
吉行淳之介ではないけれど、向島は「原色の街」だと思った。
向島の街を歩いていると、不意に原色が目に飛び込んでくる。
それは、たわわに実った橙のオレンジ色であり、あるいは枝先からこぼれそうな南天の赤であり、ときには路地園芸の花の色である。
くすんだ家並みの、朽ちかけたトタンや板塀の合間から、鮮烈な原色がちらりと顔を出して、ぼくの足を止める。
ひらきつうしん

吉行淳之介ではないけれど、向島は「原色の街」だと思った。
向島の街を歩いていると、不意に原色が目に飛び込んでくる。
それは、たわわに実った橙のオレンジ色であり、あるいは枝先からこぼれそうな南天の赤であり、ときには路地園芸の花の色である。
くすんだ家並みの、朽ちかけたトタンや板塀の合間から、鮮烈な原色がちらりと顔を出して、ぼくの足を止める。

気が付けば、横浜トリエンナーレが始まっている。
前回のトリエンナーレから、もう3年過ぎたなんて、にわかに信じられない。
本当に、あの時は毎週のように横浜に通っていたような気がする。平日の夜、仕事を終えてから急いで山下埠頭に向かったことだって何度かあったはずだ。
それにしても、前回のトリエンナーレをとりまいていた、あの奇妙な高揚感はいったい何だったのだろうかと思う。いつでも、何かがそこで起きそうな気がしていたし、実際、何かを目撃していた。


浦山のお寺でライブがあるというので出かけた。
・・・こう書き出しても、読む人には浦山が分からないか。要するに、黒部の市街地から車や電車で宇奈月温泉方面に向かうと、途中にそういう名前の村があるのですよ。行政の区分では、旧宇奈月町のとばくちあたりになる。
かく言うぼくだって、黒部市に生を受けて30ウン年になりますが、まあ、その後半は故郷に不義理を重ねてばかりでありますが、ともあれ、生まれてこのかた、浦山のあたりは通り過ぎるばかりで、一度も立ち寄ったことがなかった。まあ、普通そうですよね。あのへんに家がある人でもなければ。

入善の発電所美術館で、河口龍夫展を見た。
展示室に入ると、左手すぐの導水菅から聴こえる音に足が止まる。しばし開口部の前に立ち止まり、管の奥を覗きこんだり、音に聴き入ったりして、ふと振り返ると、そこには船が浮かんでいる。
いったい、空に浮かぶ船というモチーフには、ぼくらの想像をくすぐる何かがあると思う。
導水菅から聴こえた音は、幼児の心臓音という。この場所が水力発電所の跡だという思いのせいか、会場じゅうに低く静かに響く音が、何かインダストリアルなノイズに聴こえる。今、発電所や工場で、実際にそういう音がしているのかどうか知らないが・・・。あるいは、そのような機械音の類も、もはや産業遺産の範疇だろうか。

《S/N》からのモノローグ
“I dream . . . my gender will disappear.”
さっきからホモセクシュアルとヘテロセクシュアルの境界について考えている。
誤解を恐れずに言えば、今のぼくは、その二つのどちらでもないのでないか。
少なくとも、そのようなレッテル貼りは無効であると思う。
というのは、今のぼくには、ステディなパートナーがいないのだから。
ひとつの愛が、常に新たな発見であり、発明であるような愛を夢想するのだが。

