という可能性はありますが、まず奥さんというのが全然見えない話だしねえ。
とりあえず今日はそんな話でお茶を濁しておきます。
読売新聞に迎合するような方向に引きずられる必要はひとつもない
前から言っているように、ぼくは球団合併や1リーグ制について、決して頭ごなしに反対しているわけではない。反対するよりも何よりも、まず、賛否を冷静に判断するだけの情報が、ぼくのような一ファンには与えられていない。
現行の2リーグ制や球団経営のどこに問題があるのか。問題があるとすれば、どのような解決策が考えられるのか。合併や1リーグ制は、あくまでその解決策のひとつとして検討されるべきであり、決してそれだけが自明な回答であるわけではないだろう。
もっとも、一部の球団オーナーは、そうした議論の経緯が選手やファンに示されていないだけで、われわれの間では問題は既に解決済みだと言いたいのかも知れない。
多くの企業においては、積極的にステークホルダーへの説明責任を果たすべきという考え方が一般的になりつつある、このご時世にである。
まあ、そんなことをこの場で嘆いても仕方がないのだろう。なにしろ、今回のオーナー会議の一方の主役たる球団オーナーが率いる企業グループは、つい先日も総会屋への利益提供事件が明るみになったことで、その閉鎖的で独善的な経営体質が再認識されたばかりだ。
アサヒ・コムの記事で、もう一方の主役、読売の渡辺オーナーの発言が紹介されている。
「『選手会が議論の時間が短すぎるのではと主張しているが』と聞かれると、『100年議論すれば十分だと言うんですか。1年かける必要はない。2カ月あれば十分』。そう答え、『朝日新聞の論調に迎合するような方向に引きずられる必要はひとつもない』と付け加えた」
最後の一文は、これが朝日新聞の記事だからこそ付け加えられているのだろう。
渡辺氏がいうところの朝日新聞の論調がどのようなものか確認することはできなかったが(ソースをご存知ならご教示願いたい)、この問題について朝日が何か論説を出しているのなら、論説には論説をもって反駁することが言論人としてのマナーだろう。
ましてや、この渡辺恒雄という人は、読売新聞の主筆なのである。
それがこんな吐き捨てるような言い方しかできないとは、主筆が聞いて呆れる。
朝日新聞の論調というが、それなら論調があるだけ、朝日は読売よりまだマシだといえる。
もし球団合併が不可避であり、また1リーグ制が日本のプロ野球界にとって有益だというのなら、なぜ読売は、あるいは渡辺恒雄は、自分の筆でそれを訴えないのか。
まがりなりにもペンで飯を食っている者が、自分の言葉で選手やファンを納得させられないでどうするのか。
新聞社としての明確な見解も指針も出さぬまま、いたずらに世論を誘導しておいて、1リーグ制が既成事実化するのを待つというのか。
身内の利益のかかわる問題には口をつぐむというのでは、読売新聞には他の重要問題を論ずる資格はない。
結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ
もう10年以上も前だが、大阪の「売名行為」という劇団の芝居を見に行ったことがある。会場は、確か、新宿のシアタートップスではなかったか。
劇団といっても固定メンバーは3人だけだから、演劇ユニットとでもいうのだろうか。3人というのは、立原啓裕、牧野エミと升毅。あとは公演のたびに関西の他の劇団から助演が入っていたようだ。
別に演劇ファンでもなく、大阪にゆかりもないぼくが、わざわざ彼らの舞台を見に行ったのは、当時よみうりテレビで放送していた「ムイミダス」をTVKだか千葉テレビだかで見ていたからで、ムイミダスには売名行為の3人をはじめ、当時の関西の小劇団の人たちがレギュラーで出演していた。例えば、古田新太や生瀬勝久、山西惇といった人たち。もっとも、生瀬勝久は槍魔栗三助という芸名だったが。
その時、ぼくが見たのは「こどもの一生」という中島らもの脚本による芝居で、どんな内容だったかと言われても、今となってはとてもよかったという印象しか残っていない。この芝居は売名行為としてだけじゃなくて、違うキャストでも上演されているみたいだし、小説にもなっているようだけど、いずれもぼくは知らない。
公演のパンフレットを買ったら、推薦文というのか、何人かのタレントや関係者の文章が掲載されていたのだけど、その中に、シティボーイズの大竹まことも一文を寄せていた。
その、大竹さんの文章がよかった。
昔見た唐十郎やすまけいの舞台の鮮烈な印象と、その頃の芝居仲間や大竹さん自身の今。
そのパンフレットは実家に持っていったので、実物はぼくの手元にはないが、なんだか大竹さんの根っこにある役者の業のようなものを感じながら読んだ記憶がある。
シティボーイズの3人はみんなそうだけれど、例えば大竹さんのことを言うのに、役者って言っていいのか、それとも芸人と言ったほうがいいのか。シティボーイズライブは、あれはお笑いなのか、あるいは芝居なのか。まあ、あえてそれを分ける必要もないのかもしれないけど、どう言葉を選んでよいか躊躇するときがある。
むろん、大竹さんはじめシティボーイズの3人は、劇団の出身である。
が、劇団出身だろうが何だろうが、芸能界で生き残っていこうと思えば、芸人の顔をしてやっていくしかない。
役者と芸人との距離は、ひょっとすると、客のぼくらが思うよりずっと遠いのだろうか。
おそらく、当時の売名行為の3人もそんな立場だったのだろうと思う。まして大阪のタレントは笑いを求められることが多いから、その意味では東京よりも厳しいのかも知れない。
そういう彼らが、性懲りもなく芝居を打つ。始めたらそんな簡単にやめられないぞ、いや、やめたっていいけどね。いくぶん感傷的になってしまった文章に自分で照れるような、そんな言い回しで、彼らを静かに励ましていた。
それから、売名行為は解散したけれど、シティボーイズはずっと続いている。
しばらく前に買ってそのままにしていた、大竹さんの「結論、思い出だけを抱いて死ぬのだ」を改めて読んで、そんなことをつらつらと思った。
タレント仲間との日常や、若い頃の追憶、芸人の死、そんな折々の大竹さんの心の揺れが伝わってくる。
大竹さんの文章はいい。いいのは分かっているから、あんまりそれを見せちゃうと、芸人としてはダメ芸人になっちゃいそうだから、欲を出してエッセイ集を次々出したりしないで、10年に一度くらい、ふと、文章のよさを気づかせてくれるくらいがいいです。
その間は、料理本みたいなタレント本でお茶を濁すくらいでいいですから。

今こそスポーツ紙は社説で争え
きのうの大阪ドームはすごかったらしいですね。
バファローズのファンサイトを見ると、きのう7月4日を「バファローズ革命記念日」だとか「独立記念日」と言っている人もいる。
今後、事態がどう推移するかはともかく、きのうが日本のプロ野球史から見て特筆すべき一日となったことは確かなようだ。
さて、昨日、駅の売店でスポーツ報知の一面を見て唖然とした。
「ダイエーロッテ合併加速」という見出しの記事で、ダイエー球団の中内正オーナーが球団合併や球界再編について触れた発言が伝えられている。
が、この中内オーナーの発言をダイエーとロッテ両球団の「合併加速」と解釈して、わざわざ一面トップで取り上げているのは、報知だけなのである。
他の多くの媒体では、中内さんの発言は、近鉄・オリックス両球団の合併が7月7日のオーナー会議で決まる見通しであり、来季を2リーグ制と1リーグ制のどちらで行うかは9月のオーナー会議で決めたい意向であるということを小さな扱いで伝えているだけだ。
確かに一連の発言で、中内さんは球団の合併についても触れているけれど、いくつかの報道を調べてみたが、あくまで一般論として述べているだけのようにしか読めない。ここでは、毎日新聞と日刊スポーツの例を挙げておく。
だからこれも書き方なのだが、日曜日の報知のように、「ロッテ・重光武雄オーナー(81)が合併に前向きな姿勢を見せていることに『ぼくにもそういう考えはある』と発言」などと書くと、いかにも中内さんがダイエーとロッテ両球団の合併に前向きであるかのように伝わってしまうではないか。
いや、中内さんの真意は知りませんよ。もしかしたら本当に合併推進論者なのかもしれないし。それに、中内さんの発言自体、こういう微妙な時期に慎重さに欠けていたと言わなければいけないけどね。
しかし、あの程度の発言を煽って煽って合併話に結びつけようという報知もどうなのか。
こうしてみていくと、報知だけがフライング報道しているように見えて仕方ないのだが。
もうこれはセンセーショナリズムとかそういうのを越えて、一定の方向に読者を誘導しようとしているのではないかと首をかしげずにいられない。
百歩譲って、そういう偏向報道があっても許そう。
問題は、いうまでもなく、報知新聞も読売新聞も、読売ジャイアンツと同じグループ企業に属していることである。
今回の球団合併や球界再編に関して、読売グループが、グループの媒体を動員して、自社に有利なように、特定の方向に世論を誘導していくことだって、やろうと思えばできるのに違いない。
今回の報知の記事を見ていると、そう疑いをかけたくなるくらいにバイアスを感じるのだけど、どうだろうか。
むろん読売系の媒体すべてが偏向しているというわけではない。こういうバランスの取れた記事を目にすることもできる。
が、これはあくまで一記者の見解に留まるものだろう。
この際、読売新聞でもスポーツ報知でもいい、今回の近鉄・オリックス両球団の合併問題から、今後の球界のあるべき姿などについて、一度、読売グループとしての立場を明確に表明すべきなのではないか。
仮に、読売グループとして、明確に1リーグ制を支持し、推進していくというのなら、今後、読売本紙や報知紙上で1リーグ制を煽るような記事を見ても、そういう前提で見ていくことにする。
これは読売だけの問題ではない。セ・リーグには、中日、横浜、ヤクルトと、メディア系の資本が入った球団が多い。
いったい各球団の母体メディアが、将来の球界についてどのような展望を持ち、どういうスタンスで今回の合併問題や球界再編を報道していくのか、利害関係者であるマスコミ各社がそれぞれの見解を明らかにし、そこに意見の相違があれば、公の場で議論を戦わせるべきだ。
また、歴史的にパ・リーグ成立に関係の深い毎日にも見解を示してほしい。
今年の3月から4月にかけて、朝日新聞と産経新聞の社説上で、東京都教育委員会が都立高校の卒業式で君が代を起立斉唱しなかった教師を処分した問題をめぐって論争が交わされたことがあった。
一般紙には社説という欄があって、国旗国歌の問題や、例えば北朝鮮やイラク問題のような重要な問題については、各々の新聞は自らの報道機関としてのスタンスを明らかにする。
各紙の社説はインターネットでも読むことができるから、それぞれの見解の違いを簡単に読み比べることができる。
スポーツ紙にはどういうわけか社説の欄はないが、今こそ、各紙は自らの旗幟を鮮明にすべき時だと考える。
2月生まれ
しかし昨日は和田君はどうしちゃったんですか。
ゆうべは外に出ていてプロ野球ニュースも見てないので、様子がわからないんだけど。
ホークス打線もクデソンを打てなかったみたいだし。
このところ連勝できないのが少し気になるところです。
さて、きのうの対戦相手のブルーウェーブといえば谷選手ですが、という強引な展開に持っていきますが、2、3日前、J-WAVEのロハスモーニングを聞いていたら、6時前の占いのコーナーで、谷佳知・亮子夫妻の今後を占うという、実におせっかいな企画をやっていた。
まあ谷とソフティー(谷亮子の愛称)がどうなろうと知ったことじゃないですが、番組を聴いていて、ふーんと思ったのは、谷の生年月日って1973年2月9日、ようするに私の生年月日とちょうど1年違いなんですな。
で、これは前にもここで書いたけど、このロハスモーニングのナビゲーターの鳥越さやか氏の生年月日が1972年2月8日で、これまたちょうど私と1日違いなのです。
(これでぼくの生年月日がわかるね)
おお、なんだか微妙にずれているなあと朝から感心していたのです。
まーどうってことのない話ですが。
しかし有名人のだれだれと同じ誕生日ってことで、へぇーと思ったり、人にドーダ!っていう心理って、いったい何なんでしょうね。
言ってみれば、その有名人とお前がおんなじ誕生日だからって、お前が有名なわけでもエライわけでもなんでもないじゃん、ということでね。
高校野球で同じ出身県のチームを応援したり、あるいはイチローや松井がアメリカで活躍しているのを見て、ドーダ!という感覚とおんなじようなものかな。プチナショナリズムというか。
要するに、自分は全然たいしたことないのに、エライ人と少しでも同一化して、その権威を笠に着ようっていうさもしい根性かな。って、ちょっと身もフタもないかな。
ちなみに私と同じ2月9日生まれの有名人は、
鈴木亜美、知念里奈、安西ひろこ、田中美里。おお結構いるな。
それから、降谷建志、ラモス瑠偉、名高達男、あだち充、伊集院静、広岡達朗。
えっ、愛染恭子もそうなの?
どうでしょう、笠に着れますかね。
正直なところ、谷選手と生年月日がまったく同じというわけじゃなくて、ちょっとホッとしました。
(補足:谷選手に対して悪意があるわけじゃなく、奥さんをからかってるだけなので誤解なきように)